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2007年03月30日 『「LETTER~spring~」終了、そしてドイツへ。』

昨日、無事ドイツより帰国。
日本に着いたら、桜は満開。
桜の花には、たくさんの思い出があります。恩師・沢井忠夫先生が亡くなられたのも、ちょうど桜が満開の日でした。音楽も花も不思議に美しく記憶を甦らせてくれるような気がします。

「LETTER」のコンサートにいらしてくださった方々、また当日お花を贈ってくださった方々、ほんとうにありがとうございました。御礼の気持ちをお伝えするのが遅くなってしまってすみません。
最高に幸せなお誕生日にしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです!

終了後ひとりで成田に向かいながらみなさんにいらしていただけた喜びと同時にこれでよかったんだろうかという疑問がぐるぐると頭の中を巡りました。
演奏中の外の車の音が予想外に大きかったことが私に重くのしかかっていました。

街の中で音楽会をするということ。日常の中に音楽を持ち出すこと。
もっと昔なら、自然があって、静かで、そんな中で音楽はゆっくりと流れ、外の音との違和感もなかったのでしょう。
現代の都会の現実は、車の騒音と雑踏のざわざわした音でいっぱいです。そんな環境の中で、ほとんどの人はホールという専用の閉じた空間に行くかヘッドホンの中から流れる録音された音によって音楽を聴くことになります。
生の音をもっと身近に届ける環境を作ることはできないのだろうか?というのが私の今回のコンサートシリーズのひとつのきっかけでもありました。なのに、誰よりも私自身がまずその環境にものすごい居心地の悪さを感じてしまっていたのですね。音の微妙な彩りや揺らぎが伝わらないという焦燥感。
整った環境に慣れすぎていたのは実は自分自身だったのです。

整わない条件の中でできること。現実を受け入れること。

外の雑音に負けないようにPAを使って音を増幅しすることやたくさんの音で埋めてしまうことならごくあたりまえにできることですし、強いものにはさらに強いものをという「競争」の論理みたいなものは持ち込みたくない、排除することもしたくない。。。だとしたら何ができるだろう?共存できる音楽はないのかしら?

今はそんなことを考えつつ、夏に向かってまた新たに模索していくことになりそうです。
きっと何か見つかるはず!と思っています。

そして、次の日からドイツへ。
疲れていてもいなくても飛行機では熟睡できる私ですが、今回は特に離陸したのすら気づかず、シートベルトを締めたら即爆睡。アラスカ上空で真っ白な風景を見ながらハーゲンダッツのバニラアイスクリーム。これにはちょっぴり感激!機内食はいつものことながらほとんど手をつけず、ともかく寝る寝る寝る。。。
そして、フランクフルト到着。ジーンが迎えに来てくれているはず。10分程していつものごきげんなまるで英会話の教材を聞いているような端正な英語でごあいさつ。

それから列車でドルトムンドまで。
移動して着いたらもう夜。「えっ?これからリハーサル?」(ガーーーン(>_<))
というわけで、楽器を開き、疲れてボケた頭で軽く譜読みのリハーサル。ここで、笙の石川高さん、三味線の田中悠美子さん、ギターの内橋和久さんと会いました。みんな、今回いっしょだってこと、ここ2,3日で初めてわかったんだよね~。
石川さんと内橋さんはウィーンから、悠美子さんはパリから、私は東京から。東京では会えなくてドイツで会えるなんてね!なんか楽しい!
明日はケルンでリハーサル?
ともかく寝る寝る寝る。。。ヒマさえあれば寝るー。ホテルの近くにはお店もないし、リハーサルと食事の時間以外は寝てばかり。

そして、27日本番。
現代音楽を中心に演奏している男性トリオ(ピアノ、クラリネット、チェロ)との共演があったのですけれど、ほんとにとってもすてきなひとたちでした。音楽が大好きで演奏ももちろんすばらしく、かといってピリピリ感もなく、明るくて陽気で親切、ユーモアもたっぷり。彼らの目は澄んでいてとてもきれいでした。

そして本番直前。「ヨウコ、ヨウコ!!オキャクサンダヨ(英語です。もちろん。)」と私を呼ぶ声。「えっ?」と振り返ったら、なんと!高校時代の同級生U君が奥さんといっしょに!!!
パリから5時間かけて車で来てくれたのです。
びっくりするやら、感激するやら、大興奮!!!
メールでちょっと前からやりとりはしていたものの、今回の演奏旅行は全然情報もなく、私もドイツに到着するまで宿泊するホテルも音楽会の内容も共演者も全くわからず、往復の飛行機を確認したのと、空港まで絶対迎えに来て!とメールしただけ。曲目さえもわかってませんでしたから、彼には連絡してなかったのです。
なのに、ネットでドルトムンドと私の名前で検索したら出てきたらしく、私より内容に詳しかった(笑)
しかも、ドイツのアンサンブルのひとたちとすでに親しくなっていたし。。。(笑)

ただただ感激!終了後は打上げの方を失礼して、U君夫妻としゃべりまくりました。コンサートの話や思い出話。話は尽きない。
「連絡もないし、どうなってるのかわからないから、フランクフルトまで迎えにいってやろうかと思ったよー。」と言ってくれました。うー。持つべきものは友ですね(涙)
私もジーンが来なかったら、彼に連絡して、フランスで遊んで帰ろうとは思ってましたけど。。(^_^;)
ほんと、ありがとう!楽しいドイツの一夜でした。

演奏は、高さんと悠美子さんと私がそれぞれソロを1曲ずつ。それからトリオのひとたちを含め全員でジーンの曲。そして、即興。

音楽の話をたくさんしました。内橋さんも高さんも悠美子さんも世界中で活躍してらっしゃる音楽家。だから、パリやベルリン、ニューヨーク、もちろん東京も、いろんなところの今の音楽シーンの話が飛び交います。私は、ふむふむと聞いているだけだけどすごく興味深い。
高さんと悠美子さんと私は「糸」というグループで一緒に活動していました。個人の音楽の話もちょっぴりしました。みんなそれぞれにあの頃とは違った地平にいて、やりたいことも見ているところも変わったんだなあと思いました。それでも、「音楽」しているときの感じや「音」に対する姿勢みたいなものはすごく共感し、もちろん尊敬の気持ちは変わりません。こうして変化しつつもどこかでまた出会って一緒に演奏できることはなんともいえない喜びであり、幸せです。
3人でいるとなぜか爆笑モードになるのもまた楽しい。何か特別なことがあったというわけでなくどうでもいいことなんだけれど、どういうわけかこの3人のときにはお腹が痛くなるほど笑い転げてしまうんですよね。いやはや、苦しくなるほど笑いました!!

コンサートにいらしてくださった方々、支えてくれたスタッフのみんな、尊敬する音楽仲間、出会うひとたち、応援してくれる友人。。。ほんとにたくさんの方々にただただ感謝。

あらら。。音楽についての話題がちょっとしかなかったかな?

U君が、高校時代にはお筝弾いているより「大地讃頌」の伴奏ピアノ弾いてた印象の方が強いと言っていました。私は、クラスでのできごとに鈍感すぎたことはあってもごく普通のこどもだったし、みんなといっしょに笑える高校生活を送りたかったからとても楽しかった。
大学に入って東京に来て、芸術をめざすなら強烈でなくちゃいけない。みたいな空気が漂っていて、それがちょっとしたコンプレックスだったかもしれません。
でも、今はまたこどもの頃とおんなじ、自分の心に素直に多くのことを感じ、その中から考え、表現していけたらいいとただそれだけを思っています。

「音」の中に生きる幸せ。自由。

「伝える」「届ける」「運ぶ」。。。

耳を澄まし、目を見開き、身体中の感覚を開いてたくさんのものを感じ取って、それらは私自身にしみこんで時間をかけて私自身を変えてゆく。
演奏家は、自分自身が楽器みたいなもの。音は私が出しているにちがいないけれど、そこには私の中にしみこんだたくさんのものごとがあるのです。
創作ではなく、ただ私自身を介在させるだけ。だとしたら私はアーティストではないのでしょう。
即興演奏も曲や詩をかくときも、私の場合は自分の身の回りにある音やことばを拾って並べたり、あるいは組み合わせるだけ。こどもが石ころを並べて遊ぶのと同じ感覚。始まる前には何の準備も目的もありませんし、計画性もないのですから。。。
性能のいいアンテナでありパイプであること。今はそうありたいと思っています。

リアルタイムに音のいのちをいくつもいくつも見送っていくとき、そこには「削除」や「消去」というものはありえません。
そして、「再現」という「再会」も。
だからこそ、美しくいとおしい。

音の深い魔力は、それ自体が狂気なのかもしれません。
だからこそ、その底知れない力を知り、携わる私自身が「普通」でなければならないとも思うのです。

でもね、そもそも「普通」って何なのでしょうね?


2007年03月21日 『春。。。とりとめもなく。』

運転免許証の更新、パスポートの更新などなど最近身の回りのものが新しくなっていきます。携帯電話も変えなければならなくなったし、、、。
事務的な用事も多くちょっと面倒だったりするけれど、その作業の中で、使った期間の記憶が甦ってたくさんの思い出が流れていきます。

古い免許証、パスポート、携帯電話。。。
出かけた国々や旅のこと、出会ったひとたち、やりとりしたメールの数々、電話から聞こえたたくさんの声、たくさんのできごと。

そして、新しくなったものを見て、今度更新する5年後、10年後はどうなっているのだろう?とか、その間に一体どんなことが起きて、このものの中に刻まれていくのかしら?と、さみしさと希望の入り混じったような気持ちになります。ちょっぴり感傷的かな。

和歌山でレッスンをして、桐蔭高校箏曲部の第21回おさらい会も無事終了しました。
自宅レッスンで生徒さんが、「つらいときや大変なとき、お筝なんか弾いてる場合じゃないと思うんですけど、弾いてみると心が落ち着いて浄化されたような気になるんです。」と伝えてくれました。
箏曲部のおさらい会は私が始めたので、21回ということは21年おしえに行っているということ。コンクールとこのおさらい会のあとの打上げは、いつも泣いてるような気がします。部員も顧問の先生もOGもOBも私も。。感動の涙です。

お筝を通してみんなが元気になったり、幸せを感じる様子を見ると、私はほんとにうれしい。そして、私も少しはひとの役に立つことがあるのかもしれないと自分の存在の意味を見出すことができるのです。
大切な生徒さんや高校生たち。。。

誰かを大切に思い、愛するということはこんなにも自分を幸せにしてくれるんだなあと思います。

そして、小学校3年生の時の担任の先生を訪ねました。思ったよりお元気でよかった!
「あの頃はおとなしくて、音楽家になってしかも外国にひとりで行くような男まさりになるとは思わなかったけどねえ。」と、先生。
私もこうなるとは想像もしていませんでした(笑)
つつましくて控えめなかわいいお嫁さんになるはずだったんだけどなあ。。。男まさりとは!(爆笑)
ほんとに意外な展開というべきか自分のことは自分ではなかなかわからないというべきか、どこでどうなるかなんて予想できませんね。

そういえば、和歌山に帰る前に突然頸がまわらなくなって、まったく後ろにも頸が曲がらず、目薬もさせない有様。和歌山では整体に通い、治していただきました。桜の花が咲き始める頃、頸を痛めて来る人がなぜか多いらしいです。理由はわからないそうですけど。。。

コンサートも近づいてきました。
ご予約くださったみなさまありがとうございます。
40人の方々のために心をこめてお届けします。

お手紙を書くときには、向こうにいるひとを想って、封筒と便箋を選び、ペンを選び、時には下手な絵を描き、字体も少しはちがったりして、最後に切手を選んで封をし、投函します。
郵便ポストで手から手紙が離れる瞬間、その手紙は私から離れて旅に出るように宛先に向かって動きはじめます。勇気とさみしさと一種の開き直りと、、そしてほんの少しの後悔と。。。
手紙を出すときの気持ちは、音を出すとき、ことばを声にするときに似ているような気がするんです。

手紙を出した後は、まるでそのなんだか入り混じった気持ちを振り払うように、走り出したくなってしまいます。

別れと出発が同時にやってくる。
その高ぶりがちょっぴり心を狂わせるのかもしれません。

春もそんな季節ですね。

大きいコンサートもいいけれど、ちいさなところでひとりひとりの方の心に大切に音楽を届けられるようなコンサートをしたいというのが私の夢のひとつでした。
わたしの「声」はそんなに大きくないですから。。。(微笑)
だから、今回のシリーズは、とてもうれしいことなのです。

コンサートの次の日からドイツに行くことになりました。コンサートが終わったら成田のホテルに直行。
次の日はドイツの空の下。
予想とはちがったけれど、やっぱり私は幸せです。

2007年03月09日 『人と関わること』

今日は、コンサートのための編曲を聴きに高橋悠治さんがお忙しい中、わざわざ鎌倉の私の家まで来てくださいました。

編曲といっても原曲をお筝で弾き歌いできるようにしただけなのですが、演奏についていろいろ教えていただきました。ここはどう弾くとか歌うとかそんな細かいものではなく、もっと根本的なこと。
悠治さんが言ってくださることはイメージできるんだけれど、実際やってみると全然できない。
自由になるためのほんとうの技術。
頭で考えてるうちはだめ、力が抜けてないとできない、とわかっていてもなかなかできません。。。
うーん。。これって私が教えている生徒さんたちとたぶん同じ気持ちなんでしょうね。(汗)
練習しなくっちゃ!

悠治さんはともかくなんでもお見通しなので、私がそれまで(30年以上)持っていた「根拠のない自信」(悠治さんいはく)なんて、たったひとことであっけなくこっぱみじんに壊れました。その後、わからなかったりできなかったりして厳しく怒られたことも何度もありました。それでも、自信を失くして何もできなくなってしまったときに救ってくださったのもまた悠治さんなのです。

今日も音楽の話、楽器の話、それから音楽以外にも今考えていることなんかを私はひとりで話し続けていました。「それはどういうことなの?」と、途中で鋭い質問があったりすると、はっきりと答えられなくてもう一度考え直すことになったり、そのひとことだけで抜け落ちていたところに気づいたりするんです。そして、私のだらだら脈絡のないよくわからない話に対して悠治さんはいつもほんの少しのことばで答えてくださいます。

悠治さんのことばは私にとって宝物です。
たったひとことなんですけれど、そのことばによって発想が逆転したり、世界が急に広がって、追い詰めて狭く細くなって自滅していくことから救われるのです。

「人と関わることで見えてくる自分もあるんだよ。」
今の私の心に深く響きました。

ひとしきりお話を聞いていただいた後、悠治さんは鎌倉のご実家に行かれるということで、私も途中までついていくことに。
昔あったトンネルや近道を教えてもらったり、ちょっとのぞいてみたりしながら、とても楽しいお散歩。

悠治さんは大尊敬し、そして大好きで大切な先生。
ほんとうにほんとうにありがとうございます。

話している最中に、部屋の中に置いてあった鈴が急に大きな音をたててチャリリーンと鳴りました。
悠治さんと顔を見合わせて、「い、いまのって風のせいですよね!?(ビクッ!。。怖)」


2007年03月08日 『植物文様第六集~十七絃筝組曲~』

昨日は、美容院に行き、帰りに友人宅に立ち寄りました。
壁いっぱいの大きなスクリーンを買って、DVDもすごい迫力で見られるとのこと。
なにしろ、私はテレビもほとんど見ないし、ビデオの機械もあまりいい状態とは言えないし、DVDなんて見ることは当然できず、演奏会のビデオを戴いてもいつも見ることができないまま残念な気持ちでいましたから、喜んでたまっていた自分の記録を持って訪ねました。

音響環境もすばらしく、これはまるで映画館!しかもふかふかのソファーでおいしいコーヒーをいただきながら!
なんて贅沢な空間なんだ!
まあ、その友人にとっては仕事の関係もあってこの環境は必要なものなんですけど、それにしても、いいなあ(羨)

で、順番に見始めました。
大きなスクリーンにデカデカと映し出された自分の演奏姿。ぎゃあ!こんな姿で弾いてるのかあ。。。ウ、ウデの筋肉がモリモリしてて、これじゃあ、プロレスラーみたい!(>_<)この衣裳は二度と着ないわー!とか、大騒ぎ。
でも、映し方で全然違うんですよね。あとは、編集ももちろん。同じものでも撮影や編集の仕方で全く違うものになっちゃうんですよね。実感!
のっぺりしたカメラの動きだと、映ってるひとものぺーっと間延びして、音楽までそう聴こえちゃう。角度によってすべての表情は変わるし、切り取り方によって焦点も違ってくるし、状況の変化の間合いとかが絶妙だったりすると「おおーっ!!!」って歓声をあげてしまいます。
いつの間にかそんなことばかり見ていて、自分の姿よりそっちが気になって、おもしろくてまたまた好奇心をそそられたのでした。映画作りって楽しいだろうなあ。なんて思いました。

というわけで、よし!今年はいっぱい映画を観よう!とひそかに決心したのでした(ひそかじゃないじゃん(^_^;))
うーーむ。DVDを見ることができたら昔の映画だって観られるんだよねー。しかし、そのために何が必要なんだろ?テレビも買わなくちゃいけないの?

ほしいなあ。。。旅行を一回我慢すれば買えるかなあ?

昨夜観た中で一番興味深かったのは、金沢21世紀美術館で2005年に行われた「珪藻土アートプロジェクト 古代からのおくりもの」の記録。美術は伊藤公象先生、久世健二先生をはじめとする美術家の方々。音楽は藤枝守さん。(このことは以前この日記(2005.10)にも書きました!もしよかったら読んでみてください。)

前置き長し!ここから「植物文様」について少しお話します。

藤枝守さんは、銅金裕司さんとの共同作業の中で、植物の、人間でいう脳波のようなものを取り出して、コンピュータで音に変換するという作業をし、そこに現れたいくつかの旋律を採集して、それらをはりつけたり、つないだりして編みこむことによって作曲することを試み、そこでさまざまな音律を用いています。
(詳しくは今年2月に発売された藤枝さんの著書「[増補]響きの考古学 音律の世界史からの冒険(解説 中沢新一)」(平凡社ライブラリー)をお読みください。)

今回演奏する第六集は、十七絃ソロのための曲で1996年の私のリサイタルで初演しました。
もう10年以上も経つんですね。。。
今や平均律という音律(ピアノの調律)にほとんどの人はなじんでいて、学校教育もそうですし、ポップスもすべてその音律ですから、私もそのときまではドとドのシャープの間に音があるなんてことを特に気にしてはいませんでした!筝を調絃するときには、半音の間に音があるということはもちろん耳でもわかりますし、柱(じ)と呼ばれるブリッジの移動で目にもはっきりとわかります。それらの音を聴いてはいても単なる通過音として聞いていただけ。わかっていてもどう意識するかによって、その存在価値は決まるのですよね。つまりは自分の世界からいらないものとして除外していた音だったのですね。

最初、いわゆる平均律からいうと合っていない中途半端な狂った音の列を聞いたときに、うなりはあるし、まるで船酔い状態。気分が悪くなるような、めまいがしているような感じがして居心地は悪いし、演奏し続けることすらちょっと苦痛なくらいでした。実際、「植物文様」の演奏を聴いて気分が悪くなったと帰られた某音楽家の方もいました。(笑)
わたしたちは、知らない間にそれだけ平均律のからだに矯正されているんですね。

習慣や先入観がどれだけ世界をせまく、不自由にしているかしれません。しかも、それは無意識だったりしますから、油断なりませんね!

で、だんだん耳になじんでくると、つまり身体になじんでくると、世界は12音から一気に無数の音が存在する世界へと広がって、さまざまな旅をすることができます。私の楽器たちも私と同じ。平均律になじんでましたから、最初はほかの音律を拒否していたようですけれど、少しずつちがった音律の響きに楽器は自由に反応するようになり、楽器自体が自然とたくさんの顔をもち、表情をもち、個性をもつようになってくるのです。

さて、今回はみなさんの耳にどう届きますでしょうか?
そして、当日会場にある植物たちはどんな風に聴いてくれるのかしら。とちょっぴり楽しみでもあるのです。


2007年03月06日 『みじかいおはなし みっつめ』

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ぼくたちは、はるのゆき。


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ねえねえ、おひさまはどこ?


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なかよしなんだ。


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ここでまってるね。

2007年03月05日 『パレスチナのこどものかみさまへのてがみ』

昨夜入浴中にひとつの考えを思いつきました!といってもそんな大げさなものでもないんですけど、ここに今度の「LETTER」コンサートの曲目解説を載せてしまおうということ。

私の入浴時間は短くて1時間。普通は1時間半~2時間、長いときは3時間。いつまででも入っていられます。お風呂に住んでもいいと思うくらい(^_^)v!お風呂大好きです!バスソルト、石鹸、シャンプー、コンディショナーはその日の気分で選び、ミネラルウォーターを持ち込み、いい香りに包まれて半身浴。これほどの幸せはないよなあ(*^_^*)といつも思います。
そして、たいていお風呂の中で考え事をするんですね。。。結構おもしろいことを考えつくんです。たまにとんでもないこともありますけどね。

昔から思ってましたけど、銭湯とか温泉って不思議だと思いません?だって、あの扉ひとつ、というかあのぺらぺらののれん一枚で、いつも挨拶くらいしかしない近所のおばさまや見ず知らずのひとの前で裸になれちゃうんですよーーー!?し、しかも番台に男の人が座ってたりすることもあるじゃないですか!!!
普段は恥ずかしいことが、どうしてあの薄っぺらいのれんをくぐるだけでそんなに大胆になれるのかいまだに謎。
まわりのひとに聞いても、「それが銭湯ってもんでしょ。そう言いながらあんただって平気で入ってるじゃない(-.-)」「ま、まあね。。」
しかし、あののれんの威力はスゴイ!ドラえもんの道具に加えてほしいくらい。

『だいたんのれん』(名前まで一応考えてます)

舞台袖にかけておいてそれをくぐれば緊張しないというわけ(^_^)v
ほしいひといっぱいいるはずです!私もほしい!

それに、銭湯や温泉ってみんな仲良くほがらかになるでしょ?しかめっ面して入ってるひと見たことないし、自然に力も抜けます。しかも、お金があってもなくてもここでは人間の身ひとつですからね、みんなおんなじ。スタイルよくても注目されるわけでもなし、すっぴんだし、おサルさんがたまに温泉に入ってるのを見るけどあれとおんなじ。「ヒト」という名称の動物にかえるわけですね。つまり。。。!
サミットなんかの国際会議や国連の会議も温泉や銭湯でやるべき!とまじめに提唱したい私です。

ものすごく話は逸れてしまいましたが、最初の話題に話を戻すと、大体、いつもプログラムの原稿は前日とかになってしまってまわりに迷惑をかけているし、かといって曲間でお話をするのもものすごく苦手で、今回も悩んだ末お話はしないことに決めています。
私のトークはおそろしくつまらないし、脈絡はなく、脱線したら二度ともとには戻ってこないので何が言いたいのか自分でも途中からわからなくなってしまうほどですから、聞いているひとはさらにわからないと思います。(この文章を見てもおわかりのとおり(^_^;))

で、それなら、当日プログラムを配るとしても今のうちに原稿も兼ねてここに書いてみようと思いました。
解説を読まないで聴いた方がいいと思うこともありますから、それはみなさんに選択していただきたいと思います。まあ、今の時期に読めば本番までほどよく忘れるかもという期待もあります(笑)。
コンサートにいらしていただけない方々にも、少し知っていただければなあ。などとも思います。
解説といっても、その曲の構成云々みたいなものでなく、それにちなんだエピソードみたいなものです。

では、ここから。(読まないほうがいいという方はここで。ではまた!)

「パレスチナのこどものかみさまのてがみ」は戦争でテント暮らしをしている難民のこどものかみさまへのお願いごとを歌にして作曲された高橋悠治さんの作品です。つまり、てがみ=お願い。
歌詞はやはり本番で聴いてください。聴いていただけない方にはコンサートが終わったらこの日記にあらためて載せてお伝えしますね。

こどもたちは、おとなたちの事情や、まして国と国、政治のこと、宗教のこと、経済のことなんてわからない。そんなことはどうだっていい。今日のごはんのこと、寝る場所のこと、家族のこと、ともだちと遊ぶこと、そんな目の前のことがなにより大事。それしか関心がない。
わけもわからずある日突然戦争に巻き込まれ、すべてを奪われ、テント暮らし、逃げ惑う日々。青い空を見上げてこどもはきっと「どうしてこうなっちゃたの?」「ぼくはなんにもわるいことはしてないのにどうして?」「でも、かみさまはきっとたすけてくれる!」と、空の向こうにいるかみさまに語りかけ、お祈りするのです。

歌うたびに胸が痛んでたまりませんでした。今までは、伴奏楽器があり、打楽器があり、歌も複数で歌うというかたちでしたが、どうしてもひとりで歌ってみたいと思い、筝の弾き語りができるように編曲しました。

高橋悠治さんの作品は初演を含め何曲か歌わせていただいていますが、どの曲も大好きで、歌い終わったあとはまるでその歌やことばが空間や自分のこころの水面に波紋がひろがってゆっくりと消えていくような余韻があります。それは、「かなしみ」とひとことでかたずけられるものではなくて、単純なものの裏にある大切な何かを投げかけられたような気がします。悠治さんの作品であるということを超えて何か強いものを自分に問いかけられたような気がするのです。

何かを求めるために、捨ててしまったもの、忘れてしまったもの、落としていったもの、こぼれていったもの。
その何かはそんなに大切なものですか?
捨てるべきものはなんだろう?


2007年03月03日 『こどもちゃんレッスンでの会話②』

3月3日、ひなまつりですね。
今日は、20代の頃小学生や中学生の家庭教師やら芸大邦楽科の受験生に楽典を教えるレッスンやらをしていたお話を書こうかなと思った矢先、それこそ私が楽典を教えた男の子(?)から、奥様が女の子を無事出産されたというメールをいただき、なんだか一気におめでたいはなやいだ気分になりました。おめでとう!

そうなんですよね。あたりまえのことだけど、みんなどんどん大人になって生活も変わっていくわけで。。。

教えていて感じたことは、大体女の子はまじめにきちんとお勉強するので私もおだやかに教えることができるのですが、男の子は隙あらばサボるという子が多くてその首根っこをとっつかまえて「ちゃんとやりなさい!」と、まずお勉強する態勢にもっていくことからという感じ。だから、女の子より数倍男の子には厳しかったかもしれません(笑)。今だに会うと「先生の宿題は多すぎ。あれは不可能です。無理!勘弁してと何度思ったか。。見捨てられた方がよっぽどましと思いましたよ。」と言われます。
「えっ?そう?そういえば前日に徹夜とかしてレッスンの日は目が真っ赤だったよね!(笑)」
「笑い事じゃないですよ!まあね、でも、たまにあの「地獄」をもう一度味わいたいと思うときもあります(笑)。」

普通の家庭教師も少しやっていて小学生から中学生にかけて教えましたが、中学生になって反抗期に入り、私とあるこどもちゃんとの関係もなかなか過激でした。

・・・・・(宿題をやり終えることができず、私の前で残り問題を解き始める。)・・・・・

こどもちゃん 「ったく、宿題多すぎんだよなあ、こんなのできるわけねーじゃん、ブツブツ。。。(-"-)(この頃こどもちゃんは反抗期でことばづかいも荒れてました。)」
 「何言ってんの?一週間もあったんだからね。自分ができなかったことひとのせいにしないでよ。(ー_ー)!!(と、私もなぜかけんかごし。)」

・・・・・(時間は予定時間をとっくにすぎ、それでも宿題の残りは終わらず。)・・・・・

こどもちゃん 「(急に鉛筆を置いて)もう、帰れよー。こんなのやってらんねえよ。もう、帰れ!(叫)」
 「帰れってどういうことよ!私だってひまつぶししてるわけじゃないのよー!(泣叫)」
こどもちゃん 「ともかくもうやめた!」
 「あっ!そう!大体、私のために勉強してるんだなんて思わないでよね。自分のためにやるんでしょ?」

・・・・・ドタバタ激しい言い合いは続く中、トン、トン、トン、、、(あっ!(ーー゛)おかあさんが階段を上ってくる足音)・・・・・

☆☆☆ふたりとも固まって無言のうちに休戦。(-_-)☆☆☆

おかあさん 「先生、遅くまですみません。おやつをお持ちしました。(^_^)」
 「あ。こちらこそ遅くまですみません。ありがとうございます。(^_^;)」
こどもちゃん 「。。。(無言で机に向かいペンを走らせる)(-"-)」
おかあさん 「では、よろしくお願いします。(^_^)」
 「はい。(^_^;)」

・・・・・おかあさん、安心して階下に・・・・・

戦闘再開!(しかし、ちょっと戦意は落ちてる。。。なんとなく間が抜けてしまった。しかも、おやつでテンション下がった?)

こどもちゃん 「帰れって言ってるだろ。こんなの今日中にやれるわけねーじゃん。もういいって言ってるだろ?いいかげんに帰れよ!」
 「帰れ帰れって、それになに?そのことばづかい!えらかったら、全部丁寧語に置き換えて私に怒鳴ってみなさいよ!(すでに涙は消えている)」
こどもちゃん 「んなことできるわけねーだろ!」
 「そんなことできるわけがありません。でしょ?」
こどもちゃん 「うるせー!」
 「じゃあ、私が直してあげるわよー!『恐れ入りますがどうかお帰りください。こんなにたくさんの宿題を今日中に終えることはできません。大変申し訳ありませんが今日のところはこのへんにしていただけないでしょうか。』でしょ?(まあ、かなりいやみな言い回しだけど。。。(^_^;))
さあ!このことばづかいでその怒った顔で怒鳴ってみなさいよ!!!」
こどもちゃん 「。。。」

しばし沈黙の間があって、顔を見合わせて、爆笑!!!(^O^)

無理だよね。。このことばで怒鳴るのは。。。。(笑、笑)

そうしてふたりで夜中までお菓子をいただきながら仲良くお勉強をしたのでした。
4年ほどの間に喧嘩をしたことは何度もあったけれど、結局おかあさんにはバレずじまい。その辺はなぜか暗黙の了解でしたね。
今はそのこどもちゃんも立派なおとなになったけれど、いまだに私にとってはかわいいんだなあ。。。

怒鳴るときには怒鳴るときのことばが必要なんですよね。ふむ。
丁寧すぎることばも慇懃無礼な感じがして、なんだか嫌味だな~って思うけれど、もしかしたら、使うことばを変えることで性格だって変わっちゃうのかもしれないなあ。などと思うときもあります。

そういえば、あるコンビニでの前で高校生の子たちがすわりこんでたむろしていくら言ってもやめてくれなかったのに、クラシック音楽を流したら何もいわなくてもあっという間にその子たちはいなくなったっていうニュースを耳にしました。

クラシック音楽がいいとか、すわりこんでる子たちがいけないとかそういうことじゃなくて、自力で内面を変えることや自分の中の新しい発見をすることはむずかしいけれど、環境とかことばとか外側をただ何も考えずに変えてみるだけで意外とすんなり変わることもあるかもしれないなあと思いました。

ともかくも、こどもちゃんバンザイ!(^_^)v

2007年03月01日 『コンサートに向けて』

今日から3月ですね。
真っ青な空が山々をくっきりと浮かび上がらせて、我が家のベランダから見えるちいさな川の水面はきらきらと輝いています。

自主コンサート「LETTER」再始動します!スケジュール、アップしました。
四季折々に一度ずつ開いてゆきます。是非聴いてくださいね。

粘土みたいなかたまりが自分の中にまず生まれて、それがどんどん膨らんで、どういうかたちにしていこうかなとようやく土を捏ね始めたような感じ。それが今の気持ちです。
でも、この気持ちになるまで2,3年かかったかもしれません。。。(苦笑)

今朝、母から電話がありました。
何かと思ったら、「庭のシャクヤクの芽が今日出てたのよ。」と、ただそれだけ。
でも、なんだかとってもうれしかった!

みなさまにお会いできるのを楽しみにしています。

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