2005年4月のPHOTO & DIARY

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 今年7/9に行われる吉村弘さんの回顧展のオープニングにKOTOVORTEXがパフォーマンスを行うことになり、 今日神奈川県立近代美術館葉山館に打ち合わせに行った。
 吉村さんが病床で作られた最後の曲は、ここともうひとつの分館・鎌倉館のための音楽。葉山館に行くのは今日が初めて。 青空が春のうすぐもり色から夏を予感させる抜けるようなブルーへ。雨もきらいじゃないけどやっぱり青い空が好き。逗子駅からバスに乗る。新鮮なおさかなが並んだ市場を通り、 だんだん海のにおいがしてくる。きらきらとうろこみたいに波打つ海が住宅のすきまから見えてくる。そして、真っ白な建物が現れたら美術館到着!バスを降りると目の前には山が迫っている。 新緑が始まって山はにょきにょき育ってこちらに近づいてきそうな様子。吉村さんの奥様・洋子さんと学芸員の方々、VORTEXのメンバー、それぞれの中に生きている吉村弘さんの音楽、作品、思い出、ぬくもり。 和やかな打ち合わせは館内を廻り場所などを決めすぐに終了。海を眺めた。吉村さんは波の音を録ったり、歩いたりして一日ここでひとりの時間をすごした。今わたしたちは同じ場所で同じ海を見ている。 吉村さんはいないけど。。。でも、話は尽きないし音楽はずっとさっきから聞こえている。
 どんなちいさな声にも耳を澄ましていた吉村さん。きっと吉村さんの耳は地球も時間も飛び越えていた。 目は見るためだけのものでなく、耳は聞くためだけのものでなく。。。HO・NA・MIを初演したときに広尾の駅の近くで採ってきたんだ!とうれしそうにススキの穂を持って会場に駆けつけてくれたやさしくてこどものような笑顔の吉村さんを忘れない。
  みんなと別れて鎌倉駅でよしずを買った。去年の台風でベランダのよしずはぼろぼろ。そっかぁ。。もう夏の準備。青空を眺めながらよしずを取替え、デッキチェアーをきれいに拭いて、さあ!もういつでもここでお月さまを眺めながらビールを飲める! こんなはやくから我が家のビヤガーデンはオープン!そういえば吉村さんはビールが大好きだった。ビールの空き缶でできた楽器もいっぱいある。7月は暑い夏。吉村さんのたくさんの作品に囲まれて音はきっと宇宙の外側へ向かう。吉村さんにもきっと届く。終わったあとはいっしょにビールで乾杯!
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  4月13日 昨日のハイキングの疲れもなくさわやかに起床。誰もいないホテルの 温泉に朝から入る。今日はいいお天気。
  旅ももう終わり。朝食を済ませて、バスで空港に向かう。
  出発の時間までまだまだ時間が余っている。といってものんびり山を歩いているほどの時間はないので、タクシーの運転手さんと交渉して、屋久杉記念館に行くことに。
  今度の運転手さんは、代々屋久島で暮らしている家に生まれたそうで、山の作業の過酷さ、当時営林省と言われていたいた政府側と労働者の間に起きた過去のさまざまな問題を語ってくれた。この島で生活してきた人々の自然とのたたかい、そして貧しさ。
  記念館に到着。運転手さんは外で待っていてくれる。もともとは山岳信仰もあって足を踏み入れなかった山に江戸時代から少しずつ伐採の手が入る。木を切るのに使った道具、作業時の衣服、木についてもいろいろ解説があったけれど人々の生活の道具があまりに生々しくてついそちらに目が行く。加工された木を山から下ろすのは女性と子供の作業。
  見終わってまた空港までタクシーに乗る。運転手さんは地元の人しか知らないという道や橋を選んで通ってくれた。
  トロッコが人々の交通手段だった名残の線路。橋の上からは、こんな遠くからでも水底が見えるんだと驚いた。途中お墓を通る。お彼岸でもお盆でもないのにどのお墓もきれいに掃除され、お花があざやかに供えられている。「屋久島では、一日に2回お墓参りをする。お墓のお花さえ忘れなければここのお嫁さんは非難されないんだよ。これがいちばん大事な仕事なんだ。」と教えてくれた。
  そういえばここには音楽がなかった。
  海の中に突然切り立った山、平地はごくわずか。海も荒い。自然の厳しさをさえぎるものはなく、まともにこの島を襲ってくるのだろうと想像する。人々の中にものんびりとした空気はなく、豊かな感じはしない。海と山にはさまれ、しかも厳しい自然の中にあって何かを栽培して安定するということはなく、ひたすら自然とたたかって危険を冒して生活を支えてきたのだと思う。
  和歌山の熊野に似ていると思った。
  僻地で貧しくて、見捨てられた場所。そんな暗さが漂っている。だからこそ現代までよくもわるくも自然が破壊し尽くされることなく残り、世界遺産という、まさにその通り「遺産」となって今ここにある。
  トロッコ。。。記念館で昔のNHKのテレビ番組を流していた。笑顔でトロッコに乗っている戦後の労働者のひとたちが映し出される。つらくて途中で席を立つ。
  夜中にNHKでアーカイブスという過去のドキュメンタリー番組の再放送をしている。炭鉱のひとたち、戦後の混乱、そのひとたちの過酷な労働や悲惨な生活、飾り気のない笑顔を見るといたたまれない気分になり、私はすぐにチャンネルを変えてしまう。こどもの頃、アンネの日記や特攻隊員のおかあさんに宛てた手紙、サンダカン八番娼館などの本は、読んだ後眠れなかった。ひどいときは気分が悪くなったり、しかもどの本も読み終わってから父の書棚の奥の方にしまって触ることもできなかったし、終戦記念日はいつもこわくていやな日だった。
  わたしたちの今ある豊かな生活はどれだけのたたかいと犠牲の上に成り立っていることだろう。目をそらすことはできない。
  今になって、環境保護と叫んでいるわたしたちの生活は環境破壊の上にある。自然保護といっても自然の中から何かを奪わなければ生存できない。共存なんて簡単にいうことはできない。人間が共存だと思ってやっていることが自然界にとって共存といえるかどうかわからない。自然は何も語ってくれないから。
  現実に起こってきたできごと、生と死の現実、生活するということ。。。。
  身動きが取れなくなる。。。。どうすればいいのかわからなくなる。
  でも、やるべきことが何かある。
  大切にしなくてはならないことはなんだろう?
  森の中で起こっていることと現実の生活が結びついていかない。
  どちらも現実なのに。
  伐採された木の切り株や捨てられた木に新しい生命が宿っているのを思うと少し安心する。
  森はきっと今日もゆるやかに呼吸している。(おしまい)
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白谷雲水峡
<いざ、出発!>
 
  朝7:00にフロントで昨夜注文しておいた昼食のお弁当を受け取り、路線バスで集合場所へ向かう。小雨まじりのくもり空。山の方は真っ黒な雲に覆われている。屋久島は雨が多いところだからと思いつつもちょっと残念な気分。。。バス停に行く途中通学する小学生たちに出会う。見知らぬ旅行者の私にもみんな「おはようございます!」と元気にあいさつしてくれる。あいさつを何度交わしたかなあ?さわやかな気分になった。
  集合場所に到着。ガイドさんがやってきて、今日いっしょにコースを歩く人たちと対面。グループは私とご夫婦2組の計5名。
 
  子供の頃からスポーツはまるでダメで、今だに腕立て伏せは1回もできない有様。体育の授業は苦痛以外の何ものでもなかったし、マラソン大会などはもう最初から学年500人余りのビリを走っていた。やる気なし。
  そんな私が急に森の中に入ってみたくなった。歩いてみたくなった。足を踏み入れたこともないデパートのスポーツのフロアーに行き、トレッキングシューズや雨具、リュックを店員さんにちんぷんかんぷんな質問を投げかけながらもなんとか購入。高所恐怖症で歩道橋からですら吸い込まれそうになるほどの臆病者なのに途中吊橋なんかあったらどうするんだろう?普段は慎重なのに、あるとき突然あとさきも考えずにそのときの本能や気分で想像もつかないことをやってしまうのは相変わらず。。。まあ、でも、なんとかなるさ!最近夜寝る前にやっているストレッチで体力にいささかの自信があった?コワイモノシラズ!
 
  ハイキングコース入口まで車で移動。途中山桜のピンクや新緑の黄緑がところどころに見える。山はふさふさと葉が繁っていて、羊みたいにもこもこしている。屋久島では亜熱帯から亜寒帯までの植物を見ることができるそうで、海沿いのあたたかい場所でハイビスカスやブーゲンビリアが咲いていても山の上には雪が積もっているということがあるらしい。さあ、入口到着。
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<大浴場で考えたこと>
 夜、ホテルで食事を済ませて大浴場へ。温泉もあるし、露天風呂もあるし、サウナもついてる。体内浄化しなくちゃ!という意気込み。
  宿泊客は、ほとんどが50歳以上のひとたち。もっとも私くらいの人は仕事で忙しく働いている年代なのだから見当たらなくて当然!サウナの中は誰もいない。たまに入ってくる人もいるけどあまりの熱さにみんなすぐに出て行ってしまう。そのあと、露天風呂に行く。ここは人がたくさんいていろんな会話をしている。私もなんとなく参加。
  ツアーで旅行している人が多く、みなさん種子島や奄美の方からまわってきたらしい。屋久島はゴルフもできないし、遊ぶところもなんにもないから明日は適当に買い物して帰るんだそう。じっくり廻りたいのに時間が足りないと思っている私とは全然違うんだなあ。。。
 
  世の中はものの感じ方や考え方の違う人であふれている。海や山で目的もなくただ何時間もすごしてしまう私のような人はあまりいない。実はごく少数派らしい。。。
(サウナやお風呂で長時間すごす人だってそう多くはない。)
 
  時間の使い方は、物事の価値観や時間そのものの感じ方で決まってくる。
 
  価値観は人によってももちろん違うけれど、社会の通念としての価値観だって多数派と少数派が逆転することはよくあるし、いいとされてきたことが突然よくないという風に変わることも多々ある。同じ人の中でも変化する。環境に左右されたり、時によっても違ってくる。
  時間も人によって長短の感じ方が違うし、スピード感も違う。時間はすべての人に同じように流れているけれど、同じようには感じられない。究極的には時間のとらえ方を基準にすると年齢だって決められないということになる。
 
  そう考えていくと結局決まっているものなんて、定まっている絶対的なものなんて何もない。今決められている規則や法律だって、絶対に動かせないと信じている年齢や性別だって別の基準を作ったらまるごと変わってしまう。性別や年齢を自己申告制にしたらどうなるのだろう?お金だって、あんな紙切れをみんな大切にしている。信じているということだけで通用しているの?
 
  あらゆるものを区別するための境界線。国境も含めて。それがなくなったら、差別や戦争もなくなるのだろうか?どうして人間は区別したがるのだろうか?境界線が崩壊したら、人は基準を見失って生きていけないのだろうか?なんのために境界線は必要なんだろうか?信じることが境界線や基準を作るのか守るのか壊すのか?  
  わからないことばかり。わたしたちはごくあたりまえに今までに作られてきた決まりごとの中で多くのことを判断している。何も考えず。何の疑いもなく。
  このままの枠組でいいのか、変えるべきか、それ自体なくしてしまうべきなのか、今の私には答は見つからない。
  だけど、別の区切り方もあるということ、枠組を変えたら世界も、自分の中も簡単にごっそり変わってしまうということは認識しておくべきなんじゃないかなと思う。
 小さい頃からずっと不思議に思っていた。日頃はあんなに恥ずかしがっているのに、お風呂やさんのあの薄っぺらなのれんをひとつくぐっただけでみんな平気で裸になり、そのまま堂々といっしょににこにこ気持ちよくお風呂に入れること。
  温泉の大浴場のたわいもない会話からこんなことまで話が飛躍して、お部屋に戻ってもずっと考えを巡らせていた。水着禁止の意味もつながってきたりして。。。
 さあ!明日は早起きしていよいよ森の中へ!
(写真は、ホテルの私のお部屋のベランダから見えた景色。切り立った崖はモッチョム岳。)
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<海中温泉水着禁止の謎>
 今回、運転と案内をして下さったタクシーの運転手さんはとてもとてもいい方で、私が滝やら海岸やらでものも言わず空を見上げていたり、座り込んで泣いていても、少し離れたところでじーっと私の気のすむまで待っていてくれた。お花や草木の説明をしてくれて、海岸では私につきあっていっしょに貝殻も拾い集めてくれた。
 そんな心やさしい運転手さんは次に海中温泉に案内してくれた。和歌山にも海中温泉はあるので別段驚きもしなかったけれど、景色がいいからということで連れて行ってもらった。
 はて、その温泉確かに雄大な海の中にあるのだけど、何か施設があるわけでもなく
(よくいえば野趣あふれる大自然の中の温泉)別に栄えている様子もない。
それに、なぜか水着禁止!?
「どうして水着はダメなんですか?」と尋ねたら、「お風呂は水着で入るもんじゃないでしょう。」と。そうだけど。。。。。。。。。。
 
 家族連れが楽しげに入浴中。覗きに行くのも失礼だし、遠くから海の写真を撮る。
(やっぱり地元の人しか来ないよねー。)
 
 温泉はもう一箇所あって、そこは整備されていて脱衣場もあるから入浴中だとすぐわかるし、さっきは誰もいなかったから、通り道だしそこにも寄ってみようということになった。
 で、到着。脱衣場に人の気配なし。海もきらきら輝いてるし、いい写真撮れるかも!岩場にも近づけそう!となかなかよい感じ。
 運転手さんもそれを察して、「駐車場に車を置いて来ますからどうぞ先に行っててください。」と言って私を先に車から降ろしてくれた。私はカメラ片手に「はーい!」と小走りに海の方へ足を踏み出した瞬間、白い波しぶきが勢いよく上がっている岩場に何やら肌色の物体???
 な、なんと!男性が一糸まとわぬ姿で岩場に仁王立ちして海の写真を撮っているではないか!
 「きゃあ~!!!!」と大声張り上げてなぜか運転手さんに助けを求めていた。
 即逃げたつもりだったけど、見事なお尻だけはしっかり目に焼きついてしまった。
 おとなしい運転手さんもさすがに下を向いて笑いをこらえている。
 今だに疑問。
 どうして海の写真撮るのに全裸なわけ?しかもかなり大掛かりなセットだったってことは確信犯?
 そしてやっぱりどうして水着禁止なの?????
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<栗生の海岸>
誰もいない白い浜辺。
曇っているせいか、浜に打ち上げられた流木がさみしげに横たわっている。
 
浜が白いのは、砂浜だからではない。
すべてサンゴ礁の残骸。
踏みしめて歩くと小さな白い骨のようにかたくなったサンゴ礁がぶつかりあって、
カラカラコロコロと硬質のいい音がする。
手にとってみる。
海の中でゆらゆらと揺れていたかたちが突然フリーズしたかのようになびいたまま固まっている。
海にいたときの記憶が語りかけてくる。
まるで昔話のように。
 
止まった時間。
おどろき。
大きなかけら
小さなかけら
こんなにもたくさんのかけら
拾い集めて手のなかで鳴らしてみるとやっぱりカランコロンかなしいくらいきれいな音がする。
浜辺いっぱいに広がる白いかけら
サンゴ礁の記憶が押し寄せてきて、それがこんなにも美しい響きとなって今ここにあるという現実が現実でないような気がした。
それぞれが何かを語っていた。
口々に。
かなしいけれどかなしくない
なみだはとまらなかったけど、やさしさに包まれていた。
そこには時間がなかったから
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急に思い立ってひとり旅。
仕事以外でひとりで旅行などしたことがなかったから、初めての経験。
しかも、選んだ場所は、屋久島!二泊三日の旅。
4月11日、鹿児島空港で小さなプロペラ機に乗り換えて島まで。お天気はくもり。雨もぽつぽつ。。。。
今回は初めてのひとり旅だし、車の運転もできないということもあって、一日めはタクシーを貸切でお願いした。

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さくらだよりといっても、「桜満開!お花見!」からちょっと離れて。
鎌倉の山の上の方で見つけた白いさくら。
ちょっと憂いがあってためいきが聞こえてきそうでしょ?

西陽子

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