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2007年07月31日 『追悼 高田和子さん』

去る7月18日、高田和子さんがお亡くなりになりました。

私は、「糸」という伝統楽器によるグループ(高橋悠治プロデュース)に誘っていただき、一緒に活動させていただきました。そして、海外を含めその他の機会にもいろんな曲を共演させていただきました。
ご病気のことは存じていましたが、高田さんのことだからきっとよくなる!と信じていました。

訃報を聞いてからは、たくさんの思い出と高田さんの三弦の音がずっと頭の中をぐるぐる回っていて、なかなか落ち着いてことばにしてお悔やみを申し上げるということもできませんでした。
「糸」のメンバーとメールや電話、あるいは直接会っても、みんなことば少なく、それぞれの胸のうちでそれぞれの思いを持っていました。

お別れ会に行くと、在りし日の高田さんのお写真が何枚か飾られていました。白いシャツを着てさわやかにほほえんでいる高田さんの写真が一番すてきで好きだなと思いました。
最期まで演奏家としていたいという高田さんの願いが、ご主人やご友人のお話から伺えました。

どんなときでも真剣で、古典から最先端の現代の音楽に至るまで完璧に弾きこなし、いつも先頭を走っていた方でした。その演奏家としての姿勢同様、凛とした三味線の音は、きれるようにシャープで、まっすぐに聴くひとの心に届くように思えました。歌の迫力には圧倒されるものがあって、ときには怖いくらい何かを帯びたような凄みがありました。

「糸」の活動の初期の頃は、新作の初演がほとんどでピリピリしていたことも多く、なんとなく暗い空気がどんより流れたこともありましたけれど、みんなで地方に行ったときなどは、楽しかったなあ。
でも、きっと高田さんはリーダーとして、みんなをしっかり引っ張って支えていかなくちゃと思って気を張っていらっしゃったと思います。音楽はもちろんそれに付随する経済的なことや生活のことも含めて、心配も、考えてくださっていることもたくさん背負ってくださっていたと思います。

私が「糸」の活動から得たものは、ひとことでは言えません。私のそれまでとそれ以後をはっきり分けてしまえるほど大きなものでした。そして、「糸」という場で、メンバーも含め、たくさんの作曲家の方々と出会えたことは私にとって宝物です。高田さんのおかげです。

「糸」は、家族みたいなものだから、いつも心配なのよ。
と、高田さんはよく言ってくださっていました。ご自分が病気で倒れられたときでも。。。

私は、ジャカルタ・イタリア(ローマ・ベネチア・ミラノ)・シカゴへの演奏旅行をご一緒しました。
どんなときでも演奏前の楽屋での高田さんは近寄りがたいほどの緊張感を漂わせて、集中してらっしゃいました。
舞台では、音も声も、そのたまったエネルギーが一気にまるで放電するかの如く、強く、空間を破るように走っていきました。ときにはぞっとするほどに。。。
舞台を終えた高田さんはいつも充実感と共にものすごい脱力感を感じていらしたようにお見受けしました。からだじゅうのエネルギーが全部抜けて、憑き物が落ちたようでした。

どんな大変な事態がご自分に起きても、けして他人にはそれを悟らせない方でした。あとから実はあのときこうだったのよ。とお話されることはありましたけれど。。。

海外に行っても、移動中でも、ヒマさえあればグーグー寝て、どうでもいいことで笑いが止まらなくなっている私を見て、「あなたはいいわね~。」とよく言われました。
そういえば、にっこり笑っている高田さんはよく知っているけれど、ゲラゲラ笑っている姿はほとんど見ませんでした。
唯一、私があるとき衣裳を迷っていたら、ご自分のを貸してくださるとおっしゃって、私は「絶対似合わないですよー!」と言ったのですが、高田さんの熱意に根負けして試着したら、これがもう最悪で、予想通りひどくて、ものすごく似合わない!「これじゃ、まるで魔女ですよーー(泣)」と言ったら、そのことばがあまりにぴったりだったせいか高田さんは大爆笑!!!私も大爆笑!結局その洋服は不採用になりましたが、その日は一日中笑ってらっしゃいました。

あの三味線の音をもう二度と聴くことはできないのですね。
そして、もう二度とお目にかかることも。。。

さみしくなりました。

高田さんが、私に、わたしたちに、残してくださったもの。
それをけして無駄にしないように大切に育てますね。
ほんとにありがとうございました。

どうかゆっくりと安らかにおやすみください。

合掌


2007年07月30日 『LETTER~summer~終了(前)』

気がつけばもう7月も終わりなのですね。
なのに、鎌倉はまだ梅雨明けしないまま。
昨日の夜はすごい雷雨だったので、これは梅雨明けかな?と思ったら、今日も曇り。蝉たちは激しく鳴いているけれど、私の天気予報はハズレ。。。今日も青空を仰ぐことはできません(残念)

さて、切羽詰まってコンサート前4日間は鎌倉に籠りきりで、朝から晩まで曲を作ったり、練習したり。
追い詰められないとエンジンのかからない性格を我ながら恨めしく思いつつも、音楽どっぷり非日常の生活も結構楽しく、コンサートまで猛ダッシュ!

1曲目は「夕顔」による即興曲(編曲・作曲 西陽子)
古典の「夕顔」を編曲するにあたっては、この曲を毎日こんなに歌い練習したことがあるだろうか?というくらい何度も歌いました。
練習という目的じゃないと何時間でも弾き歌い続けられるってどういうこと?(苦笑)
作曲者の大切にしている部分をどうしても壊したり捨てたりしたくなかったので、それが一体何なのか?どこなのか?と探っているうちに、あらためて古典のすばらしさがわかってくるのですね。皮肉なことに。。

「編曲なんて無駄な抵抗はやめなさい。」
「ぐしゅっ(潰)。確かにそうだと思いますけど。。(泣)。しかも抵抗するなんて気持ちはありません!
私は古典が作られたプロセスや出発点がどこにあったのか、原形はどうだったのか、知りたいんですよ!そして、それを伝えたいんですー!」
「だからって今のかたちより説得力のあるものができるわけ?そんなことしてなんの意味があるの?」
「うっ。。。(詰)修飾的なもの、つまりオプションは原曲から300年ほど経つうちにいろんな演奏家がくっつけたものでしょう?たぶんご自分でも、演奏のたびに即興的にあれこれつけられたわけでしょう?今の演奏家たちだってそうしてはいけないということはないんじゃないのですか?もっと自由になってもいいんじゃないですか?そのためには、まず原形を取り出さなくちゃと思ったのですよ。」
「ふむ。まあ、やってみなさい。300年の間に取捨選択されて磨かれてきたものなんだよ。飾りも原形もなくてもう一体化してるけれどね。」
「はい。。。」

というように、私の中で勝手に菊岡検校先生と会話をし、許可をいただき、トライしてみました。
変な話ですけど、今回この作業をして初めて古典を作ったひとが人間だったんだと感じました(笑)たぶんそこに流れているいのちみたいなものや作曲者の声を感じることができたからかもしれません。

結果、たぶん「あらすじ」というかたちで伝えられたような気がするのです。
本を買うときに、あらすじを読んで、手にとって、本編を読んでみるひと、きっとたくさんいるでしょう?
(あらすじ読んで買うのやめることもあるでしょ(ーー;)→→→→(・_・;)は、はい。。)

要するに「入口」。
聴いてくださったみなさんに本物の古典を聴いてみたいと思っていただけたらうれしいと思います。
そして、私は、自分で探した原形を(違ってるかもしれないけれど。)ちょっとずつ発展させてみようかな。と計画しています。

2曲目は、宮城道雄先生の「風鈴」と「線香花火」。
この2曲を夏に弾くとほんとに風を感じたり、涼しい気分になったり、夜の闇に浮かぶ光の花を思ったりして、大好きなんです。そして、自然や生活の中のささやかな道具や遊びに対する宮城道雄先生のあたたかい思いやりがじんわり伝わってくるのです。

3曲目は沢井忠夫先生の「鳥のように」。
朝出かける前にコウノトリの巣立ちが近いというニュースをたまたま見ました。巣立ちが近くなると親鳥はえさを運ぶのをやめて、巣に近づかなくなるのだそうです。羽を広げて飛び上がっては、力なく巣に着地。練習を繰り返して、ひとりぼっちなコウノトリ。

「誰も助けてくれないんだね。でも、がんばって!おとなになるんだよ。もう少しもう少し!ほら、だいぶん高く飛べるようになってきたじゃない!がんばってー!もうひと息だよー!」

コウノトリが絶滅したあと、地元の小学生たちがコウノトリが育つように田んぼを作ってあたりの自然環境を整え、その甲斐あって、43年ぶりに自然孵化し、今巣立ちのときを迎えているということでした。
小学生たちは、きっと毎日応援してるだろうなあ。みんなで育てて、みんなで応援!
幸せなコウノトリ。幸せなこどもたち。

大空を悠々と飛んでいる鳥は先生ご自身であり、もしかしたら、この曲は生きることへの応援歌なのかもしれないと思いました。

(つづく)

2007年07月17日 『三宅島にて』

三宅島での公演のために、12日の夜に竹芝桟橋から出航し、13日リハーサル、14日本番、15日には戻ってくる予定が台風のために船が出なくて足止めされたまま、ようやく今朝三宅島から船が出て帰ってきました。
ちいさな島ですから他の移動手段もなく、ヘリコプターも定員はわずかで、どうしようもなく、みんな大慌てで予定をキャンセルまたは変更し、目の前にあるのは白く荒れた海とぽっかり空いた時間。

公演は、場所の変更こそあったものの、無事終了。

空いた時間は、みんなで島のあちこちを見学して歩きました。
島内放送では、ガス濃度のレベルが示され、高濃度地域でのガスマスクの使用を促す警告がしょっちゅう発せられていました。台風情報、船の情報も同様に。
風向きによっては公演が行われた場所もガスのにおいが強いときもあって少し息苦しくなったり、酸性雨のために傘をさすように。もし、ずぶぬれになった場合にははやく洗い流してくださいという指示もあったり、私にとっては初体験ばかりでした。

立入禁止区域ぎりぎりのところまで出かけて見た噴火の痕跡は、あまりにも衝撃的で、私の中に強く押し寄せて突き上げてくるものがありすぎて、今はそれを表現することばや文章が見つかりません。

何枚かの写真とほんの少しのことばを記します。


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ここでハイキングしたの。お花もたくさん咲いていたし、木いちごも採れたの。お休みの日には、家族みんなでお弁当を広げて、緑の森を弟や妹とちからいっぱいかけっこしたの。


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ある日、お山が動き始めて、まるで心臓の音みたいにドクドク地面が響いたかと思うと、真っ赤な石がドロドロと流れてきて、ぼくたちの学校ものみこんでしまったの。
お山は、いつもとってもやさしかったのに、どうしてあんなに怒っちゃったんだろう?


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ぼくたちが絵を描いたり腕相撲して遊んだ机や椅子はさみしがっているかもしれないな。


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今はね、お山はいつでも冬なんだって。


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ここがぼくたちの秘密基地。


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ここはぼくたちの映画館。


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ここは雨の日には来ちゃいけないっておかあさんに言われたところ。。


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ぼくたちは、木のおじさんやおねえさんたちと話ができるんだ。
水辺に行くとスタイル抜群のおねえさんたちが歌を歌って、ダンスを見せてくれるんだ。


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お山のお怒りが鎮まるまでぼくたちは島を離れていたけれど、帰ってきたらおじさんたちはあまりお話してくれなくなって、かなしそうにじっと空を見てた。
どうしたの?


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あんなにおしゃべりだったのに。。。

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「ほら。ぼうや。」と、ひとりのおじさんが胸を張って、ポーズを決めてにっこり笑ってくれた。
「かっこいい!!」
あれっ?おじさんの足元であかちゃんたちがさわいでる!


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そういえば、学校でもあかちゃんは生まれているらしいんだ。

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先生が星座を指さして教えてくれた学校の屋上にも、緑のこどもはやって来てるってあめんぼが言ってた。


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お山にもいつか春がやって来る。ぼくたちは見られないかもしれないけれど。。。


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あっ、おかあさんが呼んでる!


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帰らなくちゃ!


台風が去った後、波の音を背景に何人かの人たちが海辺で即興演奏。
空には見たこともないほどのたくさんの星。

昨日は新潟で大きな地震がありました。
鎌倉に戻ってきたら、我が家のまわりは祭礼のにぎわい。祭囃子が聞こえています。

同じ空の下で起こっているたくさんのできごと。


2007年07月08日 『七夕のうた』

昨日は、豊田市美術館で松井茂さんの作品を演奏してきました。
名古屋から1時間、緑の多い住宅地を抜けると高台があって、それまでの風景とは一変。巨大な美術館が建っています。
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松井さんの短歌はたくさんの線でできた図形。
その中の1首が岡井隆氏によってことばで翻訳され、短歌として5首詠まれています。

今回は、私が松井さんの図形短歌の中から7首を選んで音に翻訳し、岡井さんの翻訳短歌を声にしました。

どう翻訳するかマニュアルなんてあるはずもなく、松井さんの図形短歌も岡井さんの短歌のことばや意味も直接的に単純に何かを意味するというものではありません。

何度も眺めて、何度も詠む。
感じられたり、得られたりすることは、所詮は自分の世界の範疇から出ることはできません。ピタッと来たときには自分の世界で解決できたものなのでしょうけれど、どうもよくわからない?とか、もっと別のものがあるんじゃないだろうか?と思ったときには、それを探すために自分の世界を広げるより他にありません。
まずは、自分の中にあるいくつかの糸口になりそうな物事から出発して、本を読んだり、音を聴いたり、考えたりしていきます。そのうちにそれらが少しずつつながって、思いもしなかったようなことまでがつながって、新しい発見があったりします。

わからないこと、わかりにくいこと。
無視すべきものでもなく、通り過ぎるものでもなく、ひとつの答があるわけでもなく、声高に主張するものでもなく、確信でも決定でもなく、、、、
だけど、それはなにかの入口。

入口は出口。出口は入口。
どちらにしても開けてみることが楽しい。だって、「おしまい」というさみしい札は絶対に立っていないから。。
プレゼントをもらったとき、開ける瞬間がなによりどきどきして楽しい。
わからないこともわかりにくいこともプレゼントと同じ。ではないかしら?

筝の調子(調弦)は、ひとつの世界を限定し、色を決めてしまいます、だから、とても大切。
単語のひとつひとつから、そして、今度は音をひとつずつ。
「曲」にならないように、「歌」にならないように、「語り」にならないように。
そして、自分のものにならないように。
そんな音楽にしてみたい。
煙みたいに、匂いみたいに、かたちの残らないもの。消えてしまうもの。夢のようなもの。

松井さんの短歌が、岡井さんの短歌が、そんな音楽を私に想起させてくれました。
それが実現できたかどうかはあやしいけれど。。
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↑演奏風景です。

7月28日(土)、「LETTER~summer~」で今回の作品を再演します!
お聴きいただけると幸いです。

2007年07月01日 『文月のはじめに』

今日から7月ですね。
6月は、お世話になった方の叙勲のパーティーでお祝いの演奏をしたり、合唱団の方々の伴奏をお手伝いさせてもらったり(「秋来ぬと」)していました。

また、リハーサルがひとつキャンセルになったので、和歌山にいつもより長く滞在して、両親とのんびりお外ランチを楽しんだり、あとは図書館で大量の本を借りて読みふけっていました。

合唱曲が「秋来ぬと」(柴田南雄作曲)という梁塵秘抄を題材にしたものであったことや、今月の七夕の日のイベントが詩人の松井茂さんの短歌(翻訳短歌・岡井隆さん)を音楽にするということもあって、梁塵秘抄を入口に神楽歌や催馬楽、東歌、久米歌などに興味は移り、さらにまた万葉集と行ったり来たりするというような感じですっかりその魅力に虜になっていました。

よくわからないことばが多すぎて、一体これは何?何?何?
謎ばかりで、結局理解できたことなど何もないのですけれど、私の場合は、知識として捉えて追究していくなどということは到底無理なので、感覚で何かを見つけようとします。

うたのことばを声を出してよんでみます。何度も何度も。。。
そうすると、次第に「よむ」ということが、演奏するのと同じ感覚になっていきます。
声=音となってことばが生まれていく瞬間。それがひとつの流れを作ったり、あるいはひとつの空間を作っていきます。
何もわからない。だけど、何かがあるような気がする。。。そうして、今もこの果てしない興味は継続中。

それは、雅楽への興味へとつながって、CDを探し続けていたら、思わぬところで手に入り、なんて幸運なんだろう!
ずっと思って探していると、見つかるものなんだなあ。と。
そして、それは箏曲の源流へも導かれるものであったりします。
このつながりもまたおもしろい!

そんなわけで、今は「うた」の森を夢中で探検中!(こころの迷いの森でなくてよかった(笑))

話題は変わりますが、今日はほぼ6年ぶりにヴァイオリンの鈴木理恵子さんと一緒に演奏しました。
昨日は久々に頭痛があって練習もそこそこに倒れこんでいてどうなることかと思いましたが、今日もまた「音楽」に助けられ、本番は楽しく、体調もすっかり回復。
先月のお祝いの演奏、合唱団の方々との演奏も。。。
どんなにからだやこころの調子が悪くても、「音楽」を演奏して、その時間を共有し、共感し、喜び合えることができたなら、見事にすっかり洗われたようにきれいにすっきり生まれ変わることができます。
「音楽」のちからは、はかりしれません。いつもただただ救われています。
「音楽」を演奏していけることに感謝の気持ちでいっぱいです。

教室の生徒さんたちも、どんどん明るく元気になってどんどん若くなります。
つらいときも、音楽の中にいるときはすっかり忘れて没頭し、その中で楽しい瞬間を味わうことができ、それがまた糧となって明日からの現実に立ち向かう勇気につながります。
こどもたちも、音楽の中ではとても自由に、自分では気づかない感覚を開いていくように見えます。
そんな様子を目の当たりにするときもまたすごくうれしい!

今月は「文月」。
「文」は、文書、手紙、学問、書物、、、すべてことばに結びつきますね。
どうして7月は文月っていうのかしら?などと思いつつ、今月は七夕の日に「うた」を詠み歌い、月末には「LETTER」のシリーズ・第2回夏」も予定しています。関連づけるのは無理があるかな?(笑)

高校生の頃、友人のおばあちゃまが生粋のきれいな和歌山弁を話される方で、和歌山弁といっても紀北といわれる紀ノ川沿いのことばなのですけれど(有吉佐和子の「華岡青洲の妻」や「紀ノ川」に出てくることばですね。)それを電話越しに聞いて、まるで音楽を聞いているように感じたことがあります。
沖縄でお世話になったタクシーの運転手さんがきかせてくれた琉歌も風にのってそのことば自体がとても美しかった。

いつも話していることばのなかにうたは流れているのかもしれない。
ひとつひとつのことばの音に耳を澄ませてみれば、きっとそのひとのうたが聞こえるんじゃないかしら。
そんな気がします。

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