久しぶりに今日は鎌倉の我が家のまわりを散歩しました。
まだまだ日中は暑いので夕方になってから、秋の兆しを感じたくてデジカメを片手に出かけました。
ハギ、フヨウ、ムラサキシキブ・・・・



秋は確実に来ていました。
散歩の途中から急に空が真っ暗になってきて、湿気がたちこめ、遠くで雷鳴が聞こえました。
ぽつぽつと降り出した雨がだんだん大粒になり、かさを持っていなかったので家に着く頃には全身びしょぬれでした。
線路沿いの道を走りましたが、途中から雨に濡れることがとても心地よく感じて走るのをやめました。
黒い雲と遠くで聞こえる唸り声のような轟きと、そして肌にたたきつける水の粒。
雨は恵み・・・
家に帰りついた途端にさらに雨は激しくなって、空は稲光で時折目を開いていられないほど明るくなり、タオルを片手にベランダに出て山の方を眺めていました。
自分の中に何かが押し寄せるように湧き上がってきてどうしようもなく出口を探しているとき。
その何かはさまざまな感情のかたまりなのかもしれないけれど、それはもうプラスもマイナスものみこんだひとつの大きな火の玉のようで、ぐるぐるまわって転がって出て行く先を探して暴走していきます。
そんなときはありませんか?
自分の中にある太陽のようなもの。マグマのようなもの・・・・
もし、音楽という表現手段がなかったら私はこのかたまりにきっとおしつぶされていただろうと思います。
ことばにして誰かに伝えるには、ことばが足りなくてもどかしく、だからあきらめてしまう・・・だけど、音の中にいるときはとても自由でのびのびと本来の自分でいることができました。
今もそれは変わりません。
自然(大自然じゃなくても自分の近くにある空や風や水や木々や草花でも・・・)と接しているときと音楽の中にいるときは同じ気持ち。
ことばにならないことばを素直に伝えることができて、なにもない向こう側を感じることができるからです。
今日の激しい雨は、きっと外側から私を冷却してくれたのでしょう。
6月のリサイタルを終えて、それから7月には香港で演奏をして(またご報告します!)、10月にはアメリカツアーが待っています。(詳細はまもなくスケジュールにアップしますね。)
今日は香港のご報告をしようと思ったのに、なんだかよくわからない日記になってしまいました。
正体不明のかたまり・・・それは情熱であり、エネルギーのもとなのかもしれません。そして、それが生命の火なのかもしれません。
感動して、心が動いて、小さなすきまが開いたなら、そこから涙とともにほとばしるように流れていくものってありますよね?
きっと留まってしまってはだめなのでしょう・・・
詰まってしまった心、固まってしまった心を動かすもの。溶かすもの。
すきまをあけるためのもの。
音楽ってもしかしたらそういうものなのかもしれません。
そして、自然はあまりに広くて大きくて遠くて途方もなくてはかり知れません・・・でも自分の中にあるちいさな自然と呼び交わす瞬間があるように思います。


雨待ちて・・・