2005年7月のPHOTO & DIARY

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 7月16日、和歌山・ナザレ幼稚園でワークショップを行った。参加してくれたのは、幼稚園のこどもたち(2歳~5歳)90名とおかあさんたち数名、先生たち。ここは私の出身幼稚園でもある。
学校公演は何度か経験もあるし、小学生のためのワークショップもしたことはあるけれど、今回は幼稚園のこどもたち。どうすればいいだろう?とずっと考えていた。
まず、こどもたちに何を伝えたいか、それをはっきりさせなくてはならない。そこから方法は考えよう。
どうしても、「筝を知ってもらいたい。日本の楽器、日本の音楽を知ってもらいたい。」ということから離れていく。実際、私は4歳の頃から筝を習い始めたのだけれど、日本の楽器であることなんかを意識したのはずっと後になってからで、筝は音の出る楽しいおもちゃでしかなかった。
今だってその気持ちはほとんど変わっていない。
そんな私がこどもたちに伝えたいこと。
見ているようで見ていないこと、聞いているようで聞いていないこと、身近にあるちいさな自然やものたち、起こっているできごとに気づいてほしいということかな。
昼も夜も、植物も動物もわたしたちと同じように空や太陽や雲や雨の様子を気にし、影響を受け、恩恵を受け、あるときには破壊されながら、生活し、おしゃべりし、いっしょに生きているということ。同一線上に生活しているということ。
こどもたちに通じることばは限られているし、楽しいことにもつまらないことにも敏感で正直。しかも集中できる時間もそう長くはないはず。
聞くこと、見ること、やってみること。。。
そうだ!紙芝居と音楽で何かしよう!と思い立った。紙芝居は、かつて桐蔭高校箏曲部の部長さんで、今は絵本作家のたまごの野志明加さんにお願いすることにした。お互いのやりとりはメール。紙芝居の内容に関してはふたりで相談しながら作り、結局おはなしができたのは本番の4日前。何度かの試行錯誤の末やっと決まった。
音楽の方は、あらかじめ私のつくった歌を練習してもらい、当日は日用品、手作り楽器、おもちゃ、私の持っているちいさな楽器、筝、などの音を使ってみんなで音楽つき紙芝居にしよう!ということにした。
13日、幼稚園に下見と打ち合わせに行く。先生に用意してもらうものや手伝っていただくこと、おかあさんたちにも参加していただくこと、大まかな段取りなどを話す。
ともかく初めてのことだし、この時点でもはっきりといろんなことが頭の中で整理されていたわけではなかった。
打ち合わせの後、こどもたちのいる教室をのぞかせてもらった。
絵本を読んでもらっている最中。ひとりが私を発見して廊下に飛び出してきたら、教室内のこどもたち全員が廊下に出たり、窓のところによじ登ったりして、あっという間に取り囲まれてしまった。「だれ?」「だれ?」「どうしたん?」「なんで?」こどもたちのにぎやかな質問攻め。
「土曜日、遊ぼうね。きっとね。」
16日。前日の夜ようやく段取りを決めたけれど、時間内におさめるということがものすごく苦手で、しかもやることがたくさんありすぎる気もして不安がいっぱい。おかあさんたちに説明し、そのうち野志さんもやってきた。完成した紙芝居を見るのは初めて。色がきれいで、夢があって、こどもたち喜んでくれるかもしれない!とちょっと自信が湧く。
さあ!いよいよこどもたちがやってきた!
わぁっ!やっぱりちっちゃいな。かわいいね。ほら、まだ指吸ってるこどもちゃんもいるよ!
まずはじめに、耳を澄ませることから。そして歌の練習。これはちょっとした体操のような振り付けあり。(運動音痴の私が考えました!)
みんな元気よく歌ってくれた。自分の曲を一生懸命練習して、元気よく楽しく歌ってくれるのを見てほんとに心からうれしかったし、感激した。(作曲家のよろこび?をちょっぴり味わったかな。。)
紙芝居は質問も織り交ぜながら進行。題名は「ちいさな め」。こどもたちは、絵から想像し、生活から想像し、たくさんの答えを言ってくれた。
じゃあ、次は音を出してみよう。たとえば紙。やぶく、まるめる、こする、ゆらす。。。なんでもない紙からこんなにたくさんの音が出るんだよ。どんなものも同じ。楽器もね。大きい音、ちいさな音、かすれた音、泣いてるみたいな音、笑ってる音。。。大切に音出そうね。
こどもたちをチームに分けて、さあ、紙芝居に音をつけよう!色をつけるみたいにね。おかあさんたちも参加してくださいねー。
錯綜しながらも、なんとか紙芝居は完成!歌をもう一度歌う。その前に一度いちばん大きな声出してごらん!あーーーーって。
こどもたちのかわいい大声が響きわたる。元気な声はきっと天まで届いたよ!
最後に筝の独奏曲を弾いた。大きな音が鳴ると耳をふさぐこどもたち、はやい動きになると目を見張るこどもたち、脇には飽きちゃってごろごろ転がっているこどもたちもいる。
なんとか時間内に終わった。もうそろそろ帰る時間?
今日はこれでおしまい。ありがとう。
楽器類を片付け、園長先生やおかあさんたちとしばし雑談。
私がいた頃と変わらない教室やプール、靴箱。。。
ここで遊んでいたことなんてもうほとんど記憶に残っていない。
だけど、わたしにも、おとなたちにも、おとしよりたちにも、どんなひとたちにもこどものときはあって、すべてが新しく、呼吸をして毎日を元気に生きていくことだけで彩られる日々があった。ただ伸びていくことだけを思っている芽のように。
おかあさんのおなかの中からこの現実に生まれてきてまだ数年しか経っていないこどもたち。
もしかしたら、わたしたちの忘れてしまった記憶をまだ持っているかもしれない。
現実の向こうに近いこどもたち。
積み上げられた技術の上に重ねる技術の不確かさ、虚しさ、そして危険。。。
この現実を実感し、気づくことからあらゆることは始められなければならないのではないだろうか?
想像の出発点、創造の出発点。
そして、わたしたちの出発点。
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 7月9日、神奈川県立近代美術館・葉山館にて吉村弘作品によるミニコンサートを行った。お天気はくもり。大きなガラス窓の向こうには海が見えて、その前で演奏をした。晴れていれば、夕焼けをバックに演奏ということになる予定だったけれど、残念ながら徐々に雨が降り始め、終わった頃には大雨になってしまった。そんな中、たくさんのお客様が集まってくださり、あたたかい雰囲気の中で演奏することができ、ほんとに幸せな時間だった。みなさま、ありがとうございました!
KOTO VORTEXとしては、久々のコンサートだったのでなんだかいろんなことを思い出したりした。
最初のライブは、どしゃぶりの雨。車にお筝を積んで、みんなぎゅうぎゅう詰めになりながら車に乗り、ライブハウスに着いたらお客さんは3人。カップルとあとひとりは近所の人だったかな?これからというときになって、カップルはそそくさと帰った。わぁ!お客さんひとりぽつり。。。これじゃあ、どっちがお客さんかわからないよー。すごく居心地悪そうな感じ(あたりまえだ!)たぶんその人も途中で帰ったんじゃなかったかなあ。。。まあ、この上もなくミジメで、デュオのときは、残りのふたりがお客さんになって、ヤンヤヤンヤの大喝采!ヒューヒュー、ピーピー!異様な盛り上がりだった。(笑)
KOTO VORTEXのメンバーは、4人とも血液型も星座(地・火・風・水)も干支もバラバラで、共通点は日本の港町に生まれたことという集まりだった。性格も全然違ったから、それぞれ役割分担を決めていた。広報、会計、段取り、文章作成。
音楽に関しても、もう言いたい放題だった。だから、けんかをして絶交を誓ったこともあったし、泣いた。でも、初演やレコーディングの前は、合宿して一日中お筝を弾いた。10時間以上は少なくとも弾いていたかな。朝方まで練習したから、途中で居眠りは出るし、手が痛くなってみんなで合宿所にあった温泉のお湯に手をつけてほぐし、また練習再開ということもあった。顔はむくむし、ひどい状態で、その合宿所でわたしたちを見た人は、その後のコンサートでわたしたちのことが誰かわからなかったくらいだ。
衣裳は、みんなで安いものを探して歩いた。わたしなんてみんなの意見に乗せられて買ったはいいけど全然似合わなくて変で一回着たきり。写真に残ってしまって、人生の中で後悔することのひとつにエントリーしている。それ以来衣裳を買うのは絶対ひとり!メンバーの言うことは聞かないと決めている。みんなも納得済み。(ってことはみんなもどこかで変だ、わるいことしたなあ。と思っているはず!ひどいなあ、もう~)
お金はなかったけど、体力はありあまるほどあったから無理もした。
一枚めのCDのデモンストレーションで、銀座の山野楽器の前で8月の炎天下弾いたこともあった。歩行者天国だったけど、あまりの暑さにひともまばらで、わたしたちも干上がる寸前だった。セクハラまがいのことがあって、撃退した武勇伝もある。
それから、ソロでの活動が中心になり、また個人の主張が強くなり、それぞれの道に分かれて行った。ひとりずつそれぞれに。
そしてまた集まるきっかけを作ってくれたのは、まったく予想すらしなかったクロノスカルテットからのオファーだった。吉村弘さんが亡くなられた少し後のこと。
結成した頃と変わっていないところは、なんでも言い合うこと。でも、ちがうのは、あの頃自分の欠点や弱点を認めることができなかったけれど今は蓋をしないでだめなことやできないことに素直になれること。
年を取ったのに焦らないでのんびりとしているのはいいのかわるいのかよくわからない。。。
でも、あの頃何かに追われていたような切迫感はない。
同じKOTO VORTEXだけれど、たぶん、前とはまた違った道に違った方法で進んでいくのかもしれないと今は思っている。
(写真は本番直前の様子。順に丸田美紀、竹澤悦子、そして今回サポートメンバーとして加わってくれたおふたり、水谷隆子、スコット・ジョーダン。)
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<悠治さんのレコーディング見学>
6月13、14日は、鎌倉芸術館で高橋悠治さんと斎藤晴彦さんによる日本語版シューベルト「冬の旅」のレコーディングがあり、遊びにきたら?と誘って頂いたので嬉々として出かけた。(水牛レーベルから発売予定)
一日目は、誰もいないホールで録音、二日目は少しの聴衆がいるホールの空間での録音だった。
一日目。
和歌山から一回家にもどってそれからホールへ。控え室に行くと、八巻美恵さんと田川律さんがいて、巻上さんも遊びに来ていた。録音は桜井卓さん。いつもと変わらないゆるい雰囲気。
斎藤さんと悠治さんがサウンドチェックを終えて控え室に。録音の準備ができたので、すぐに録音が始まった。
スピーカーから、ピアノと歌がきこえてくる。
巻上さんと私は、大阪で買ってきたお土産のわらびもちをつまみながら、あれこれ雑談。巻上さんは湯河原に住んでいるし、私は鎌倉住まいだから、あれこれ田舎暮らし、観光地暮らしについて話す。街にでかけたときには一気に用事を済まそうとすること、買出し、銀行のこと、電車の時間。。。
わらびもちの包み紙に十返舎一九の文が載っているのを巻上さんが発見。「日本で最初にグルメ本書いたんだよ。このひと。」と教えてくれた。知らなかったなあ。。。。
まあ、おふたりの音をききながらそんなのーんびりした会話ができるなんてものすごく贅沢なはなし!
シューベルトの冬の旅に5人の方が訳詞というか訳詩というか、作詞というか作詩というか、ともかく日本語が新しくつけられて歌われる。斎藤さんは役者さんだからかな、ことばがすごく自然にはいってくる。
この詩がまたすごくすてき!
おかしくて笑っちゃうものもあったり、じーんとくるものもあり、よーし!と力が湧いてくるものもある。とにかく、なんというか、ごはんを食べてるときみたいな感じっていうとよけいわかりにくい?
悠治さんのピアノはあたりまえだけどやっぱりすてき。
きいていると、木の葉っぱの一枚一枚がそよそよ動いているよう。
光に当たってまぶしくて見えない葉っぱ、半分は影になった葉っぱ、虫に食われた葉っぱ、昨日の雨のしずくがのっかってる葉っぱ、枯れて落ちそうな葉っぱ。。。
それらが木陰をつくって、その木の下で斎藤さんは高らかに歌っている。
だから、ホールであることは忘れてしまうのだ。
雪の日だったり、ひとりぼっちだったり、上を向いていたり、走っていたり、空に雲が流れていたり、いろんな場面に行っていろんな思いをする。
ほんとに冬の旅だなあ。。。
斎藤さんは24曲全部暗譜。おまけに12曲くらい休憩なしで一気に録音。すごい!
巻上さんと最近暗譜できなくなったという少々なさけない話をしながら、きこえて来る歌に合わせてくちずさむ。日本語だからか、メロディーもおぼえやすい。
私なんて、原曲「冬の旅」を知らないから(菩提樹くらいかな?知ってるの?)今回のこの記憶が私の「冬の旅」。
お気に入りはこれかな?とか、ここがぽろっと来ちゃうな。とかくちずさみながら知らない間にはまってる。。。
そうこうしているうちに、録音終了。打ち上げ?じゃないね。明日もあるから。。そうそう、夕食。
大船の駅のすぐ近くにある観音食堂というあやしげなところ。最近あまり見ることのない看板があって、がらがらーっと戸を開けると、おじさんたちがもうすでに盛り上がっている。まだ5時半だよー!
隣がおさかなやさんだから、おさかなが安くてすごくおいしいらしい。美恵さんも悠治さんもこういうところ見つけちゃうんだなあ。。
私なんて、買出しにこの周辺に来て何度この前を通り過ぎていることか。。。
やっぱりおさかながとてもおいしい!地元のおじさんたちは毎日ここで盛り上がっているらしい。。。
悠治さんも日本酒、焼酎と結構飲んでいらっしゃる。私もビールに焼酎。
沖縄の話をして、奄美と沖縄の音階のちがいも少し教えてもらったり、おさかなについてきた生姜の話やら、もうなんだか話題もめちゃくちゃで脈絡もなく、こんなことも知らないの?と言われつつ、なんでも質問してしまう。
そして、8時閉店。
明日また。みなさんは帰宅。私は買い物をして帰宅。
二日目
朝から二日酔い。頭ガンガン、朝食のトーストはゴムのよう。
久しぶりだなあ、この感覚。あ~、頭痛い。。。ミネラルいっぱい入ってそうなコントレックスという水を飲みまくる。
久々のお酒はきつかった。。。
朝から生徒さんのレッスンをして、ホールへ。
汗はかくけど、頭はガンガンぐるぐる。悠治さんは私よりずっと大量に飲んでいたし、今日のレコーディングはだいじょうぶなのかなあ???というのはいらぬ心配だった。全然平気、いつもの悠治さんがそこにいらして、「二日酔いでひどいです。」と言ったら、「そう?」という非常に短いお答え。
ホールには50人くらいの聴衆。ほとんどが10代~20代の若者。
ライブ録音のような感じだけど、コンサートではなく、みんなあらかじめ録音だということはわかっている。
昨日スピーカーから聞いたのとはまたちがう。やっぱり生はいい!(ってビールの宣伝みたい?)
すっかりいい気分(こころはね。体調はまだダメ。)
打ち上げも今日はお酒抜き。はやめに失礼した。
悠治さんも美恵さんも今日もまだのんでる~!さすが!すごい!
よわっちいわたし。。。
お店に入る前、悠治さんがぽつんと。「鎌倉は風が動いてるからいいな。」って。
楽しい時間をありがとうございました!
(写真は北鎌倉の円覚寺・山門です)

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6月といえば紫陽花?強い日差しに照らされていると、元気がなくてつらそう。。。
やっぱり紫陽花は雨が大好き!だよね。

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沖縄旅行記その1 斎場御獄(せーふぁうたき)
6月6日から2泊3日で沖縄にひとりで旅をした。昨年仕事で初めて沖縄に行ったのだけれど、そのときには海を見る時間もなく、首里城の周りを少し散歩したくらいでほとんどどこにも出かけることができなかった。でも、体調を崩していた私は、沖縄にある不思議なちからのせいか出会ったひとたちのやさしさのせいか食欲も出て元気をとりもどすことができた。そんなこともあって沖縄が大好きになり、絶対にまた行きたいとずっと思っていた。
今回の目的は、斎場御獄に行くことと海を見ること。
6月6日(月)
早朝に東京を出発。梅雨の真っ只中だから雨は覚悟の上だったけれど天候は晴れときどき曇り。
いつものごとく車の運転ができないからあらかじめタクシーを予約して、空港から直接斎場御獄へ行く予定。
空港に着いたら携帯電話にさっそく電話が入った。今日、お世話になるタクシーの運転手さんから。到着ロビーを出ると、通りを隔てた向こう側で手を振ってくれている。
これが、私と赤嶺さんとの出会いだった。
まずは、車に乗ってお話を始めると、赤嶺さんは三線の奏者だということがわかった。私も音楽家なんです。と言うと、音楽の話で盛り上がり、あとでお弟子さんのお店で昼食をとって、そのときに生演奏を聴かせて下さることに。なんて幸せ!斎場御獄へと向かった。
私が生まれた和歌山には聖地と呼ばれる場所がいくつもある。巨大な神社や寺院が建てられているところではなくその元の場所を辿るとそこはたいてい自然の中にぽっかり開いた穴のようで、光が空からまっすぐにさしこんで現実の次元からの異界への入口のようでもある。
私は出産予定日をすぎてもなかなか生まれず、母は必死で階段を上り下りしたらしいけれど、それでも生まれず、心配した祖母が霊媒師さんに相談したところ、お彼岸がすぎたらすぐ生まれるだろうと。その通りお彼岸をすぎたらあっさりと私は生まれた。
和歌山でも、まだ私が生まれる頃は生と死、現実と非現実の境目でゆらゆらしているなにかが日常生活の中であたりまえに存在し、そこに畏怖を感じ、祈り、またその累々とつながっている生命の連鎖が実感できた。
斎場御獄に向かう途中、赤嶺さんはいろんな話をしてくれた。一年に一度はお墓を囲んでごちそうを食べて宴会をすること。聖地と呼ばれる所には沖縄では男子禁制の場所が多いこと。久高島には、神女と呼ばれるひとたちが住んでいること。生まれた年の干支のはなし。今はもう私たちの日常から消えてしまったことがここでは今もまだ生活の中にかろうじて残っている。
斎場御獄に到着。繁った木々の間を通り抜けていく。岩肌に垂れ下がった枝、四方八方に拡がった緑の葉、それらの下をゆっくり歩いていくと大きな三角形の切れ目が現れる。まわりには質素なつぼや台のようなものが無造作に置かれている。三角形の細い切れ目をくぐりぬけると、光がさしこんで遠くに海が見え、かすかに久高島が見える。
どれくらいの時間その隙間から海を眺め空を見上げ、遠くから聞こえる波の音と通り過ぎてゆく風の音の中にいたのだろう。
何も考えてはいなかった。
ただそこで呼吸しているだけの時間。
なにもかもが抜け落ちて自分のからだがまるでひとつの入れ物になってゆく。
ここで今海を見て立っているのは果たして誰だろう?
「わたし」という意識が遠のいてゆく。
残っているのは感覚だけ。。。
誰かがやってきた物音に気づいて、その場を立ち去ることにした。
手を合わせて頭を垂れて。それから。
赤嶺さんが向こうの方に見えた。こっちが帰り道ですよ。と呼んでくれた。
一羽のまっしろなちょうちょがひらひら足元を舞っている。そのちょうちょは私たちの行く先をまるで先導してくれるかのように、道の石の上を少し飛んでは止まり、またひらひらと進んで、出口にきたときに高く飛び立って木々の間に消えていった。
赤嶺さんは、かみさまのおつかいだね。とほほえんで私に言った。
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西陽子

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