
<LAKE FOREST COLLEGE でのこと その2>
そんなこんなで、22日は朝からワークショップ。
英語は苦手。だから、用意した原稿を読んで、演奏して、30分隙間なくまくしたてる。
質問は?最初の方は比較的単純な質問だったけれど、徐々に複雑に。
日本では、昔、コンサートホールで演奏していたわけじゃなく室内で演奏されていたわけで、その目的は人に聞かせるためじゃないなら、一体なんのために演奏されていたのか?という質問。
うーむ。。。ひとりで音を楽しむこともあるし、音を味わうということもあるだろう、瞑想ということもあるかなあ、もちろん数人のひとにきかせることもある(ヨーロッパでもサロンとかあったんですよね。確か。。?)、でも、要するに音楽会用のホールがあって聴衆を集めて音楽だけの会なんていうのは明治までなかっただろうし、まあ、歌舞伎や文楽の音楽はあるけど。。。ぶつぶつ。。そんなことをバラバラの英語で言っていたら、答がまとまらなくて、もう最後にヤケになって ”I'm sorry. I can't speak!”
でも、よく考えてみると、こちらでは自分ひとりで月を見ながら、あるいは風の音や虫の声を聴きながら、ひとり物思いにふけって楽器をつまびくなんてことはないのかもしれない。
音楽の楽しみ方、音の味わい方も違うのかな?
もうひとつは、演奏する手の動きが美しいけれど、それにはなにか特別な、たとえばダンスのレッスンのようなものをするのですか?という質問。
それは、ないです。だけど、音とからだの動きは別のものではなく、音を鳴らすということはからだを鳴らすということなのかもしれません。(とは言えなかった。。。残念)その点で言えば、呼吸ということもすごく大切な要素です。(これは言えた!)
さて、ワークショップも無事?終了。
午後はのんびりして、お夕食は日本について勉強している学生3人と一緒に校内のカフェテリアへ。
女の子ふたりと男の子ひとり。
男の子はとてもかわいくてシャイで、「小さな恋のメロディー」の主人公みたい。ほんの少しお話ししたけど、授業があってゆっくりはできなかった。
女の子のひとりはイラン人で、名前はビタ。日本の福岡で生まれて育って、8月に入学したばかり。彼女のひいおじいちゃんが初めて日本にやって来てそれ以来ずっと家族は日本に住んでいるから彼女は4代目。もちろん、いまどきの日本の女の子と同じようなことばを話す。日本では、インターナショナルスクールに行っていたから、英語には困らないけど、こんなにたくさんの人がいるところでこれからやっていけるんだろうか?とすごく不安だったらしい。おねえさんも遊びにきたらしいけれどとにかく日本が大好きだからホームシックになっちゃって、すぐ帰っちゃったそうだ。
外見は、イラン人なんだけど、中身はほんとに日本人。
ジャーナリストになりたいそう。
もうひとりの女の子は、ルーマニア人で、名前はアンナ。ビタより学年がひとつ上。ご両親がルーマニアからアメリカにやって来た。アメリカで生まれて育った彼女はルーマニア語が話せない。だからおじいちゃんやおばあちゃんとはことばが通じない。
日本の文化は美しいと連発していた。彼女のボーイフレンドも日本の武術に興味があって、そちらを研究しているみたい。
彼女は、日本の文化財や古いものを修復する技術を学びたいと言っていた。将来、2年間くらいは日本に滞在して勉強したいそうだ。
この学校に来た理由は、まずお金がなくても奨学金の制度がしっかりしているから勉強しやすいことらしい。
最初は、専攻というものもなくともかく総合的にたくさんのことをいろんな角度から学んで、その中から将来のコースを決めていくのだそうだ。勉強はすごく大変で、寮のカフェは夜中2時まで開いていて、みんな勉強に疲れるとそこに集まって休憩するらしい。
ふたりとも勉強の方は大変そうだけれど、疲れている感じはない。目がきらきらしている。
夢があるからかな。
学びたいと思うこと、知りたいと思うことがいっぱいある。やってみたいことも、見たいことも、体験したいこともいっぱい。
ピカピカの好奇心!
いっしょに話しているうちに私も元気が出てきた。
そうだよね!知らないことなんて世の中にはいっぱいあって、おもしろいものやすてきなこと、美しいものはまだまだ世界中に、宇宙にごろごろ際限なく転がっている。
一生宝探し!
彼女たちとの話は私にとってとても興味深いものだった。
自分たちが何人なのかわからない。と言っていた。そういう友達がたくさんいるとも言っていた。
アメリカには、たぶんそういう人がたくさんいるのだろう。
彼女たちに国という意識はなくなっているのだろうか?
そうすれば、どんなに偏見なく、先入観なく、広い視野と中立の立場で物事を見ることができるだろう。と一瞬思う。
筝をやっているなら、なおさら、伝統や民族というものから完璧に離れて考えることは難しい。そこで守り続けるにしても打ち破るにしても。。。
美しいと感じるもの、心に届くもの、心を揺るがすもの、それは、時代や社会と完全に切り離して感じたり考えたりすることは難しいかもしれない。流行があり、風潮があり、環境がある。その中で生きている限り。。。
だけれど、彼女たちのような視点でものごとを見たり、聞いたりしてみれば、新しい発見があるかもしれないと思う。
自分の中に知らず知らずのうちに築かれてしまった垣根に気づくこと。それは直接的な出会いの効用ではなく、間接的な、そして大切な発見。
シカゴでどれだけたくさんの人に親切にしてもらったかしれない。
困ったら電話してきてくださいね。と、どの人も連絡先を教えてくれた。困ったときは笑顔で助けてくれた。(成田空港とは大違い!)
日本での情報だけを見ていると、アメリカはなんて横暴な、自己中心的な国だろう!と思ってしまうけれど、実際会った人々はほんとにすてきなひとたちばかりだった。そういうものなのだ。。
だから、実際会って、握手をし、たどたどしいことばであっても会話をし、音楽を楽しみ、食事を楽しむ。こういうことが、このちいさな積み重ねが実はとても大切で、平和への一歩につながっていくのだと思う。
彼女たちは、自分たちの祖先の国のことや歴史、文化、言語についてもそのうち勉強したいと言っていた。
日本に生まれて、日本で育った日本人である私。
彼女たちと出会ったおかげで今までとはちがう感覚で日本を見ることができるかもしれない。これからの日本を作っていくのはわたしたち。
ならば、今までの日本を冷静に見つつ、狂信的でなく、拒否するでなく、自分なりの美意識を持って美しい日本人になりたいと思う。
(上の写真、左からアンナ、ビタ、私。下の写真は、学食、木々、そして拾った大きなまつぼっくり)
