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2005年09月08日 『ものをつくること』

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 和歌山での「先生」から、鎌倉に帰って来ると、私自身の音楽や活動に関する仕事が山積していて、帰った次の日から録音、打ち合わせ、リハーサルというように毎日朝からバタバタと出かけ、プレイヤーモードに切り替え!KOTOVORTEXのミーティングもありました。こちらの方も活動再開!

何より悩みの種は曲作り。
もうすぐシカゴに行くのだけれど、そこでのコンサートで自作曲を弾くことに決めた。台風で大雨が降る中、楽器を触っていてできた曲があったから、ちょっとしたきっかけで決めてしまった。
自分で決めたくせに、いざ発表するとなると自信がなくなってきて、少しでもまともな曲にしたいとあれこれ改善すべくああでもないこうでもないとやってみる。
今までたくさんの作曲家の作品を演奏し、初演し、作曲の段階から立ち会ってきたというのに、この私にはなんの身にもなっていなかったことを痛感!はぁ~。(溜息)

私は作曲というものを学んだこともないし、経験だってほとんどない。だから、作曲の方法というものを全く知らない。

じゃあ、どうする?

ものをつくることが同じことだとすればまずそこから出発するしかない。ふむ。でもね、大体こどもの頃から、私はものをつくることが苦手。
お料理は全然できなくて、友達が私の家に泊まりに来てくれて、朝食にスクランブルエッグを作っただけで感動される有様。
家庭科の宿題で手編みの毛糸の帽子を作ったときも、途中妙に大きいし、やたら広がっていく様子に異常を感じてはいたものの、いつまでたってもかたちが変だと思ったら、極細で編むべきものを極太の毛糸を使っていたらしくものすごく巨大な帽子を制作してしまったこともある(苦笑)
(気づくでしょう?普通は?こんな帽子かぶるのって象くらいじゃない!?って)
パジャマを作れば、かたちにはなったもののゴムがきつすぎて血が止まりそうだし、どことなくかたちが垢抜けなくて、こんなの着て寝ると悪夢を見そうだ!と思ってついに一度も袖を通さなかった。
四角い木を彫って人の像をつくるときも、とうとう最後までトーテンポールから脱出できなくて、クラスでひとり謎の像を作ってしまったり、失敗談はありすぎて語り尽くせない。。。

やっぱりものを作れる人はスゴイ!
でも感心している場合じゃないから考える。。。。ふむふむ。。
ともかく筋道を立てたり、論理的な思考を組み立てたり、構築していくことが私にはできないということがわかってくる。
行き当たりばったりの感覚と本能と勘。これだけで生きてきた!縄文人だと思う、たぶん。。。と、すぐ話は逸れる。だめだめ!

で、こどもに学ぼう!とばかりにわらべうたを辿ってみることに。
分析などできないけれど、こどもたちは身の回りにあるほんの少しのことばや音で生き生きと音楽を作っている。
私にもなにかできるかもしれない!と勇気づけられる。
やっぱり遊ぶということから徐々に何かを見つけつつ、つないでいく、ひろげていく、というやり方しかないと思い、またまた、ああでもないこうでもないとぽろぽろ筝を鳴らしてみたり、わけのわからないうたをくちずさんでみたりしている。
これはいいかも!と思っても次の日になってもう一度弾いてみると、とんでもなくつまらないものだったりしてまた振り出しに。このくりかえし。。。
シカゴに行くまで間に合うのかなあ。。。と実は少々焦っている。
しかも、なんと、シカゴ大学では英語でワークショップしなくてはならない羽目に!こちらの方も半泣き状態で、あれこれ考えている最中。
ものをつくるのが苦手なことに変わりはないけれど、どんな稚拙なものでもいいから、どんな愚直なものでもいいから、作っていきたいと今は思っている。

どうしてそう思うんだろう?
どうしてそう思うようになったのだろう?

音にあるいのち。ことばにあるいのち。
そのちいさなちいさな世界の中に、おおきなおおきな世界が拡がっている。宇宙に向かうように。もっと遠くの知らない世界につながっている。
そんな無数の星たちをただ眺めているだけでなく、その中に入っていって遊んでみたい、泳いでみたい、そんな気がしたのかな。

作るためのマニュアルもなければ、何ができるか結果も予想できない。ただ目の前にある材料をこねたり、ひっぱったり、つぶしたり、ちぎったりしながら、その中で何かができるかも。と探っていくこと。それしか、今、私にできる方法はないのかな。と思っている。

追記:あっ!そういえば、これは全く関係のないことだけれど、最近寝る前にトーベ・ヤンソンの「ムーミン谷の彗星」を愛読している。これを読んで寝るとなんだかとても幸せな気分で睡眠に入れることをご報告!

(写真は私の鎌倉の家のベランダから撮ったもの。)

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 9月4日、和歌山市のメディア・アートホールにおいて私の教室のおさらい会を行った。
出演者は21名の生徒さんと私、ゲストに尺八の芦垣皞盟さんをお迎えしての演奏会。
11時30分開演で、5時の閉館時ぎりぎりまでプログラムは続く。生徒さんは、小学生から60代までの方々。年に一度夏の終わりに行うのが恒例となっている。

演奏会の準備からリハーサル、ゲネプロ、当日の進行、会計、宣伝などは、それぞれ生徒さんたちが分担してやってくれる。だから、演奏のことだけじゃなく舞台裏で走り回っていたり、演奏会前にあれこれ時間を割いて印刷や宣伝などにまわってくれたり、ともかく私は一年に一度のお祭りと思っているけれどみんな練習と準備で夏が特に大変なのだ。

私はほとんど筝の指導に関することだけ、あとは司会の文章の原稿を22曲分書いた。
これは毎年私が自分の仕事と勝手に決めていることで、私がそれぞれの方と歩んだ一年間を思い返し、レッスンや選曲にあたって何を考えたかというようなことをメッセージのつもりで綴る。生徒さんひとりひとりへの一年間の思いをこめて何かしたいと思って始めた。

演奏会は無事終了。(今年はちゃんと時間内に終わってよかった!去年は時間をオーバーして、最後の曲は閉館の音楽と同時進行になってしまったのだ。)みんなそれぞれに充実したいい演奏だった。

教えることってなんだろう?って思う。
昔は、ガンガン弾きまくって、できないことはできるようになるまで練習練習!
という風に言っていたかなあ。。。自分がそうしてきたから。
でも、今は、それぞれの人にある苦手な部分やできないことに手を貸すというつもりでいる。

まずは、どうしてできないのか、何が原因なのか考える。それから、どうすればよくなって楽に弾けるようになるかを考える。お医者さんみたいなもの?と言ったら大げさかな。
それぞれ手のかたちも体型も体力もちがう。身体がちがうのだから同じことを言ってたってだめ。感覚だってちがう。。。
教えるということは、目の前の技術の巧拙というただその部分を見て訓練を押しつけるだけでなく、その人の全体をわからなければほんとうの改善にはならないし、根本的な解決にはならないように思う。
鍼灸師のように、その人のよくない部分を治すべきツボを探さなくちゃならないのだ。
そのためには、まず自分自身の身体のこと感覚のことを知っていなくちゃならない。
それが少しわかるようになってきたから、逆に教える方法も変わってきたのかな?

そうして、水泳にたとえるなら、まずはビート板となって、自分で泳げるようになるまでは手を貸す。
あとは、25mは泳げるようになったね!とか、こういう泳ぎ方もあるよ。とか、さあ!今度は100mに挑戦してみよう!もう海に出てもだいじょうぶだよ!という風にどこまで進んだかを教えてあげたり、次の段階を示してあげる。
そして、プールの中のこと、いろんな海や川の潮や流れ、波、温度、そしてそこに広がる風景、非常事態の対処の仕方、そんなものをどれだけ自分の中に持っていて知らせてあげられるかが先生と呼ばれることの意味かなと思う。

音楽という共通の話題があれば、年代や環境は簡単に超えてぺちゃくちゃおしゃべりすることができる。それは上達するという目的以外の大きな楽しみ。
誰もがいろんな環境の中で生活をし、それぞれの状況は日々変化する。受験、就職、結婚、子育て、退職、介護、自分自身の悩み、、、
筝や仲間が支えになることもある。筝ができなくなることもあるけれど。。。

私は、教室がみんなにとってちいさなおうちであればいいなと思っている。
いつも玄関には鍵がかかっていなくて開け放したまま。窓も全開。出入りは自由。
ちいさなおうちに住む大家族。

やむなく離れても、また戻っておいで、いつでも待ってるからね。と静かに建っているおうち。
かたちがなければ壊れることもないし、守るための高い壁もなくていい。

いつ消えるかもしれない幻のおうちかもしれないけれど。。。住んでいると思える人にしか住んでいることのできないおうちかもしれないけれど。。。

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 9月3日、和歌山県民文化会館大ホールにおいて高校生の箏曲コンクール和歌山大会が開催された。これは高校野球で甲子園に行くための地区予選みたいな意味を持つコンクール。今年は、念願の4年ぶりの優勝!

この日はあろうことか私の教室の年に一度のおさらい会のリハーサルと重なってしまった。私にとってはどちらも大切な生徒さん。
さて、どうしよう。。。。?
結局、かけもちすることに。
調弦はOGに任せて、私はリハーサルを進めつつ、外には顧問の先生が車で待機してくれていて、2曲前になると電話をもらって車に飛び乗りホールに移動。走る走るー!
舞台に上がる前に、みんなに声をかけ、最後の注意事項を伝え、何の心配もなく弾けるようにセッティングや楽器を点検し、無事演奏を終えるとまたすぐ車に飛び乗りリハーサル会場へ移動。またまた走る走るー!これを2回も炎天下の中繰り返したのだから、我ながらよく体力がもったと感心。(まだまだ若いじゃん!)

今年の我が校の曲は、沢井忠夫作曲「黒田節による幻想曲」(1.2年生)と新実徳英作曲「オデュッセイア」(2.3年生)。
部員のほとんど全員が高校に入学してから筝を始めた。みんなたぶんお筝をよく見たこともなかっただろう。
なのにこんな大曲が弾けるまで成長した。

私は大学を卒業してすぐに自分の母校である和歌山県立桐蔭高校の箏曲部の講師になった。最初の頃は、私の教室の生徒さんもひとりとかふたりとかともかくすごく少なかったので、クラブに教えに行く時間はたっぷりあったし、部員も少なかったので学校にはよく通った。その頃は警備も今のように厳しくなかったので学校の和室で合宿して、泊まったこともあった。
講師になって初めて行ったときに楽器庫を見たらものすごい年代物の楽器がほこりだらけになってかまぼこの板みたいに何面も立てかけられていて、出してみたら虫が這い出してきて、ぎゃ~っ!
虫に喰われていたものもたくさんあって、殺虫剤を撒くことから始まった。

箏曲部は、人気もなかったし(実は私も高校時代入部していなかった。。。)、注目もされず、同窓会館の2階の広くて暗い和室でひっそり存続していた。冷房はついていたけれど壊れていたのかなんなのかスイッチを入れた途端にものすごい轟音と共に冷蔵庫に入ったような寒さになるほどの恐るべき威力があって、真夏はこの強力な冷房の中で震えあがりながら弾くか猛暑に耐えるか究極の選択を迫られた。
そういえば、そのうちなぜかその機械の中に鳩が住み着いて雛鳥を生み、クックルークックルーとよく鳴いていたかと思うと、やがて巣立っていった。
冬になると、やたら広い和室はものすごい冷え込みで手はかじかんで動かないし、寒がりの私なんて教官室から借りてきたちっちゃな電気ストーブを抱えこむようにしてレッスンしてた。

だけど、部員ひとりひとりのことはほんとによくわかっていたし、よく話もした。おさらい会も始めた。
昔の方がこわい先生だったと思う。
全然練習できてなかったりすると、「一体何回弾いたの?私は漢字の読み方を教えに来てるんじゃないんだから!今日はみんなに教えることなんてなんにもありません!」とか言い捨てて、すぐ帰っちゃったりしていた。部員たちは、呆然と私の後ろ姿を見送ってたっけ?
今は、自分でもひぇ~っ!こわ~っ!と思ってしまう(笑)
そのうち、「5回弾いたといえば先生はちょっと許してくれるらしい」という話が先輩から後輩に語り継がれ、みんな叱られるコツを心得ていったみたい(苦笑)

コンクールは入賞が精一杯で、部員がひとりという氷河期もあり、廃部の危機もあった。
ユニークな生徒たちがいっぱいいた。もちろん今も。
個性的で、元気で、あきらめないこと。信じること。これがクラブの誇り。
本ばかり読んで過激な文章書いてた子、授業には全然出ないけどクラブには顔を出してた子、中学時代不良で窓ガラス割ったりして高校に入ってからは舎弟と呼ばれる男の子たちを何人も率いてコンクールの曲をせっせとコンピュータで打ち込ませデモテープを作らせていた子、おとなしいけど面倒見のいいやさしい子、不器用だけど一所懸命努力してた子、感動してすぐ泣いちゃう子、お化粧道具を教えてくれた子、もういろいろいろいろ。。。みんな大好き!

そのうち仕事が忙しくなって、クラブに行く回数はどんどん減っていった。
だから、1年生の手ほどきは2年生と3年生の仕事になった。コンクールやおさらい会前のやりとりは、テープとFAXで添削指導。でもね、心はきちんと通じてる。
そうやって私の手をどんどん離れてみんな信じられないくらい上手くなっていった。
私の行く回数が減れば減るほど。。。
みんなで作ってきた自分たちの伝統。
2度の優勝があり、全国大会にも行った。

最近はレッスンに行くと階段や出入り口、お部屋の中まできれいにお掃除してみんなが迎えてくれる。たまのレッスンだから2、3時間ずっと正座のままになってしまうこともある。途中で「休憩入れる?」と聞いても「このまま続けます。」って答えが返ってくる。きらきらした目と感じようとするちから、吸収力、集中力、好奇心。
一回のレッスンでどんどん変わっていく。

今回のコンクールは結果発表に立ち会えなかった。優勝が決まった瞬間は、ほとんど悲鳴に近い大声で狂喜、涙、涙、涙だったらしい。
優勝できなくて残念な涙も、喜んで流した涙もいっぱいある。私もいつもいっしょに。。。
コンクールに勝利するためだけの高校生活にはしてほしくなかったから、登山ならわざと険しくて遠回りなルートをいつも選んだ。
一位になれなくても意味のあるたくさんの発見をして、考えて、いろんな思いをしてほしかった。それが正しい判断かどうかは今もわからない。優勝できなくて泣いているこどもたちを見て、心の中で自分のやり方を押しつけてしまったことを謝ったことも何度もある。
でも、変えないまま。
変えない理由?卒業生たちが、今の部員たちが、顧問の先生が私を信頼し、理解してくれているから。これがうちの高校の方法だから。みんなの誇りだから。

今回演奏を聴いて感動して泣いた。自分が教えた子たちだから、手前みそかもしれないけど、ほんとにすばらしかった。私の教えたことなんて溶けて無くなって自分たちのものになってたから。。
結果はどうでもいい?ううん、やっぱり優勝はうれしいよね!

おめでとう!

ここに至るまで、人間関係が難しくなったり、自信を失くしたり、劣等感に苦しんだりしたこともあったと思うけど、それを自分たち自身で解決し乗り越えてきたからみんなにはほんとうの友情が芽生えた。
和室は、クラブの成績が上がったことで冷暖房完備、畳も新しくなり、いい環境になった。
だけど、なにより、この和室はみんなの大切な場所になっている。朝、授業が始まる前、放課後、なぜかここに集まるとほっとする。どうでもいい話や遊びに盛り上がれる友達がいるからね。お花見やカラオケ、焼肉、外でシート広げて練習も。。。たくさんの思い出がいっぱいできてよかった。
そんな場所になったことを心からうれしいと思う。

生徒たちが、この和室でお鍋をするとか、あげくの果てにはここに住むと言い出したので、顧問の先生が慌ててご自分のお宅にみんなを呼んでバーベキューをしたそうだ。
顧問の先生はお筝のこともわからないし、見守ることに徹してる。だけどいつでもみんなを思っている。
先生も大泣きだった!

卒業生も応援に駆けつけてくれた!
みんなで積み上げてきた結果だものね。
打ち上げは、まるで懺悔の会のように、先輩も後輩も謝って泣いてばかりだった。誰も誰かを責めなかった。優勝できなかったときの打ち上げもいつもそう。
自慢できるよ。あなたたち。

全国大会は京都。もちろんコンクールなんだけど、この旅行が実はめちゃくちゃ楽しいのだ!
OGもOBも呼びかけて、みんなで行こうね!

(写真はトロフィーと3年生。打ち上げ時はすでに夕方にさしかかっていて、こんな暗い写真しか撮れなかった。。。トホホ)

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