七夕も終わりました。
みなさんはどんな願い事をされましたか?
七夕の前日の夜、ちょうど日記を書き終えて真夜中にベランダに出てみたら、霧が深くて、いつもははっきり見える山々も白いけむりの中に隠れてしまっていました。
霧の夜。
視界がどんどん狭くなり、すっぽり白いベールに包まれてこのままどこかへ連れていかれるのではないかしらと思うほどでした。
しばらくベランダの手すりに頬杖をついて、山や川や道を眺めていました。
白い霧の中から見え隠れするかすかな木々の気配、緑の葉のささやき、どこからか聞こえる人の声、物音、せせらぎ、虫の騒ぎ・・・
時折、川面をなでるように、すべるように、霧の裾が通り過ぎていきます。
まるで、生き物みたいに霧は動きます。
ひとしきり視界を遮り、やがてどこかに吸い込まれるように薄くなって、正体を失い、どこかにあっけなく去っていきます。
夢のように・・
さて、つづきのお話。
ロンドンでのプログラムは、前半は筝のソロのみ。筝のために書かれた古典から現代までの作品。筝の伝統の系譜を辿ってもらえたらと思いました。
後半は、ラヴェル・シューマン・モーツァルトの美しい作品とクレズマー(ユダヤの民族音楽)やジプシーのにぎやかでノリのいいちょっとハチャメチャな要素もありのプログラム。
衣裳も、前半は白の全身を覆ったシンプルなドレス。後半はピンクで裾に白や緑や水色のフリルのついた華やかなワンピース。
そうそう、その後、演奏はどうなったか心配ですよね?(笑)
楽譜に関する行き違いがあったことは大問題で・・・
でも、なんと!みなさん夜なべをして(夜なべって英語あるのかしら?)CDから音をとって楽譜をおこしてくださったのです!!!(涙)
ようやく最後までとりあえずは通せるようになりました。
さて、それが前日。
明日は、もう本番。
仲良くなったでしょ?通せたでしょ?
それだけで音楽がいいわけないですよねー。
まずは音程の問題。
クラシックの曲は、やっぱりみんなで揃わないと、特にラヴェルなんかは4人で弾く場合きちんと合っていないと和音の美しさが出ないから、合わない音を拾って、みんなで音出し確認。ピアノが入るからピアノにともかく合わせましょう!と打合せ。
ジプシーやクレズマーはちょっと壊れていた方がいいから、はずしてもいいよ。わざとはずす必要はないけど、はずれてもお構いなし!
そして、ノリの問題。
筝でクラシックやジプシーの曲を演奏をすること自体が邪道(笑)。
だったら、オリジナルを気にしたってしょうがないし(所詮オリジナルにはなれっこないのですから)、筝の、生粋の日本人のノリで、私のノリで行かなくちゃ!
ラヴェルの曲は、少し東洋の音楽の影響を受けているから、逆にそこで遊んじゃって、筝独特の音を入れたり、全体の速さも筝の音にあわせて本来の速さとは随分違ったを思います。あっさり進んだり、少し揺れたり、長い時間をかけてのっていったり・・・曲を素材にしてしまって、だけど作曲者が大事にしている核の部分はもちろんしっかり受け止めたつもりです。
ジプシーやクレズマは、もう遊んで遊んで、本番には何があるかわからない、フェイントあり、突っ走ることもあり、ドジってもみんなで笑おうね!そんな感じです。それでみんなで音楽にしていくには、みんなが仲良く、思いやりをもちながらいたずらっぽくキュートでなければね!
作曲家の伝えたいことは、細かいテンポや正確な技術や音程、リズムではなく、それを超えた向こう側にあるかたちにならないもの。
筝でどうしていろんなことをするの?
クラシックや民族音楽のアレンジをやって一体なんの意味があるの?
そういうことをよく聞かれたし、自問自答もくりかえしてきました。
好きな音楽を自分の楽器で弾いてみるとどうなるだろう?そんな好奇心から始まって、やってみたら、こんなことも取り入れるとおもしろいかも!ここはこうしたらきっとステキ!そんな風に工夫が始まって、できあがったら、すっかりお筝にしかできないものになっていた!
意味はないかもしれません。
遊びに意味なんかないでしょう?
そうやって無邪気に遊ぶときもあれば、筝の響きにじっと深く聴き入りながら次の音を紡いで、その空間を染めていく、そういうとても静かな音楽のときもあります。
ひとつの顔じゃなくちゃいけませんか?
やりたいことを素直にやって、その瞬間瞬間がかけがえのないもので、自分のすべてがそこにあるなら、きっとその音楽が伝わっていくものではないのかな・・
いろんな顔があっていいでしょ?
それが全部私自身なら・・・
白い霧は、瞬間の舞台を作りあとかたも残さず消えてしまう。
それは少し演奏家の存在に似ているのかもしれませんね。
さて、ロンドンでの本番。
そのご報告は次回に。(でも、ここまでのご報告の方がたぶんおもしろいかも・・・笑)