去る7月18日、高田和子さんがお亡くなりになりました。
私は、「糸」という伝統楽器によるグループ(高橋悠治プロデュース)に誘っていただき、一緒に活動させていただきました。そして、海外を含めその他の機会にもいろんな曲を共演させていただきました。
ご病気のことは存じていましたが、高田さんのことだからきっとよくなる!と信じていました。
訃報を聞いてからは、たくさんの思い出と高田さんの三弦の音がずっと頭の中をぐるぐる回っていて、なかなか落ち着いてことばにしてお悔やみを申し上げるということもできませんでした。
「糸」のメンバーとメールや電話、あるいは直接会っても、みんなことば少なく、それぞれの胸のうちでそれぞれの思いを持っていました。
お別れ会に行くと、在りし日の高田さんのお写真が何枚か飾られていました。白いシャツを着てさわやかにほほえんでいる高田さんの写真が一番すてきで好きだなと思いました。
最期まで演奏家としていたいという高田さんの願いが、ご主人やご友人のお話から伺えました。
どんなときでも真剣で、古典から最先端の現代の音楽に至るまで完璧に弾きこなし、いつも先頭を走っていた方でした。その演奏家としての姿勢同様、凛とした三味線の音は、きれるようにシャープで、まっすぐに聴くひとの心に届くように思えました。歌の迫力には圧倒されるものがあって、ときには怖いくらい何かを帯びたような凄みがありました。
「糸」の活動の初期の頃は、新作の初演がほとんどでピリピリしていたことも多く、なんとなく暗い空気がどんより流れたこともありましたけれど、みんなで地方に行ったときなどは、楽しかったなあ。
でも、きっと高田さんはリーダーとして、みんなをしっかり引っ張って支えていかなくちゃと思って気を張っていらっしゃったと思います。音楽はもちろんそれに付随する経済的なことや生活のことも含めて、心配も、考えてくださっていることもたくさん背負ってくださっていたと思います。
私が「糸」の活動から得たものは、ひとことでは言えません。私のそれまでとそれ以後をはっきり分けてしまえるほど大きなものでした。そして、「糸」という場で、メンバーも含め、たくさんの作曲家の方々と出会えたことは私にとって宝物です。高田さんのおかげです。
「糸」は、家族みたいなものだから、いつも心配なのよ。
と、高田さんはよく言ってくださっていました。ご自分が病気で倒れられたときでも。。。
私は、ジャカルタ・イタリア(ローマ・ベネチア・ミラノ)・シカゴへの演奏旅行をご一緒しました。
どんなときでも演奏前の楽屋での高田さんは近寄りがたいほどの緊張感を漂わせて、集中してらっしゃいました。
舞台では、音も声も、そのたまったエネルギーが一気にまるで放電するかの如く、強く、空間を破るように走っていきました。ときにはぞっとするほどに。。。
舞台を終えた高田さんはいつも充実感と共にものすごい脱力感を感じていらしたようにお見受けしました。からだじゅうのエネルギーが全部抜けて、憑き物が落ちたようでした。
どんな大変な事態がご自分に起きても、けして他人にはそれを悟らせない方でした。あとから実はあのときこうだったのよ。とお話されることはありましたけれど。。。
海外に行っても、移動中でも、ヒマさえあればグーグー寝て、どうでもいいことで笑いが止まらなくなっている私を見て、「あなたはいいわね~。」とよく言われました。
そういえば、にっこり笑っている高田さんはよく知っているけれど、ゲラゲラ笑っている姿はほとんど見ませんでした。
唯一、私があるとき衣裳を迷っていたら、ご自分のを貸してくださるとおっしゃって、私は「絶対似合わないですよー!」と言ったのですが、高田さんの熱意に根負けして試着したら、これがもう最悪で、予想通りひどくて、ものすごく似合わない!「これじゃ、まるで魔女ですよーー(泣)」と言ったら、そのことばがあまりにぴったりだったせいか高田さんは大爆笑!!!私も大爆笑!結局その洋服は不採用になりましたが、その日は一日中笑ってらっしゃいました。
あの三味線の音をもう二度と聴くことはできないのですね。
そして、もう二度とお目にかかることも。。。
さみしくなりました。
高田さんが、私に、わたしたちに、残してくださったもの。
それをけして無駄にしないように大切に育てますね。
ほんとにありがとうございました。
どうかゆっくりと安らかにおやすみください。
合掌