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2009年05月29日 『台湾で感じたこと』

昨日台湾から帰国しました。
財団法人日本交流協会台北事務所の主催・亜東関係協会の共催により私のソロコンサートを開いてくださいました。
その次の日には、総統府において馬英九総統の前で演奏させていただく機会をいただき、大変光栄に存じました。

4日間の滞在でしたが、その間にはさまざまなおもてなしをしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。皆様、本当にありがとうございました。

小籠包やさまざまな台湾のお食事のおいしさはすばらしく、街を案内してくださった交流協会の方が台湾に来て20kg太ったと聞いて驚きましたが、納得!
朝起きると食べすぎで胃がもたれているというのに制御できず、誘惑に負け続け、何を隠そう、私も4日間で太りました!(泣)
ごはんからスイーツまで本当においしくて、しかも種類が豊富で、これだけいただいても、あと2つくらい胃袋があったらいいのになあ。と思いました(笑)

お料理のすばらしさもさることながら、台湾で最も感動したのは人々のあたたかさでした。
私は、今回が初めての訪問ですが、たくさんの人に親切に、優しく接していただきました。
それは、けしてかたちではなく、まるで家族が帰ってきたかのようにおもてなししていただきました。
日本語を話される方も多く、日本統治下にあった時代から現在に至るまでのたくさんのお話を実際に経験された方から伺うこともできました。

ちいさな国が、大国の脅威に絶えずさらされながら世界で孤立することになっても、その大らかで朗らかな優しさやつつましさ、誇りを失わなかった裏には、強さとたくましさ、そしてすばらしい知性があることを
感じました。
自分たちの国をよくしよう、自分たちの国を守っていこうという責任感と自覚。

台湾の人たちは、歓迎のために心をこめて・・・というのではもの足りないくらい惜しみない優しさで包んでくださいました。

今日一日荷物を整理しながら、ずっと思っていたこと。

心のケチな人になりたくない!

人間関係を築くとき、誰かを愛するとき、見返りを期待して匙加減するのは、あさましい。
できるだけのことを惜しみなくしよう!
御礼やご挨拶は、かたちではなく自分の気持ちを表すもの。誰かにどう思われるかではなく、相談すべきは自分の気持ちなのですよね。

自分で決められる人になりたい!

失敗を恐れないで、夢や希望に向かって惜しみなくエネルギーを費やそう。
大抵のことは思い通りにならないのが大前提だとすれば、それを叶えるためには努力や苦労があってあたりまえなんですよね。小さなことから少しずつ・・・。
夢が破れたとしても、費やしたエネルギーはきっとさわやかな風になっていつか自分の宝物になるんじゃないかしら。

そして、どんなときも笑って朗らかに歩みたい!

心を豊かにするためには、惜しまないことかもしれないと思いました。というより、惜しむべきものをはきちがえないこと。
縮こまった生き方はしたくない。
出し惜しみするような、何かと引換えじゃないと何も自分からは出さないというような、そんな小さな人間にはなりたくない。

広々とした草原を風を切って走るように軽やかに、さわやかに生きていきたい。
思い通りにならなくても、失敗しても、落ち込むときがあっても、けして卑屈にならず、ヤケにならず
迷って悩んで情けなくても、誰かのせいにしたりしないで黙々と努力することに誇りを持てるような人間で
ありたい。
自分がどんな状態にあっても、他人の幸せを喜ぶことができて、思いやりをもち続けられる人間でいたい。
そして、明るく、いつも心の窓を開いていられるように・・。

プライドは、世間の評価ではなく、自分自身の中にある自分の心や生き方の中に宿るもの。
本当に強くなければ本当に優しくはなれないのですよね。
そして、どんなこともいい方向に転換させられるのが本当の強さ。ですね!

台湾の人たちはたくさんのことを教えてくださいました。
深い尊敬の念と感謝の気持ちと共に、楽しかった旅の思い出にまだ浸っています。

事件の積み重ねが歴史ではなく、人々がどう生きてきたかということを私たちは歴史の中からきっと感じ、考え、学ばなくてはならないのだと思います。

「フォルモサ(麗しの島)」と言われる台湾。
この名前には、風土の美しさと共に人々の心の美しさも表されているのかもしれません。

みなさんも是非台湾に行ってみてください!


2009年05月24日 『気づかなかったこと』

先日、エコー検査で初めて自分のからだの内部をリアルタイムで見ました。
お医者さまから説明を受けながら動いている自分の内臓を見てすごく感動して涙があふれそうでした。
こんなにからだの中では一生懸命働いてくれて、私は生きていられる・・・なのに、私は自分の気持ちのままに時々無茶なことをして、あとはよろしくね!と言わんばかりに内臓に任せきり。丸投げ!
無理難題を押しつけられて、それらを処理して健康を保つために、からだの内部のすべてが必死でがんばってくれる。
がんばってるのは私じゃなくて、このからだの内臓や体液、皮膚、あらゆる機能。
私自身はただの身勝手で全然がんばっていない・・。
ちいさな警告はからだの悲鳴。

からだは自分の思い通りになんでもきいてくれると感謝もせずに甘えてばかり・・・。
自分の内臓が動いているのを見て、絶えず外部から入ってくる悪いものと戦って私を守ってくれていることを初めて実感しました。

心とからだは相互に助け合い支えあいながら私というひとりの人間の存在を成り立たせてくれています。
自分自身の中にも、人間関係と同じようにさまざまな役割があり、関係があり、ひとつの社会のようなものがあるのかな。とも思います。
それはひとつの「世界」であるのかもしれません。

自分のからだなのに、こんなにたくさんのことが起こり、休むことなく働いてくれていることに気づきませんでした。というより、身体(肉体)の存在など意識したことがなかったという方がいいのかな。
年齢を重ねて少し「ん?」と感じることが出てきたのですね。
やがて、どんどん思い通りに動かなくなり、そうして否応なく「からだ」というものを実感していくのでしょう。
そこから知らされていくことも、あらたに感じていくこともまた増えていきます。
どんな年齢になっても、その年齢にならないとわからない経験も感覚もあり、また開かれていくこともあるということですね。

いつまでも若くいたいと誰もが思います。もちろん私だって!
でも、無理をしてからだを矯正するよりも、からだに寄り添える柔らかな感覚を開いていけることこそ若さかもしれないと思います。(慰めかな?笑)

そして、もうひとつ感じたこと。
それは、私も動物や植物と変わらないひとつの生物なんだと思えたこと。地球上に生息している生物。
そう思えたら、なんだか植物も動物も仲間で、ひょっとしたら会話だって夢じゃない!?

今年は忙しくて留守が多いのでツバメがやってこないかな・・と、さみしく思っていたら、先日、やってきてくれました!
パソコンを打ちながら、ふと窓の外を眺めたら、電線の上に藁をくわえたツバメがこちらを向いてきょとんとしています。
帰ってきてくれたのねー!おかえり!
そのうちひなのかわいい鳴き声が聞こえてくるかな?
そして今夜もかえるの大合唱がずっと続いています。
練習はかえるくんたちとの共演さながら!

夜の湿った風は梅雨のきざし。


2009年05月13日 『待つこと』

待っていては何も始まらない・・・。
確かに。

でも、待っていることが得意になったなら、楽しく、ラクチンに生きられることもあるんじゃないかな。と、ふと、思いました。

生徒さんたちに、「一度自分の出した音を静かにじっくり聴いてください。できるだけ長い時間その音のゆくえを追ってくださいね。そして、十分聴いたなと思ったら次の音を出してください。」と言うことがあります。

さて、まずは一音。

・・沈黙・・

私ももちろん一緒に耳を澄ませます。
そのうち、ほとんどみんな居心地が悪くなって、がさごそし始めてきょろきょろ見回してそろっと次の音を出します。
もう随分待ったからこの辺でいいかな・・・。もう耐えられないんだけど・・そんな感じで不安げに。

音の余韻の最後なんて誰にも決められないし、当然わからないものだけれど、最初の一音を出した時点で頭の中はもう次の音のことでいっぱいになって気もそぞろ。
自分の出した音を実は全然聴いてなかったりします。

そうそう・・。
私も即興を始めたばかりのときは、たぶん共演者の音も聴かず自分が出す次の一手(笑)ばかり考えてました(苦笑)。
でも、よーく聴いているつもりだったのですよ。本人は!

「待つ」ということができないんですね。
「待つ」時間を充実させることができないといった方がいいのかな?

「ただ、待つ」という空白の時間を楽しんだり、味わったり、おもしろがったりすること。
なにもないと思われていることの中に何かを見つけること。
それって、できそうでなかなかできないんですよね。

サービスの行き届いた環境に慣れて育ったから、電車が時間通り来ない、注文したものがすぐ来ない、こちらの言っていることをすぐに理解してもらえない・・・そんなことにイライライライラ。
そして、それは自分にも向けられるんです。
すぐにできない!自分にイライラ・・。

ちょっと休憩しようよ。
気分を換えて、寄り道してみようよ。
・・・と心がつぶやいていても、「そんなヒマないのよー。時間がもったいない。無駄無駄!」かき消すようにイライラ虫が増殖。
社会にイライラ、環境にイライラ、他人にイライラ、自分にイライラ・・・イライラ虫はなかなか手ごわい!

私は、のんびりしていて、行動も人より遅いし、不器用なタイプ。
で、ノロノロ虫とイライラ虫の対決は日々あって(もちろん自分の中にも)、たいていノロノロ虫の敗北に終わり、駆逐されてしまいます。

しかし、立ち止まったり回り道したりすることで、見落とされた宝物を拾うこともあるんです。
そして、秘密の近道を発見することもあります。
行動のパターンやスピードは人それぞれ。
みんなが同じ速さになることはないんですよね。なれるわけがないですしね。
イライラ虫が強力に増殖しているために、みんな同じスピードで走っていなくちゃいけないように錯覚しさせられているような気がします。
速い人も遅い人もよいこともよくないこともあるし、お互いを知り合えたらもっと楽しいはず。

ちがう速さで生きていいと思う。自分のスピードを知ったほうがいいと思う。
「待つ」ことの楽しみを見つけたらいいと思う。
なんにもない時間は、空白は、すきまは、いいものだよ!
生徒さんにそんなことを感じてほしいと思うんです。

のんびりしすぎの気もある私は、調子に乗って、「ああ、私は待つことに退屈なんてしないし、ましてイライラなんてしないわ。」と思い込んでいました。

先日、タイのバンコクに行って街中でスコールに遭いました。
突然の雷雨。
「えーっ!どうしよう!帰れないよ!」とウインドウショッピングを楽しんでいたくせに急にホテルに戻りたくなったりして・・。
バンコクの人たちは慣れているせいか、誰ひとり動じることなくショッピングモールの大きな屋根の下で雨宿り。
1時間がたち、2時間たっても小ぶりになったものの雨は止まず・・。
最初はすぐにあがるだろうとコーヒーを飲んだりしていた私も、さすがに2時間経つと心の中で「もう、どうしてまだ止まないのー!」とイライラが始まった。タクシー乗り場にタクシーは全然来ない。またまた「一体どうなってるのー!」とイライラ。

バンコクの人たちはにこやかに待っている。ひたすら空を見上げて待っている。

ほんと、まだまだです(汗)
待つことを忍耐と感じてしまううちはダメですよねー!

もしかしたら、音も、何事も、それ自体が生まれるタイミングを本来持っているんじゃないかしら?


2009年05月08日 『新緑のさわやかな季節』

5月2日(土)大阪大学豊中キャンパスにある21世紀懐徳堂多目的ホールでお話と演奏をしてきました。

21世紀懐徳堂というのは、江戸時代大阪町人の有力者が発起人となって学者たちと創立した学問所「懐徳堂」に由来しています。学問・文化・芸術を自らの手で育て、国際学芸都市としての繁栄をめざした大阪町人の精神を受け継ぎ、関係の深い大阪大学内に設立されました。
ここでは、大学の教職員・学生、そして市民が交流し、情報を交換し、さまざまな文化活動を行っています。

今回の企画は、大阪大学大学院の野村美明教授が中心となって行われ、もうひとりの講師は南部真知子さん(株式会社神戸クルーザー・コンチェルト代表取締役社長)でした。

参加している方々は、大学の先生方、企業家の方々、学生さんなどなど・・。本当に多彩な方々がいらっしゃいました。
「リーダーシップ」ということを音楽での経験を通して話しました。30分余りの演奏をはさんで質疑応答もありました。

ソロで、あるいは複数で演奏しているとき、自分自身や演奏家同志あるいは聴衆と演奏家の間に一体どんなことが起こっているのか?
そこからお話は始まるのですが、人が集まって何かひとつのことをしようとするとき、あるいはひとつの空間にまとまるとき、共感や感動が生まれるときには、それぞれの人がまったくちがう方向を向いて無関係でいるわけではなく、あるひとつの方向に向かいます。そのためには、それを先導する人が必要です。
それが、リーダーと言われる人で、その人次第でその集団の行方は決まります。生活や運命までも決めてしまうことだってあるわけで、リーダーとしての天性の資質もあるでしょうけれど、たとえば見失っていることやいろんな方法を知るということも興味深く、大切です。

音楽は成績や収入に直結することはありませんが、何人かで作る舞台の中心にいる人はあらゆる面に心を配っていなければ感動の時間も空間も作ることはできません。
私は、さまざまな人たちと関わって、リーダーになったり、リーダーを補佐する立場や従う立場になった経験や失敗談を踏まえてお話しました。

リーダーになる人は、人並み外れて仕事ができるだけではだめなのですよね。独裁者であってはならないし、かといって何も自分で決断できない優柔不断な人でも困る・・・。
リーダーになった人には、責任があります。いい状態を持続させるためには、思い切った変化が必要であったりします。どんないいものでも、よどみやにごりが出てきて浄化しなければならないときがきます。
たえず脱皮をくりかえすためにはどうすればいいのでしょう?

結局、音楽であれなんであれ、人と人の間に起こっていることは同じなのかもしれません。

みなさんは、自分を含めまわりの環境をよくするために何が大切だと思いますか?


そして、5月5日(火)こどもの日に和歌山県の熊野にある本宮大社で奉納演奏させていただきました。
大斎原(おおゆのはら)という大社の旧社地での演奏の予定でしたが、あいにくの雨になり、本殿の中での演奏になりました。
何かイベントがあるときは晴れる本宮ですから安心していたら、雨。しかも大粒の雨。
日頃の行いが悪かったかな・・・と胸に手を当ててみて反省しましたが、これは、「まだ早い!もっと修行してからまた来なさい。」というかみさまの思し召しに違いないと思い、あらためて励ましていただいたような気がしました。
なんといっても目標ができたのですから!

演奏のあとは、桐蔭高校でのプログラムと同じく、竹中平蔵先生の講演があり、そのあと地元の中学生のための経済と音楽の授業。
故郷で先輩や地元の人たちと一緒に交流し、自分にできることをして、協力し合い、刺激し合い、一緒に考え、お互いに元気になるというのは本当にすてきで、楽しいです!

こどもといえども、音楽家といえども、お金と無関係に生きていくことはできません。お金の問題は社会生活そのものですから。
わたしたちにとっては必須の問題です。

お金はなんのために、どれくらい欲しい?
欲しいものは何?
それがあると幸せになれるの?

お金の使い方って?

いろんなことを考えます・・・。

ところが、音楽はなくても生きていけるもの。
なのに、音楽は紀元前、古代から今まで途絶えることも絶えることもなく存在しています。
そして、やっぱり音楽のない生活って味気ないですよね。

幸せや豊かさは、夢と現実を言ったり来たりするところにあるのかもしれません。
環境はたえず変化し、自分自身にも日々変化はあります。
喜びもあればかなしみもあるし、美しいこともあれば汚いこともあります。
無駄と遊びばかりだと破綻するけれど、すべてが合理的になってしまったら愛情や思いやり、優しささえも消えてしまうかもしれません。

幸せも豊かさも見つけたもの勝ち!というところもありますよね。
道端に咲く小さな花、思いきり天に向かって伸びようとしている木々や若葉、ただただ青い空、そして、赤ちゃんの無邪気な笑顔、だれかに優しくできたときの自分、幸せの種は身のまわりにいっぱいあります。

かなしいときに音楽が慰めてくれることもあるし、欲しかった楽器を手に入れられたのはお金があったから。

幸せは考え方次第!(しつこく!!笑)
スタイルのよしあしも、美人の基準も、頭のよしあしも、センスのよしあしも、自分の中にある世間の基準と勝手に比べているだけ。
標準であることがすてきかなあ・・・?
自分で自分を、幸せですてきだと思って生きていくために、今日も夢と現実を行ったり来たり。

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