今日は連休の最終日。とてもいいお天気でした。
5月になりましたね。皐月(さつき)という呼び方が一番なじみ深いですけれど、菖蒲月(あやめづき)とか早苗月(さなへづき)という呼び方もあるようで、聞いただけで目の前に風景が広がります。
自分でつけるとしたらどういう呼び方が5月にはピッタリかしら?と考えてみたり・・・
「きみどりづき(黄緑月)」とか「かぜさやぐつき(風さやぐ月)」とかかな・・・
あんまりお天気がよかったので朝からベランダにお布団を干して青空をしばし眺めていると、カエルの声や川の水の音、風で木々の葉が揺れる音、ただいま修行中のウグイスの鳴き声が聞こえてきます。
そういえば、今年もまたツバメが我が家のベランダに帰ってきて、せっせと巣を作っています。パソコンを打つ横で、藁をくわえて忙しそうに行ったり来たりしている様子がちらちら見えるんです。
たまに、ベランダの手すりを横歩きしているツバメくんを鳴きまねしてからかってみると、わらをくわえたままキョトンとこっちを見ています。
今日は鎌倉駅まで散歩に出かけました。
私が通る道はあまり人通りのない静かな切通しと言われる小道。春に通ったときのことを思い出しながら、風のにおいはもう夏に変わっていることに気づきます。若葉が伸びて、春には明るかった道が葉っぱで影になってお昼なのに少し暗くてひんやりします。
風が吹くと、ばさばさと木が揺れて、葉っぱのこすれる音でいっぱいになって、小さな山の谷間の小道はタイムスリップしそうです。
重なる葉のすきまに抜けるように青い空が見えて、光がさしこんで、葉の重なりの濃淡が影絵のようでした。
自分の息の音が風にまぎれて、ちいさな渦ができます。
こうしていると、自分がここに存在していることが不思議になります。
生きていることは幻想なのかもしれない・・・
先日大阪大学でお話と演奏をしました。法学部の学生さんが半分くらいで普段はほとんど接点のない方々との交流はとても興味深く、有意義で、楽しいものでした。
学んでいるそれぞれの知識や技術はちがっても、もしかしたら、それらはすべて人間としての生き方や幸福につながっていくものなのかもしれませんね。
もうすぐまた次の万葉集の勉強会がやってきます。今回は私も発表しなくてはなりません。
ちょうど和歌山で有間皇子が歌った挽歌が私の担当。
磐白(いはしろ)の濱松が枝を引き結び まさきくあらばまたかへり見む
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を 草まくら 旅にしあれば椎の葉に盛る
有間皇子はこのあと藤白峠で悲劇の死を遂げます。
藤白のあたりは私の家からもそう遠くなく、藤白神社は何度も行ったことがありますし、教室のおさらい会の下合わせで場所をお借りしたこともあります。
今は高速道路の脇の道を入ったところにありますけれど、ひなびた趣で静けさに満ちた大きな神社です。
万葉集は私の家のごく間近で詠まれている歌も多く、今は当然その頃とはまるで違った環境ですけれど、ここから見る空や月、そして風は変わりなく、土や石にそのかすかな記憶が残っているかもしれないなどと思ってしまいます。
そんな環境の中で生まれて育った自分の中にも何かが残っているのかもしれないなどと少し期待したりして・・・(笑)
芥川龍之介の全集を買ったことも思い出し、今日は引っ張り出してきて、読み始めました。
風景や物に沁みた記憶。
それらが時折とてもやさしい風になって私の中を吹き抜けていきます。


