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2005年05月31日 『長唄のひとたちとの出会い』

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 2年ほど前から長唄や清元の方々の新作に参加する機会ができて、今回今藤長龍郎さんがビクター伝統文化振興財団賞奨励賞を受賞され、その記念のCDに私も参加させてもらっている。
長唄や清元は、大学では同じ邦楽科ということではあっても一緒に演奏することはなかったし、交流もほとんどなかった。まして歌舞伎の舞台は男性ばかりの世界だから、全く無縁だったし、未知の世界だった。

 初めて参加させていただいた時は、とにかく何から何までよくわからないというか、まず常識と思っていることが違うからとまどうことばかり。下ざらいのときから着物で、本番前のゲネプロももちろん着物。それから、みなさんの名前は芸名で苗字?が同じだし、名前はまた受け継がれていくから変わることも特別なことではない。同じ苗字の人がいっぱいいて親戚関係も多いから、突然外部から入った私などはもう頭の中の系図がもつれてパンクして、途中からは系図制作はあきらめた。ごあいさつの仕方、着物を着慣れているから演奏や演奏以外の舞台での所作も美しい。

 一緒に演奏していると、とにかく自分が弾くことより三味線や歌、お囃子の芸を聞くのがおもしろくてしようがない。日頃聞けない音がこんなに身近でしかも共演というかたちで体験できるなんて、ほんとに幸せ。
 最初はそれでよかったんだけれど、そのうち微妙な違いが気になる。何より間の取り方がちがう。独特の間合いがあるし、掛け声もいろんな種類がある。とりたてて、ずれた!という感じはしないまでもほんの一瞬のノリの悪さをどうしても克服することができない。掛け声の後、音を出すときもほんのちょっと飛び出たり、遅れたりしてしまう。他の方々はみんな揃っているのに。。。。くやしい~!と思って実は毎回真剣勝負しているんだけれど、今だにしっくりこない。もうこれは理論や分析の段階ではないほど微妙なもの。要するに「勘」でしか会得できないもの。洋楽の指揮ならわかるのに、仮にも筝という伝統音楽の演奏家でありながらこの日本の間がわからないとは!明治以降の西洋音楽至上主義の教育の結果を見事に体現している私。確かに大学に入るまで邦楽のジャンルも知らなかった。。

 そして、楽譜には、「誘惑するように」という指示。「?」。。。。こんな指示は見たことないぞ!
今回CDに収録されている曲「女を論ず」の中で、私の十七絃はそれこそ女を演じなくてはならない。今までは、全く抽象的なことばかりだったから、こんなに直接的に人物を音で描写することなんてなかった。絵はなんとなく浮かぶ。。。。けど、音となるとまったくダメ。
 味気ない。まじめで面白みがなくて、かと思うとわざとらしかったりして、あ~あ、私が男だったら、こんな女性に絶対誘惑されないなあ。四角四面のガチガチの女性か、はたまたミエミエでちかづいてくるちょっと不気味な女性にしか結局なれないのかあ。と、げんなり。演奏会のリハーサルで、軽みがないとご指摘があったけれど、まさに!軽妙洒脱なところがない!粋じゃなくて、なんか野暮ったい!わかるんだけれど、どうしていいかわからない。。ともかく今までやってきたことをあの手この手を使ってとっかえひっかえやったところでだめだということはわかった。

 アフリカの人たちといっしょに演奏したとき、楽譜なんかに見入ってリズムの書き取りなんかやったってまったく無意味。彼らはミクロの単位で複雑なリズムをにこにこしながら自在に操る。それになんとなく同化して、できているような気分になって波に乗る。そこから始める。それと同じ。というのも同じ日本人なのにすごく虚しいけど、いっしょに弾いているうちにほんの少しわかってくることもある。

 ともかく、こんなすてきな機会を与えてくださった今藤長龍郎さんありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします。

(写真は4月1日、ビクターのスタジオで録音したときのもの。三味線は、今藤長龍郎さん。奥に見えるのは今藤政十郎さん。笛は藤舎推峰さん。)

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2005年05月24日 『いと。おと。こと。ことば。』

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 京都造形芸術大学の春秋座で、三絃の高田和子さんのリサイタルシリーズの最終回「帰ってきた糸」が行われた。前日からリハーサルで京都入り。

プログラムは、高田さんのソロから始まりデュオ3曲、三輪眞弘さん、斎藤徹さんの新作を含め全7曲。
リハーサルはセッティング、サウンドチェックなどに時間がかかるが、スタッフのひとたちはとても気持ちよくいろんなことに対処してくださる。ピリピリした感じはなく、リハーサルもゆっくりと進む。終わった後は作曲家を含めてみんなで食事をして、原稿のチェックの仕事が残っていた高田さん以外はホテルに戻った。夜は4人で恒例コンビニツアー。住宅地の中を通っていく。みんなでぺちゃくちゃ話しながらだらだらと歩く。以前より遠慮がなくなったのかなあ。冗談が飛び交う。東京でのリハーサルのときも、別にどうでもいいようなことで笑いが止まらなくなっていたら、隣で石川さんもげらげら笑い始めて、ゆみこさんもそのうち笑い始めた。神田さんはもう次の段取りに入って「はい!いきますよ!」と、元気に言ってるし、高田さんは「ようこちゃんは笑い出すといつまでも止まらないのよねぇ。」と。こんなに楽しく尊敬し合える仲間との出会いを作ってくださった高田さん、ありがとうございます!

そういえば、こどもちゃんレッスンでもふたりでたまに笑いが止まらなくなってレッスンを中断することがある。別に誰かに話したところでちっともおかしくないことなんだけど、あれは何なんだろう???最近そのこどもちゃんも中学生になり、かわいいセーラー服姿でレッスンに来るようになった。ことばづかいもちょっぴりおとなびて、古典の曲を始めて歌も歌っている。中学生にはまだ古典の歌詞は難しい。でも、歌詞全体がきちんと読めて、ある程度は理解した上で歌ってほしいと思っているから、最初に全部の歌詞を音読。旧仮名遣いもあるからなかなか大変。古典には、花や名所、それから現在は使われないことばがたくさん出てくる。文法的にも難しい。それを容赦なく質問されるからこちらは結構ドキドキ。しかもこどもにわかるようにそのニュアンスまで説明するのはむずかしい。でも、このお花はもうすぐ咲くよ、とか、須磨っていうのは神戸のあたりでね、千鳥っていうのは千鳥足っていうことばもあるでしょ?。。。とかひとつひとつのことばに立ち止まっていっしょにあれこれ話したり、想像するのは楽しい。私自身わからないこともあって古語辞典で調べたり、本で調べたり、そうしているうちに得意のより道で他のことばやうたにはまってしまって最初の目的を忘れることも多々ある。彼女のおかげで鍛えられている。

音楽界にもゆがんだ競争意識があって、私も昔、いじめられたことがある。高校時代にはそれで胃潰瘍になった。争い事や競争が苦手な私は最近までそこに巻き込まれると落ち込んでいたし、ちいさくなっているだけだったけれど、今はそういう黒い雲がもくもく現れると、「魑魅魍魎の襲来」と称して戦わずして退治する作戦を練ることにしている!無関係にマイペースを守ることが一番効果的のよう。。。今のところは。
彼女にはずっと純粋に疑問を持ったり、想像しながら、ことばやうたと関わっていってほしいなあ。

話はもとにもどって、当日はお客さんもたくさん入り、東京や大阪からわざわざかけつけてくれた方も。。。聴いてくださってありがとうございました!
演奏についてのこと、感想。。。。うーん。。できたこともできなかったこともある。。。

「糸」が結成されたばかりの頃、高橋悠治さんに言われた(というよりほとんど叱られた?)ことがたくさん楽譜に書き込まれてあって、それを見ながら、あのときは何がなんだか悠治さんのことばの意味全くわかってなかったなあ。と思った。今はそれらができるできないは別にして少なくとも前よりは理解できる。
悠治さんが言ってくださったたくさんのことばは、いつも風景を変えてくれる。突然裏返したり、刻んだり、たたんだり、遠くに放り投げてみたり。。そこには気づかないことへのヒントがあって、すぐにはわからないこともたくさんある。確信していたことが崩れたり、絶望的と思って暗闇をさまよっているときに出口を示してくれたり。。。たったひとつのことばが、それだけでひとのこころや生き方を変えたり、生きるちからになる。(もちろんその逆もあるけれど。)

こころにあるたからもの。

じゃあ、音は?

「おとは糸です、つたわるから、」

詩人の藤井貞和さんが「糸」のためにかいてくださったことば。
最近なにかあるたびに浮かんでは、こういうことかな?と思ったりもするけれど、ちがうかも?と思ったり。。。。今だに確信の持てるものがないまま。

でも、いつも自分のこころの玄関に飾ってある。(2005年5月23日)

(写真の碁盤のようなものは三輪作品で使われたもの。)

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2005年05月17日 『日々のできごと』

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私の東京での古くからの生徒さん、新田さんと前々から約束していたボランティアのお手伝いに埼玉・新座市の老人ホームに演奏に行く。和歌山の生徒さんは仲間がたくさんいるのでみんなでその時々にチームを組んで老人ホームや他にもいろんな場所で活動している。新田さんはひとりでがんばっているのでごくたまに(といっても今回は二回目で4,5年ぶり。)応援に行く。前回は敬老の日で、私は着いたとたん気分が悪くなって動けなくなり、お年寄りのみなさんに医務室に連れて行って介抱してもらった。血圧が下がりすぎて測定不能。敬老の日にご心配をおかけするというなんとも情けない結果になってしまった。(今では笑い話だけど。。。)

新田さんの車でホームに到着。中に入るとエプロンを着けた職員の方々がお年寄りの方々とボール遊びに興じている。消毒液のにおいが充満していて車椅子や杖、雑巾、長靴などがあちこちにあり、手すりがどこにでもついている。控えのお部屋は特殊な電動のお風呂のある場所。かなしさとさみしさとなんともいえない気持ちで目を背けたくなる。

でも、そうだ!こんなときに落ち込んで暗くなってちゃいけない!どんなことも笑って、歌ってはねかえそう!吹き飛ばそう!和歌山のある村の行事に、悪いものが入ってこないように境界で村人たちが大声で笑って追い返すというのがある。厄払い!

歌謡曲はあんまり知らないけど、春の小川、おぼろ月夜、浜千鳥なら私も歌えるから大声で歌う。最初は小さかった声がだんだん大きくなって大合唱になっていく。「なつかしいなあ。子供の頃を思い出すよ。」という方も。ひととおり歌が終わった頃には、みなさんの表情が豊かになったような気がした。

最後に私が「みだれ」を弾いた。
その前にひとこと。「これから弾く曲は今から400年ほど前に作られた曲です。」と言ったら、ひとりの男性が「その歌は知らないかもしれないなあ。」と発言してくれたので、「いやぁ、この曲はさすがに誰もしらないと思います。」と言ったら、大爆笑。私のトークで今までこんなにうけたことはない!かなりうれしかった!
「みだれ」の演奏は、年をとられて耳が遠くなられたり、弱ったからだにきつくならないように、病気があるならそこに音が沁みて少しは癒えるようにという願いをこめて弾いた。だから文楽劇場のときとはまた全然ちがった演奏になった。
いいものはひとつと思っていた頃は、どこでも同じように弾くことが正しいと思っていた。そうでなくては失礼なんじゃないかとも思っていた。でも、今は演奏はその場のあらゆるものを感じ取って音を出していくものと思っている。響き方や環境、聴く人たちから発するもの、それらの目に見えない何かを感じ取っていつも一回限りの現場に立っているのが演奏家なのかな。

大声でみんなが歌ったあとの生き生きとした瞬間の余韻が残っている。
なつかしさ。心が少しでも動いたならよかったと思う。こころの運動も大切。きっとね。

(写真は、散歩のときに撮ったもの)

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2005年05月16日 『初夏の庭に咲いた花たち』

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ついにシャクヤク咲いたよ!まっしろでうすい花びらが幾重にもさらさら重なっているでしょ。
あの芽、あのつぼみの中に眠っていた花がふわりと目を覚まして、ほろっと生まれた。
ちょっと泥がはねているのは、昨日降った雨のせい。
風に吹かれて雨に濡れて。。。。。ちょっと心細い?。。だけど、しっかりね。

2005年05月13日 『大阪・国立文楽劇場にて』

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5月13日(金)

そっかあ。今日は13日の金曜日なんだ。とぼんやり思いながら和歌山から難波まで電車に乗り、地下街を歩いて国立文楽劇場に向かう。明日の公演のためのリハーサル。日本橋の駅には、文楽劇場を示す矢印があっちこっちにあって、明日のポスターも貼られている。地上に出ると、いかにも大阪らしい雑然とした街。しばらく歩くと、いくつもののぼりがあがった建物が見えてきた。玄関には堤燈がたくさん吊るされている。

楽屋口に向かう。警備のおじさんに聞いてエレベーターを上がると楽屋の受付があって、いきなり神棚があった(東京の国立劇場にも確かあった)。お酒が供えられている。私も手を合わせ、一礼して中に入る。楽屋の廊下には舞踊のひとたちの道具がたくさんあって、着物を着た関係者の人たちでいっぱい(明日は舞踊と音楽の公演だから当然!)。いつも通りGパン姿で、ゴロゴロキャリーケースを転がして通過するが、なんとなく場違いな雰囲気。各楽屋には「○○さん江」と書かれたはなやかな暖簾がぶらさがっている。うわぁ、ますます場違い!

自分の名前が貼られたお部屋に到着。まずは、楽器が無事到着していることを確認してほっとした。梱包を解いて、楽器を出し柱をかける。楽器に事故もなく安心。舞台からは華やかな長唄の音が聞こえてくる。おめでたい曲の賑わい。制作の田村さんに会って挨拶を交わす。「私、衣裳、洋服で黒いシンプルなドレスなんですけど。。。」と言うと、「まあ、どちらにしても浮いてるからいいんじゃない。」と苦笑い。。。「えっ?まずかった?ど、どうしよう。。。でも、衣裳これしか持ってないからもうどうしようもないし。。。」衣裳を着用してゲネプロ。残響が少ないからつい力んでしまうし、どうしてもはやく次の音を出したくなってスピードに頼ってしまう。うーん。。。どうしたものか。と悩んでいるうちに終わってしまった。明日はお客さんが入ってもっと響きにくい?でも、どんなホールも本番の方がなぜかよく響く。音が吸収されているはずなのに、不思議だなあ。。。。
ゲネプロ終了後、やっぱりなにもかも浮いてると言われ、逆に開き直る。でも、浮くことがわかっていながらこの公演に呼んでくださった田村さんにはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです!

夜、篳篥の中村仁美さんや雅楽の方たちと田村さんと道頓堀界隈で食事。串揚げ、どて焼きなどなど。ビールも少し。文楽の人間国宝と言われる方々の舞台裏の話を聞く。85歳であの重い人形を1時間半操り続ける気力。終演後の楽屋ではもう倒れこむようにくたくたで起き上がれず、明日は舞台に立てるかどうかわからないと毎日思いながらも舞台に立ち続けていらっしゃるのだそうだ。それはもはや体力といえるものではなく超人的な気力によるもの。舞台にかける執念と気迫。話を聞いているだけで圧倒される。自分の甘さが恥ずかしくなる。でも、そういう尊敬すべき先達がいてくださって、その芸や生き方のすさまじさに何か具体的によくわからなくても指針を与えてもらったような気がする。

明日は本番。700名収容の大きなホールで暗譜で25分間ソロで弾くなんてことはここ最近なかった。どんなホールでもライブハウスでも気持ちが変わるわけじゃないけど、ひとりの人に伝えるのと700人の人に伝えるのはやっぱり違う。音の大小じゃない。小さな声じゃ伝わらないということだ。

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2005年05月06日 『使いこまれたもの』

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 私の生徒さん、稲葉さんのお宅を訪ねた。
稲葉さんのおうちは、着物の帯の芯を織る工場を経営している。ご家族もそこで働いている。
30年ほど前は、機械もフル稼働。忙しくて夜寝る時間もないくらいの忙しさだったそうだ。

工場を見学させてもらった。
動いている機械はほんのわずか。あとはビニールをかぶって眠っている。
着物の需要はどんどん減り、繊維市場は中国や韓国などに奪われていった。
私の祖父も父も繊維関係の仕事をしていた。
和歌山は繊維工業が盛んだったけれど時代とともに衰退し、現在は主要な産業とはいえない。

今使っている機械を動かしてもらった。
すさまじい音で、一台でも話し声がほとんど聞こえなくなるくらい。
働いている人がたくさんいて、すべての機械が動き、織られていく布があちらこちらに運ばれていく様子を想像する。
にぎやかで、生き生きとした工場。

長年使われて今は休んでいる機械の中にも思い出はある。
大切に使われ、多くのものを生み出し、人々と苦労や喜びを共にした機械は、もはや無機質な鉄のかたまりではない。
いのちがあり、初めて会った私にですら語りかけてくれる。

壁に工具が吊るされていた。
無造作に置かれているように見えるけれど、使う人が効率よく使えるように種類分けされ、さまざまなかたちや色のものが並んでいる。
私はちょっと変かもしれないけれど工具が好きなのだ。
東急ハンズやロフト、ホームセンターに行って微妙にかたちや大きさのちがった工具を使い道も使い方も知らないのにじっと眺めていて飽きないし、楽しい。
それが職人さんたちの手で使いこまれたものなら、なおさらすてきで美しいと思ってしまう。
壁に吊るされた工具を見て、思わず見とれてうれしくなってしまった!

機械だって、人間だって、使い捨てはやっぱりかなしい。

大切に使いこまれたものには、ただそこにあるというだけで感動させられてしまう。

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 母と高野山に出かけた。高野山に代々住んでいらっしゃる西山さんという方に案内していただいた。
山の上にこんなにたくさんのお寺があって、門前町が開けていることに驚く。
たくさんの観光バスがひっきりなしにやって来て、参道はツアーの人たち、お遍路さん、ガイドさんの説明の声があふれていて、都会のような喧騒。聖地という現実離れしたイメージはない。ここはあくまでも俗っぽく、現実そのもの。

奥の院に入っていく(ここは撮影禁止)。無数の火が目に入る。
お参りするひとたちがささげたろうそくの火。読経の声に包まれながら何百年も守られ続けている火。

たくさんのゆらめく赤い火と大地のうなりのように響きわたるお坊さんたちの声、お線香の煙とかおり。
いきなりちがう世界に飛び込んだような感覚になる。千二百年もの間こんなにもなまなましく力強く同じことが繰り返され、人々は絶えることなく訪れる。この圧倒的な強大なちからはどこからくるのだろう。

弘法大師、空海という伝説の人物がここでは「お大師さん」というとても身近な存在なのだ。
信仰というと最近はなんとなく狂信的で組織的なにおいを感じてしまって危険視したり、疑ってみたりするが、本来はいつもどこかで見守ってくれていて、困ったときは相談に行ったり、頼ったり、だけど親しみやすくあたたかいものなのだろう。お大師さまは今も生きてらっしゃるということがここに来るととてもリアルに感じられる。

小学校生活の中でいちばん心に残っていることば。小学3年生の新学期に先生が黒板にまずはじめに書かれたもの。
「天知る、地知る、我知る」

いつも、どこかで、だれかが見ている。
それは、自分の中にもある目。
現実の向こう側にある世界は、自分の心を突き抜けたところにある世界と実はつながっているのかもしれないと思った。

今度は九度山町から歩いて来ますね。と、西山さんとお約束。
おいしいごま豆腐やおまんじゅうをお土産に買って、帰りの電車は爆睡。
せっかく久しぶりにふたりで出かけたというのに、相変わらずどこでもグーグー寝ている娘に母もあきれていた。

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シャクヤクが大きくなって、つぼみをつけました!
3.31に載せたあのちっちゃな芽が1ヶ月でこんなに大きくなって、かわいいつぼみが。。。。
つるつるでぷりぷり、あかちゃんのほっぺみたいでつい触りたくなっちゃうんだけど、だめだめ!
どんな花を咲かせるのかなあ?

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