このページでは、JavaScriptを使用しています

« 2007年05月 | メイン | 2007年07月 »

2007年06月24日 『つゆだま』

今年の梅雨は、雨が降ったかと思うとすぐに止んでしまって、、、和歌山では雨乞いのご祈祷などもされていたようです。

久しぶりに写真をご覧いただきたくて。。。ちょっぴりことばも添えました。


あめのなかやすみ。
そらからふってきた宝石。
つゆのつゆだまたちがことしもやってきた。
2007_0619つゆだま0063.JPG


ぼくたちはひかりのこども。
2007_0619つゆだま0043.JPG


きみはなにをみているの?
2007_0619つゆだま0035.JPG


えへん。どうだい?落っこちたりしないよー!
2007_0619つゆだま0056.JPG


もっと近くにおいで。
2007_0619つゆだま0067.JPG


ないしょだよ。ぼくの正体をこっそり教えてあげるね。


2007_0619つゆだま0069.JPG


わたしたちは、なかよし三姉妹。
2007_0619つゆだま0074.JPG


よいしょ。
2007_0619つゆだま0071.JPG


わたしは、ちがうくにからきたの。
2007_0619つゆだま0072.JPG


「せーの!」で、着陸しよう。
2007_0619つゆだま0077.JPG


きえるわけじゃないさ。
2007_0619つゆだま0044.JPG

ぼくたちは、ひかりにとけて、かえるだけ。
わたしたちは、ひかりのはねをつけて、とんでいくの。

つゆのつゆだま。
ゆめのつゆだま。


2007年06月11日 『レモン生活』

雨模様の日は多いけれど、長雨にはならず、雷雨が多い日々。
我が家のベランダの軒先にツバメが巣を作っています。この近所にはたくさんツバメが巣を作っているらしく、朝からにぎやかにあちこちとびまわっています。

先日は、詩人の松井茂さんが、奥様の文さんと一緒に我が家にいらしてくださいました。
来月7月7日、豊田市美術館で開催される「宇宙御絵図」という特別企画展の中でで「七夕恋歌」という(松井さんがつけたタイトルではないそうですが。)イベントがあります。
松井さんの歌を私が音楽にするという趣旨。
私が今回音にする松井さんの短歌は、きっとほとんどの人が驚くことでしょう!
それは、よむというより、みることから入るもので、絵のようであり、図のようであり、そこには文字はありません。
それができあがる仕組みの話や、ことばの不思議、音や時間、そして宇宙、、、話はさまざまなことに及びました。
とてもとても楽しく、ことばの奥深さや妖しさ、そして、それは音というものと深く関わっているのではないかということなども、、、興味は尽きません。

松井さんのその歌は、最初は結晶のように見え、木の年輪のように見え、さらには何かが化学反応を起こしたときにはこんな風になるんじゃないかしらという想像になり、今はそこからさらに星になっているところ。
まだ音にはしていないのですが、もう少し眺めて、自分の中の変化をゆっくり見届けて、どこに向かっていくのかあてどもなく浮遊している状態を楽しみたいと思っています。宇宙遊泳さながらに(笑)

自分で何かを無理にしようとしないで、何かが起きるのをじっと待ってみる。そのために徹底的にまずは受身になってみること。
きくこと、みること、、、、たったひとつのことから、いかにたくさんの情報を取り入れることができるか、アンテナを張ります。集中と拡散が同時にあるように。
最初の直感がまずあって、今度は時間をかけてまったくちがうことをしてみてそこにもどってくると何か別のものが見えたりします。
それを繰り返して、どれかに絞るというのではなく、無意味無関係と思われるものも排除しないでそれらをおはじきのように並べてみます。
実在するものの向こう側に行くために。。。

行き詰ったものごとへの過度の集中は、一見追究しているようだけれど、実は客観性の喪失とその糸口への道を狭くし、阻んでいる可能性もあるように思います。一度視線をはずしてみることも、忘れてしまうことも、ある意味では必要なんじゃないかなあ。と。。。

まあ、そんな風にいろんなものを行ったり来たりしている日常。

梅雨がやってきて、夏が近づいてくると、このジメジメ感がなんともうっとおしいどろ~んとした気分を運んでくれます(笑)
で、最近私はレモンを使ってさわやか生活。
まずは、朝、浄水した水の中にスライスしたレモンを何枚か入れてボトルで冷蔵庫にキープ。一日に何度もゴクゴクッ!
そして、レモンの端の部分は、絞り汁にしておいて、残った皮は洗面所に置いて、手を洗うときいっしょに手につけて洗います。
私はもともとすっぱいものが大好き。梅干はほぼ常食、ラーメンにもお酢をじゃぶじゃぶ入れていただいちゃうし、、、。ともかくすっぱいものって元気が出てシャキーン!とするのですよね。

毎日のレモンウォーターはオススメ(^_^)v(すっぱいものが苦手なひとは無理かも。。)
レモン手洗いは手が白くなってつるつるすべすべになるような気がするのですよ。科学的な根拠もないし、あくまで私の実感ですけど。。。(刺激に弱いひとはかぶれちゃうかもしれないのでご注意を。相性ってありますよね。私は手にアロエや尿素配合のハンドクリームなんかを塗ろうものなら真っ赤に腫れあがって大変なことになります(泣))

レモンは使ったあともほのかによいかおりを残してくれます。それがまたいい気分。
夏はオーデコロンも柑橘系のものをよく使いますが、コロンより断然生レモンのほうがやわらかないいかおり。

そんなわけで、梶井基次郎の「檸檬」でも読んでみようかな。と思っています。(笑)

2007年06月06日 『夏時間』

今日は朝からリハーサルのため横浜山手へ。
埠頭や駅周辺は大きな建物が林立していて正直横浜というところは苦手なのだけれど、坂道を上がっていくと山手の洋館が立ち並ぶ緑いっぱいの静かな高台に出て、こういうところに住むのもいいなあ。なんて思ってしまいます。

ある合唱団の方々と柴田南雄作品の「秋来ぬと」の練習でした。エリスマン邸と呼ばれる洋館で。

外観も、おうちの中にある家具や調度品、間取り、窓、階段の手すりや、あかり、、、なども、西洋式なのだけれど、この場所にしっくり落ち着いていて、外に出て少し歩けば横浜の港が見えて、海も見えます。
この辺りは、明治から大正、昭和初期にかけての外国人居留地区。
その頃は今みたいに飛行機で海外に簡単に移動できる時代でもないですし、ましてや日本と西洋は「異国」というのにふさわしいくらいの違いがあったでしょうから、故郷を懐かしみつつ生活を送っていたのかもしれませんね。

純粋に日本の伝統が保存されたものもすてきだけれど、明治時代に開国され、さまざまな問題を抱えつつも外国の影響を受けたり、混じりあったりしてできたものもまたすてきです。
私はどちらかというと、純和風なものは少し緊張してしまって、なにかしら外国の影響のあるものの方が落ち着きます。
時代でいうと、平安時代~江戸時代のほとんど鎖国されていた時代は苦手で、それ以前の飛鳥・奈良時代や明治時代以降が好きかな(笑)って、時代に好き嫌いを言ってどうする!という感じですけど(苦笑)
一番好きなのは紀元前、縄文時代かもしれません(笑)

そういえば、この前初恋庵の名付け親Aちゃんと鎌倉をぶらぶら歩きましたが、和紙屋さんの中できれいな和紙を見て大喜びしたり、ポチ袋のかわいいのを見て迷いに迷っている私の姿を見て、明治時代の女学生みたいと言ってくれました。。。というかその後、彼女が我が初恋庵から帰るときに「おうちで食べてね。」ってあれこれお菓子を袋に詰めていたら、「西さん、おばあちゃんみたいですよー。」と言われてしまいました。

そうだ!明治時代に女学生ということは、相当のおばあちゃんという計算になる!(^_^;)

明治・大正生まれの女性というとちょうど私の祖母くらいですね。うーむ。彼女はスルドイかもなあ。。。
私は実はその頃の女性に結構憧れているところがあります。祖母のありし日の話を母から聞いても、朝からきちんと髪を梳かし、お化粧をして、背筋を伸ばして、しなやかな発想とたくましさがあって、ちょっと見栄っぱり、やせ我慢。。。女であることの誇りを生涯失うことがありませんでした。
朝から慌ててすっぴんでゴミ出ししている私はもはや失格ですけど。。(汗)

彼女は、昭和70年代に今ハマっているらしく、洋服もお店もそういうものに出会うとものすごくうれしそう!
レトロな感じがいいのね。きっと。
しかし、私にとっては全部リアルタイムで体験してきたものだから、それらを見ても「ああ、これね、昔はどこのお店にもあったよ。」とか「こどもまでこんな洋服着てたような気がするなあ。」とか「この時代が過ぎた頃からこういうソファーってよく粗大ゴミに出されてたような気がするなあ。。」とか、彼女と同じものを見ていても見方が違うんですよね。これが年の差ということでしょう(フクザツ・・・)
実際、今流行っているスパッツのファッションなんか見ても、うーむ、大学生のときこういう格好してたなあとなんだか懐かしく思ってしまったりして。。。
彼女の70年代と私の明治時代はおんなじ感覚か?とくすっと笑ってしまいます。

でもね、別の見方をしてみると、価値のないものと思っているものの価値、過去と思っているものの今、時代が変われば、変わらないと思っていたものが全く逆の価値に変わることだってあるんだなって思うのです。世の中の価値観も、自分の価値観だってあてにならないものだな。って。

緑の風に吹かれながら、とてもさわやかにすごした一日。
夜もすずしい風が吹いて、今は梅雨の前のほんとにいい季節。

私の生活もそろそろ夏時間に移行中。
少し早起きして、お布団をたたんだら、部屋じゅうの窓を開けて、風を通します。
そして、毎朝恒例、起きがけのしぼりたてグレープフルーツジュース!

そしてそして、今日も一日いい日でありますように!

2007年06月04日 『雨やどり』

少々もわ~んとした日々をすごしておりました。
青森旅行2日めのことを書こうと思いつつも筆が進まず、考えていることはいくつかあるけれどまとまらず、ああ、これでいいのだろうか。。。と心が迷走していました。
とりたてて何か事件があったというわけでもないのに、不安になるときってありますよね。

よくよく考えると、大抵いいことがあった直後とか、ぽっかり時間が空いたときとか?
以前なら、なんとかしなくちゃ!ってがんばったのでしょうけれど、まあね、すばらしい青空と明るい太陽が輝く日もあれば、どよんと曇った日もあるし、雨が続くときもあるし、雷がとどろくこともあるんだから、
こんな心がじっとり雨模様の日はそれなりのすごし方をして、雨が止むのを待ちましょう。。。というわけで、青森に行ったことだし、太宰治の「津軽」を読み始めました。

旅行2日めは下北半島を巡ったので、この作品に登場する場所へはほとんど行かなかったのだけれど、おもしろくて一気に読了。読みながらくすっと笑ってしまったりして、太宰治ってこんな人だったの???
「津軽」という作品を通して結局は太宰治さんという人と会話しているような気分にすぐなってしまう私。清少納言さんしかり。
ちょうどもわや~んと低い雲が垂れ込めていた私を、太宰治さんはしっかり笑わせてくれたり、自分のかなしいくらい矛盾し屈折した気持ちを話してくれたりします。
どうしようもない自分をずるずる引きずって、それがいとおしいと思えるときもあれば、もう捨て去ってしまいたいほどの嫌悪を感じるときもあって、、、でも、それは自分の影みたいに離れないものだから逃れることはできないのですよね。

そんなことを考えつつも、太宰治さんのおかげで今日は朝から心は快晴。

下北半島の旅は心に深く残りました。
写真はありません。あまりにすごくて撮ることができませんでした。
想像を超えたものに出会ったとき、「魂を奪われる」という表現がよく使われますけれど、まさにその通り。
下北半島で見た景色、雲ひとつない日に見た摩周湖、沖縄、、、、、
その瞬間、時間が凍りついたように止まってしまって、自分がからっぽになって生きているのかどうかさえわからなくなってしまいます。まるでどこからか手が出てきて私の魂を掴み取られていくような気がしてこわくなります。このままもう現実にもどれないような気がして。。。
現実から剥がれていくような感触。

あまりに美しいものは、きれいだなあというようななまやさしいものではなく、狂気に導くほどの魔力があります。

そんな体験や、あるいはそんな力のある音やことばを体験したなら、頑固に壊れない石だと思っていたちいさな悩みや憂鬱はこっぱみじんにはじけて、いつの間にか空気中に溶けてなくなっています。

ほんとに空と同じだなあと思うんです。
いつだって広い空の中で目には見えない粒子が集結して黒い雲が生まれて、雨になって、また晴れるでしょ?
それをずっとずっと繰り返している。。だから、わたしたちの心だってきっとその繰り返し。
逃れられないけれど、どこかで必ず助けられて、また晴れる日がやって来る!

梅雨の雨を待っているアジサイの花々。
雨がなくっちゃお花も咲かない!ですよね?

copyright(C) Nishi Yoko All right reserved.