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2007年08月22日 『暮れゆく夏に』

本番があったわけでもないのですが、リハーサルやさまざまな用事があり、コンピュータの調子も悪かったりして、ドタバタしておりました。

しかし!!その間にも、松井茂さんの個展に行ったり、古本まつりで探していた本を見つけて驚喜したり、ロンドンに帰国されるM先生(英会話全然上達せず、ほんとダメな生徒でした。ゴメンナサイ(涙))と鎌倉とっておきのかき氷で涼を味わったり、浴衣を着て円覚寺で毎年開かれる盆踊りに参加したり、用事の合間にもしっかり楽しみを見つけて逃がすまいぞーーー!という勢いでおりました。

最近、我がパソコンくんに夏バテかなあ?と思われる症状が出て、データが消えては大変なのでHDDなるものを購入して、バックアップを取りました。もう汗だくです。必死です。マニュアルをひたすらマジメにこなしていくだけなんですけど、できたときはうれしかった!(喜)
でも、その後のパソコンくんは安心したのか調子もよく、がんばって仕事をしてくれています!(感謝)

そして、昨日は9月24日に埼玉県立近代美術館で演奏する「瞬庵ー勅使河原宏の追憶に」(高橋悠治作曲)のリハーサルを我が家で。
高田和子さんと共演する予定でした。再入院の前に絶対一緒に演奏しましょう!と約束したのに叶いませんでした。
下野戸亜弓さんが代演されることになり、昨日は悠治さんもいらして、途中からは近くにお住まいの作曲家Tさんもやってきてあれこれ。おいしい昼食をいただき、ひとしきりおしゃべりをし、音を出してまたおしゃべり。7時間の間に音を出していたのは1時間弱(笑)。
24日は勅使河原宏展のイベントのひとつ。この曲は勅使河原宏さんの追悼のためにかかれた曲です。

瞬庵ーまたたきのいおり

私は勅使河原先生の最後のお仕事に参加させていただきました。
1999年晩夏。
和歌山の熊野本宮大社での「すさのを異伝」という神話を扱った作品で、竹を使った巨大なセットが熊野川の中州(大斎原(おおゆのはら)といわれる本宮大社がもともとあったところ。)に組まれ、役者さん、殺陣師の方々、楽師、そしてスタッフ、、、、大きなプロジェクトでした。(悠治さんが音楽監督で、楽師は神楽の方々と打楽器奏者の神田佳子さんと私。)

木々の間から楽師たちは音を鳴らしながらやってきて、まず舞台に登場します。そして、口上があり、舞台が開くのです。
数日間雨が続いてほとんど上演は不可能と思われていたのに、開演の一時間ほど前に急に空が開けて日がさしこみ、川はきらきらと輝き始め、木々に宿った露の光もまぶしくて、ほんとに神々しい空気が包んでいました。

サルドノさん(インドネシアの舞踊家)の演技は、もうすばらしくて、観ている誰もが可笑しくて笑ってしまうのだけれど、すべてのひとを幸せにするような光に満ちていました。

あのとき熊野で終演後撮った写真は、全員がすごくいい笑顔で、こどものようで、無邪気で、うれしそう。
心に残るとても楽しい思い出です。悠治さんもあのときは楽しかったね。とおっしゃっていました。

勅使河原先生が逝き、高田さんが逝き、逝ってしまったひとたちを偲び、懐かしみ、残されたひとたちはただ見送るのみ。
残った記憶を追いかけて呼び戻して、もう一度会いたいと思うけれど。。。

悠治さんと武満徹さんとの出会いの話、メシアンが変わり者だったという話などなど、お菓子をいただきながら延々と話は尽きることなく、ときには爆笑しながら楽しい時間をすごしました。

10月には、斉藤徹さんとジャン・サスポータスさんというピナ・バウシュ舞踊団のソロダンサーの方(映画「トーク・トゥ・ハー」(ペドロ・アルモドバル監督作品)にも出演されています)との共演があります。こちらもすごく楽しみです!また、ご案内いたします!

この時間。
いつだってかけがえのないときにちがいない。


2007年08月10日 『残暑お見舞い申し上げます』

溶けてしまいそうなくらい暑い毎日、みなさまはお元気でおすごしでしょうか?

私の8月は、例年通り、教室のおさらい会や高校生たちのコンクールを控え、「先生」モード。
暑い夏に負けないくらい、熱くすごしております。

教室のおさらい会は地元で少しずつ定着してきたせいか、先日も整体に出かける途中で道行く人に声をかけられ、「西先生ですよね?今度の演奏会はいつですか?」と尋ねられました。
おさらい会は年に一度のお祭りみたいなものですから、生徒さんたちと一緒に精一杯がんばって当日は思いきり楽しく弾きましょう!というわけで、今は大詰め。みなさん、一生懸命おうちで練習されていることと思います。がんばりましょうね!!!!!
高校生たちも、全国大会出場への切符を手に入れるべく今ごろは朝から夕方まで練習しているはず。音楽はけして競争ではないけれど、すてきな演奏をして、感動して、さらに全国大会に行ければこんなうれしいことはないですものね。私と高校生たちをつなぐものは、レッスンはほんのちょっと、あとは録音とファックスのやりとり。私は少し助言するだけ。みんなの成長を少し後押しするだけ。

今年はなぜか偶然にも出身幼稚園・小学校・中学校・高校と全て関わることになっていて、それこそ「ご近所」とも言えるくらいの範囲のこどもたちとの出会いも楽しみ!熱血先生ぶりを発揮します!(笑)

一方で、自分が勉強したいことがたくさんあって、資料を探したり、本を読んだり、音を聴いたり、考えたり、または教えていただいたり、秋の演奏会シーズンまでの1ヶ月は自分に肥料をやる時期と勝手に決めています。これがまた、とっても楽しい!

短歌に関わらせていただいたこともあって和歌に興味が湧いたということもありますし、箏の源流を探りたいということもあります。そしてそれらは不思議につながって、更に和歌山ということも大きく関わってきて、「すごい!すごい!」と心の中で叫んでしまいます。
もしかしたら、それはまた、自分自身の源流を辿っていることになるのかもしれません。
置かれている環境や条件、出会ってきたものごと、探しているものごと、それらはけして無関係ではなく、その中で作られた自分があり、糸口があるのかな。と思います。

無数に張りめぐらされた糸。
その綾が見えてくるとき、大発見をしたような喜びが湧いてきます。そして、さらに奥へ奥へ。。。

今夜は、鎌倉花火大会。ご実家が材木座にあるIさんに誘っていただいて、お弁当を持って、海岸から花火を見ました。
「わあ!きれい!」ただそれだけを思って、何も考えず夜空に咲く光の花を見上げていました。(だから、私の顔は目の焦点が定まらないままにっこり笑っている妙な写真になってました(笑))

(半日ほどここに花火写真を掲載していましたが、なんだか実際の美しさとあまりにかけ離れていて虚しくなってしまったので、削除しました(泣)。。。)

すてきな夏になりますように。

2007年08月01日 『LETTER~summer~終了(後)』

さてさて、プログラムは後半に。

4曲目は、自作曲「つゆはひかりにとけて」。
クリップやステンレスのボウルをくっつけた十七絃と、琉球音階にチューニングされたミニ箏、テーブルの上にはセラミックのお茶碗が5個+ステンレスボウル(小)1個。
準備していたら、お店の人に、今日はお料理もするんですか?と言われてしまいました!(まさかっ!(苦笑))
この3つの楽器?の間を行き来して演奏しました。作曲といっても、音を選んで、大まかな進行を決めて、いくつかのパターンを頭に入れただけ。。。あとはその時、その場で!

最近は、即興で弾くことも随分増えましたが、即興演奏というのは自由でなんでもできるようでいて、引出しが少ないとすぐにパターン化してしまうんですね。
で、お茶碗の部分は原曲「夕顔」の器楽部分(手事といわれる部分)の音とリズムのパターンを置き換えて演奏してみました。そうすると、またもや、夕顔という曲がいかに複雑に工夫された彩りのあるものかがわかるのです。

自分の枠や世界からどうすればはみ出し、飛び出して行けるか?
自由になるための不自由とか?
軸を作ることとか?

うーむ。考えることはいっぱい!吸収すべきこともいっぱい!


最後の曲は、「Aesthetics」(図形短歌)より7首と岡井隆による翻訳短歌5首(松井茂/音楽:西陽子)。
演奏の前に松井さんに作品の解説を含め少しお話をしていただきました。
よく理解できた方もそうでなかった方もいらしたと思います。私も、未だにどこまで理解しているのかわかりませんけれど。。。(汗)

「理解」というのは、助けにもなるし、ときには邪魔にもなるものかもしれません。
だからどっちでもいいのだと最近は思います。
それをきっかけに知りたいと思ったり、そこを出発点にいろんなことを考え、再び同じものに出会って、以前見たり聞いたりしたときとは違うものが見えたとき、それって醍醐味ですけど、見えなくなる「理解」というのもありますよね。理解は固定観念といつでも隣り合わせですから。

わかりやすいことは、確かに楽で、自分の中ですぐに解決できる速さがあります。
わかりにくいことは、面倒で、時間はかかるけれど、それを探っていくと、それだけじゃないたくさんのものごとに出会えて、気づくことができます。

松井さんの詩や短歌は、たぶん、理解できないことが大前提で、これをあなたはどう理解していきますか?という問いなんじゃないでしょうか。
きっかけであり、ヒントでもある?

ものの見方も聞き方も決まったものなんてないのですよね。

この前、お昼に窓を開け放って練習していたら、普段は騒音にしか聞こえなかった道路を走る車の音が、突然、「これは都会の呼吸の音だ!」と思えたのです。
私は今、都会の胎内でこうして音を鳴らしているんだなあって。
コンサートの最中もずっと外の音は聞こえていました。近づいてはまた遠ざかっていく波のような車の音、救急車や選挙カー、道路を歩くひとの話し声、、、、

ここは、海?なんて思ったりして。。

最近、箏は音自体のリアリティよりも「場」を作るちからが強いという風に感じていて、今回は「場」ということを特に意識してプログラムを組みました。「弾く」よりも「聞く」ことに意識を持っていくと、演奏前、そこは、さまざまなモノの配置、来てくださったお客さまひとりひとりが持っている空気のようなもの、それらが混沌とした場になっていることに気づきます。
箏の音と声は、そのバラバラな粒子(要素)を、まるで数式や化学式が解けたように、ひとつに集約し、そこに目に見えないひとつの土俵のようにまるい空ろな「場」を誕生させるように思うのです。

岡井隆さんの翻訳短歌をうたうとき、私はその「場」から彼方へ向かっています。

『箏の演奏家としての私』を探しつつ、松井さんとの共同作業はこれからも続く予定です。また、何か決まりましたらここでお知らせしますね。

満員御礼!
お暑い中、いらしてくださったみなさま、ほんとにありがとうございました。
そして、ゲストの松井茂さん、支えてくださったスタッフの方々にも心から御礼申し上げます。

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