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2009年05月29日 『台湾で感じたこと』

昨日台湾から帰国しました。
財団法人日本交流協会台北事務所の主催・亜東関係協会の共催により私のソロコンサートを開いてくださいました。
その次の日には、総統府において馬英九総統の前で演奏させていただく機会をいただき、大変光栄に存じました。

4日間の滞在でしたが、その間にはさまざまなおもてなしをしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。皆様、本当にありがとうございました。

小籠包やさまざまな台湾のお食事のおいしさはすばらしく、街を案内してくださった交流協会の方が台湾に来て20kg太ったと聞いて驚きましたが、納得!
朝起きると食べすぎで胃がもたれているというのに制御できず、誘惑に負け続け、何を隠そう、私も4日間で太りました!(泣)
ごはんからスイーツまで本当においしくて、しかも種類が豊富で、これだけいただいても、あと2つくらい胃袋があったらいいのになあ。と思いました(笑)

お料理のすばらしさもさることながら、台湾で最も感動したのは人々のあたたかさでした。
私は、今回が初めての訪問ですが、たくさんの人に親切に、優しく接していただきました。
それは、けしてかたちではなく、まるで家族が帰ってきたかのようにおもてなししていただきました。
日本語を話される方も多く、日本統治下にあった時代から現在に至るまでのたくさんのお話を実際に経験された方から伺うこともできました。

ちいさな国が、大国の脅威に絶えずさらされながら世界で孤立することになっても、その大らかで朗らかな優しさやつつましさ、誇りを失わなかった裏には、強さとたくましさ、そしてすばらしい知性があることを
感じました。
自分たちの国をよくしよう、自分たちの国を守っていこうという責任感と自覚。

台湾の人たちは、歓迎のために心をこめて・・・というのではもの足りないくらい惜しみない優しさで包んでくださいました。

今日一日荷物を整理しながら、ずっと思っていたこと。

心のケチな人になりたくない!

人間関係を築くとき、誰かを愛するとき、見返りを期待して匙加減するのは、あさましい。
できるだけのことを惜しみなくしよう!
御礼やご挨拶は、かたちではなく自分の気持ちを表すもの。誰かにどう思われるかではなく、相談すべきは自分の気持ちなのですよね。

自分で決められる人になりたい!

失敗を恐れないで、夢や希望に向かって惜しみなくエネルギーを費やそう。
大抵のことは思い通りにならないのが大前提だとすれば、それを叶えるためには努力や苦労があってあたりまえなんですよね。小さなことから少しずつ・・・。
夢が破れたとしても、費やしたエネルギーはきっとさわやかな風になっていつか自分の宝物になるんじゃないかしら。

そして、どんなときも笑って朗らかに歩みたい!

心を豊かにするためには、惜しまないことかもしれないと思いました。というより、惜しむべきものをはきちがえないこと。
縮こまった生き方はしたくない。
出し惜しみするような、何かと引換えじゃないと何も自分からは出さないというような、そんな小さな人間にはなりたくない。

広々とした草原を風を切って走るように軽やかに、さわやかに生きていきたい。
思い通りにならなくても、失敗しても、落ち込むときがあっても、けして卑屈にならず、ヤケにならず
迷って悩んで情けなくても、誰かのせいにしたりしないで黙々と努力することに誇りを持てるような人間で
ありたい。
自分がどんな状態にあっても、他人の幸せを喜ぶことができて、思いやりをもち続けられる人間でいたい。
そして、明るく、いつも心の窓を開いていられるように・・。

プライドは、世間の評価ではなく、自分自身の中にある自分の心や生き方の中に宿るもの。
本当に強くなければ本当に優しくはなれないのですよね。
そして、どんなこともいい方向に転換させられるのが本当の強さ。ですね!

台湾の人たちはたくさんのことを教えてくださいました。
深い尊敬の念と感謝の気持ちと共に、楽しかった旅の思い出にまだ浸っています。

事件の積み重ねが歴史ではなく、人々がどう生きてきたかということを私たちは歴史の中からきっと感じ、考え、学ばなくてはならないのだと思います。

「フォルモサ(麗しの島)」と言われる台湾。
この名前には、風土の美しさと共に人々の心の美しさも表されているのかもしれません。

みなさんも是非台湾に行ってみてください!


2009年05月24日 『気づかなかったこと』

先日、エコー検査で初めて自分のからだの内部をリアルタイムで見ました。
お医者さまから説明を受けながら動いている自分の内臓を見てすごく感動して涙があふれそうでした。
こんなにからだの中では一生懸命働いてくれて、私は生きていられる・・・なのに、私は自分の気持ちのままに時々無茶なことをして、あとはよろしくね!と言わんばかりに内臓に任せきり。丸投げ!
無理難題を押しつけられて、それらを処理して健康を保つために、からだの内部のすべてが必死でがんばってくれる。
がんばってるのは私じゃなくて、このからだの内臓や体液、皮膚、あらゆる機能。
私自身はただの身勝手で全然がんばっていない・・。
ちいさな警告はからだの悲鳴。

からだは自分の思い通りになんでもきいてくれると感謝もせずに甘えてばかり・・・。
自分の内臓が動いているのを見て、絶えず外部から入ってくる悪いものと戦って私を守ってくれていることを初めて実感しました。

心とからだは相互に助け合い支えあいながら私というひとりの人間の存在を成り立たせてくれています。
自分自身の中にも、人間関係と同じようにさまざまな役割があり、関係があり、ひとつの社会のようなものがあるのかな。とも思います。
それはひとつの「世界」であるのかもしれません。

自分のからだなのに、こんなにたくさんのことが起こり、休むことなく働いてくれていることに気づきませんでした。というより、身体(肉体)の存在など意識したことがなかったという方がいいのかな。
年齢を重ねて少し「ん?」と感じることが出てきたのですね。
やがて、どんどん思い通りに動かなくなり、そうして否応なく「からだ」というものを実感していくのでしょう。
そこから知らされていくことも、あらたに感じていくこともまた増えていきます。
どんな年齢になっても、その年齢にならないとわからない経験も感覚もあり、また開かれていくこともあるということですね。

いつまでも若くいたいと誰もが思います。もちろん私だって!
でも、無理をしてからだを矯正するよりも、からだに寄り添える柔らかな感覚を開いていけることこそ若さかもしれないと思います。(慰めかな?笑)

そして、もうひとつ感じたこと。
それは、私も動物や植物と変わらないひとつの生物なんだと思えたこと。地球上に生息している生物。
そう思えたら、なんだか植物も動物も仲間で、ひょっとしたら会話だって夢じゃない!?

今年は忙しくて留守が多いのでツバメがやってこないかな・・と、さみしく思っていたら、先日、やってきてくれました!
パソコンを打ちながら、ふと窓の外を眺めたら、電線の上に藁をくわえたツバメがこちらを向いてきょとんとしています。
帰ってきてくれたのねー!おかえり!
そのうちひなのかわいい鳴き声が聞こえてくるかな?
そして今夜もかえるの大合唱がずっと続いています。
練習はかえるくんたちとの共演さながら!

夜の湿った風は梅雨のきざし。


2009年05月13日 『待つこと』

待っていては何も始まらない・・・。
確かに。

でも、待っていることが得意になったなら、楽しく、ラクチンに生きられることもあるんじゃないかな。と、ふと、思いました。

生徒さんたちに、「一度自分の出した音を静かにじっくり聴いてください。できるだけ長い時間その音のゆくえを追ってくださいね。そして、十分聴いたなと思ったら次の音を出してください。」と言うことがあります。

さて、まずは一音。

・・沈黙・・

私ももちろん一緒に耳を澄ませます。
そのうち、ほとんどみんな居心地が悪くなって、がさごそし始めてきょろきょろ見回してそろっと次の音を出します。
もう随分待ったからこの辺でいいかな・・・。もう耐えられないんだけど・・そんな感じで不安げに。

音の余韻の最後なんて誰にも決められないし、当然わからないものだけれど、最初の一音を出した時点で頭の中はもう次の音のことでいっぱいになって気もそぞろ。
自分の出した音を実は全然聴いてなかったりします。

そうそう・・。
私も即興を始めたばかりのときは、たぶん共演者の音も聴かず自分が出す次の一手(笑)ばかり考えてました(苦笑)。
でも、よーく聴いているつもりだったのですよ。本人は!

「待つ」ということができないんですね。
「待つ」時間を充実させることができないといった方がいいのかな?

「ただ、待つ」という空白の時間を楽しんだり、味わったり、おもしろがったりすること。
なにもないと思われていることの中に何かを見つけること。
それって、できそうでなかなかできないんですよね。

サービスの行き届いた環境に慣れて育ったから、電車が時間通り来ない、注文したものがすぐ来ない、こちらの言っていることをすぐに理解してもらえない・・・そんなことにイライライライラ。
そして、それは自分にも向けられるんです。
すぐにできない!自分にイライラ・・。

ちょっと休憩しようよ。
気分を換えて、寄り道してみようよ。
・・・と心がつぶやいていても、「そんなヒマないのよー。時間がもったいない。無駄無駄!」かき消すようにイライラ虫が増殖。
社会にイライラ、環境にイライラ、他人にイライラ、自分にイライラ・・・イライラ虫はなかなか手ごわい!

私は、のんびりしていて、行動も人より遅いし、不器用なタイプ。
で、ノロノロ虫とイライラ虫の対決は日々あって(もちろん自分の中にも)、たいていノロノロ虫の敗北に終わり、駆逐されてしまいます。

しかし、立ち止まったり回り道したりすることで、見落とされた宝物を拾うこともあるんです。
そして、秘密の近道を発見することもあります。
行動のパターンやスピードは人それぞれ。
みんなが同じ速さになることはないんですよね。なれるわけがないですしね。
イライラ虫が強力に増殖しているために、みんな同じスピードで走っていなくちゃいけないように錯覚しさせられているような気がします。
速い人も遅い人もよいこともよくないこともあるし、お互いを知り合えたらもっと楽しいはず。

ちがう速さで生きていいと思う。自分のスピードを知ったほうがいいと思う。
「待つ」ことの楽しみを見つけたらいいと思う。
なんにもない時間は、空白は、すきまは、いいものだよ!
生徒さんにそんなことを感じてほしいと思うんです。

のんびりしすぎの気もある私は、調子に乗って、「ああ、私は待つことに退屈なんてしないし、ましてイライラなんてしないわ。」と思い込んでいました。

先日、タイのバンコクに行って街中でスコールに遭いました。
突然の雷雨。
「えーっ!どうしよう!帰れないよ!」とウインドウショッピングを楽しんでいたくせに急にホテルに戻りたくなったりして・・。
バンコクの人たちは慣れているせいか、誰ひとり動じることなくショッピングモールの大きな屋根の下で雨宿り。
1時間がたち、2時間たっても小ぶりになったものの雨は止まず・・。
最初はすぐにあがるだろうとコーヒーを飲んだりしていた私も、さすがに2時間経つと心の中で「もう、どうしてまだ止まないのー!」とイライラが始まった。タクシー乗り場にタクシーは全然来ない。またまた「一体どうなってるのー!」とイライラ。

バンコクの人たちはにこやかに待っている。ひたすら空を見上げて待っている。

ほんと、まだまだです(汗)
待つことを忍耐と感じてしまううちはダメですよねー!

もしかしたら、音も、何事も、それ自体が生まれるタイミングを本来持っているんじゃないかしら?


2009年05月08日 『新緑のさわやかな季節』

5月2日(土)大阪大学豊中キャンパスにある21世紀懐徳堂多目的ホールでお話と演奏をしてきました。

21世紀懐徳堂というのは、江戸時代大阪町人の有力者が発起人となって学者たちと創立した学問所「懐徳堂」に由来しています。学問・文化・芸術を自らの手で育て、国際学芸都市としての繁栄をめざした大阪町人の精神を受け継ぎ、関係の深い大阪大学内に設立されました。
ここでは、大学の教職員・学生、そして市民が交流し、情報を交換し、さまざまな文化活動を行っています。

今回の企画は、大阪大学大学院の野村美明教授が中心となって行われ、もうひとりの講師は南部真知子さん(株式会社神戸クルーザー・コンチェルト代表取締役社長)でした。

参加している方々は、大学の先生方、企業家の方々、学生さんなどなど・・。本当に多彩な方々がいらっしゃいました。
「リーダーシップ」ということを音楽での経験を通して話しました。30分余りの演奏をはさんで質疑応答もありました。

ソロで、あるいは複数で演奏しているとき、自分自身や演奏家同志あるいは聴衆と演奏家の間に一体どんなことが起こっているのか?
そこからお話は始まるのですが、人が集まって何かひとつのことをしようとするとき、あるいはひとつの空間にまとまるとき、共感や感動が生まれるときには、それぞれの人がまったくちがう方向を向いて無関係でいるわけではなく、あるひとつの方向に向かいます。そのためには、それを先導する人が必要です。
それが、リーダーと言われる人で、その人次第でその集団の行方は決まります。生活や運命までも決めてしまうことだってあるわけで、リーダーとしての天性の資質もあるでしょうけれど、たとえば見失っていることやいろんな方法を知るということも興味深く、大切です。

音楽は成績や収入に直結することはありませんが、何人かで作る舞台の中心にいる人はあらゆる面に心を配っていなければ感動の時間も空間も作ることはできません。
私は、さまざまな人たちと関わって、リーダーになったり、リーダーを補佐する立場や従う立場になった経験や失敗談を踏まえてお話しました。

リーダーになる人は、人並み外れて仕事ができるだけではだめなのですよね。独裁者であってはならないし、かといって何も自分で決断できない優柔不断な人でも困る・・・。
リーダーになった人には、責任があります。いい状態を持続させるためには、思い切った変化が必要であったりします。どんないいものでも、よどみやにごりが出てきて浄化しなければならないときがきます。
たえず脱皮をくりかえすためにはどうすればいいのでしょう?

結局、音楽であれなんであれ、人と人の間に起こっていることは同じなのかもしれません。

みなさんは、自分を含めまわりの環境をよくするために何が大切だと思いますか?


そして、5月5日(火)こどもの日に和歌山県の熊野にある本宮大社で奉納演奏させていただきました。
大斎原(おおゆのはら)という大社の旧社地での演奏の予定でしたが、あいにくの雨になり、本殿の中での演奏になりました。
何かイベントがあるときは晴れる本宮ですから安心していたら、雨。しかも大粒の雨。
日頃の行いが悪かったかな・・・と胸に手を当ててみて反省しましたが、これは、「まだ早い!もっと修行してからまた来なさい。」というかみさまの思し召しに違いないと思い、あらためて励ましていただいたような気がしました。
なんといっても目標ができたのですから!

演奏のあとは、桐蔭高校でのプログラムと同じく、竹中平蔵先生の講演があり、そのあと地元の中学生のための経済と音楽の授業。
故郷で先輩や地元の人たちと一緒に交流し、自分にできることをして、協力し合い、刺激し合い、一緒に考え、お互いに元気になるというのは本当にすてきで、楽しいです!

こどもといえども、音楽家といえども、お金と無関係に生きていくことはできません。お金の問題は社会生活そのものですから。
わたしたちにとっては必須の問題です。

お金はなんのために、どれくらい欲しい?
欲しいものは何?
それがあると幸せになれるの?

お金の使い方って?

いろんなことを考えます・・・。

ところが、音楽はなくても生きていけるもの。
なのに、音楽は紀元前、古代から今まで途絶えることも絶えることもなく存在しています。
そして、やっぱり音楽のない生活って味気ないですよね。

幸せや豊かさは、夢と現実を言ったり来たりするところにあるのかもしれません。
環境はたえず変化し、自分自身にも日々変化はあります。
喜びもあればかなしみもあるし、美しいこともあれば汚いこともあります。
無駄と遊びばかりだと破綻するけれど、すべてが合理的になってしまったら愛情や思いやり、優しささえも消えてしまうかもしれません。

幸せも豊かさも見つけたもの勝ち!というところもありますよね。
道端に咲く小さな花、思いきり天に向かって伸びようとしている木々や若葉、ただただ青い空、そして、赤ちゃんの無邪気な笑顔、だれかに優しくできたときの自分、幸せの種は身のまわりにいっぱいあります。

かなしいときに音楽が慰めてくれることもあるし、欲しかった楽器を手に入れられたのはお金があったから。

幸せは考え方次第!(しつこく!!笑)
スタイルのよしあしも、美人の基準も、頭のよしあしも、センスのよしあしも、自分の中にある世間の基準と勝手に比べているだけ。
標準であることがすてきかなあ・・・?
自分で自分を、幸せですてきだと思って生きていくために、今日も夢と現実を行ったり来たり。

2009年04月30日 『遅まきながら・・・活動のご報告』

ああ、いつからご報告を、スケジュールの更新を怠っていることでしょう・・・。
本当にすみません!

香港上海ツアーを終えてから今日までのご報告をしたいと思います。
和歌山や海外への移動が多くて、ほとんど鎌倉で生活する時間がなく、連絡も途絶えがちでたくさんの方にご迷惑をおかけしていることと思います・・・。

3月10日(火)
私の出身高校・和歌山県立桐蔭高校で、大先輩である竹中平蔵先生と一緒に創立130周年のプレイベントとして高校生たちに授業をさせていただきました。
授業の様子は、コチラ↓に詳しく取材していただいていますので、ご覧いただけると幸いです。
http://www.toin-h.wakayama-c.ed.jp/
そして、この模様は、ニッポン放送でラジオ放送していただきました。

関西大学での講義のときも同じでしたが、楽器に実際触れてもらうと皆さんすぐに夢中になって、あっという間に時間がたってしまいます。それで、いつも用意していった講義の内容の半分くらいしかお話できなくなってしまうのですが、私はそれが一番うれしい!と思っています。

竹中先生の講義に私も高校生と一緒に参加させていただきましたが、日常生活の中に隠れているたくさんのことに気づかされました。
生活の中にこめられたたくさんの人たちの知恵や苦労、歴史・・・。そして、道端にひっそりと咲いている花、空の色、鳥の声、風のにおい・・・
そんなたくさんのことに気づけたなら、自然に生活は豊かになるし、楽しくなるし、感謝することもいっぱい。世界が広がって、たくさんの発見が自分自身の発見にもつながるし、元気の素にもなるんですね!

アンテナを磨こう!そう思った一日でした。

そして、その後、3月29日(日)に桐蔭高校で毎年恒例のおさらい会をしました。23回目になります。25回には記念になにかできればいいなと思っています!!!
OB・OGのみなさん、是非参加してくださいね。

4月12日(日)には、鎌倉まつり「静の舞」で奉納演奏。もう今年で5回目になります。
鎌倉の住人として認められたような気がしていつも光栄に思い、参加させていただいています。

そして、実は今日はニューヨークから帰国したばかり。
4月24日(金)
カーネギーホールで演奏してきました!
テリーライリーという世界的なアメリカの作曲家の「inC」という作品を、クロノスカルテットがプロデュースし、世界中から約60名の演奏家が集合して演奏しました。
私は、KOTO VORTEXという4名の女性筝アンサンブルで活動してきましたが、そのグループが招待されたのです!
メンバーは、丸田美紀さん、竹澤悦子さん、水谷隆子さん、私の4名。
この日記にも何度も書きましたが、水谷隆子さんは、このカーネギーホールでのコンサートを楽しみにしていましたが、この日を待たずして逝ってしまいました。
残念でなりません・・・。でも、きっと一緒に参加して弾いていたにちがいないと信じています。

簡単に説明すると、同じパルスの上できれぎれのメロディーを個人個人が好きなようにつないで輪唱していく作品。1時間30分、60名の音楽家が休みつつもずっと演奏しつづけるのです。

演奏終了した途端、最上階のバルコニー席まで満員の聴衆が総立ち。歓声がホール中に鳴り響きました。
この瞬間にいられたことにただただ呆然としていました・・・。
世界の憧れの舞台に、筝があって、それを弾いている私がいる・・・それがなんだか信じられない気がして。

ニューヨークの街は生き生きとしていました。
毛皮を着ている人がいるかと思うと半袖のTシャツの人もいて、思いきりおしゃれを楽しんでいるし、若いカップルも白髪になったカップルも仲良く手をつないで堂々と愛し合っています。
誰がなんといおうと、私はこういう服が着たくて、この人を愛していて、思いきり仕事をして、思いきり遊んで、好きなように生きていく!
これが私の生き方!
人生楽しまなくちゃ!
そんな声が聞こえてきそうでした。

もちろんアメリカにはアメリカの、ニューヨークにはニューヨークの問題があるのでしょうけれど、私には堂々と生きることを謳歌している姿が年齢に関係なくとても若々しく、すがすがしく、凛々しく、すてきに思えました。
自分の人生だもの、自分の生きたいように生きなくちゃ!
すべてが思い通りになんていくはずがありません。
そんなわがままや傲慢ではなく、限りある時間だからこそ、限りある人間だからこそ、大切にすてきに。
颯爽と風を切って胸を張って笑顔で歩いていきたい!ニューヨークの街はそんな元気をくれました。

さて、5月2日(土)は大阪大学で公開講義を行います。ご案内はコチラ↓です。
http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/leader/index.html

ゴールデンウィークは、少しのんびりする予定です。
みなさんは、どうすごされるのでしょうか?

新緑で黄緑の若葉が空をめざしてぐんぐん勢いよく伸びています。
その姿に影響されたのか、ニューヨークの空気に触発されたのか、どちらにしても、ちいさなことに振り回されないで自分をしっかり見つめて邁進したい!そう思っています。

2009年04月15日 『まずはやってみること』

春になると、なぜか亡き人を偲ぶ気持ちが強くなります。
祖父母のこと、先生のこと、友人のこと・・・。
こんなに花が咲き乱れて、明るい日の光がさして、新しい命が芽生えていく季節だというのに。

私の身の回りには、亡き人たちがプレゼントしてくれたたくさんの物があります。それを見て、手にとって、あるいは使うとき、それらの「物」からたくさんの記憶が甦ってきます。
交わした会話、そのときの表情。
そうして、ひとりごとのように話しかけます。それらの「物」が橋渡しして私のことばを届けてくれるような気がして・・・。
今ここにいたら、なんと答えてくれるだろう・・・と思うことも。

さくらは、春の淡雪。
泡のように、幻のように消えて、思い出だけが心の中に残される・・・。

今年もまた熊野に行ってきました。
山も海も川も変わらず、私も変わらず、河原のひだまりでお昼寝したり、ぼーっと山を眺めて風を感じていたり・・・。
鳥や虫の鳴き声も川のせせらぎも一晩中聞こえます。

あれこれ考え込むときも、迷うときも、立ち止まってしまうことも、わからなくなってしまうこともあるけれど、どんな糸口でも見つけたらまずはやってみること。
今はそう思っています。
構想をいくら練ったところで、何かが違うと思ったところで、それはあくまで想像の世界。
どんなちいさなことでもいいからとりあえずはかたちにしてみる、からだを動かしてみる・・完成や完璧を求めても、それは不可能だし、そう思った時点でもうその先はありません。
ずっと学んでいくんだ、いつでも途上なんだという気持ちで、やっぱり生涯チャレンジャーでいたいですよね!

つるつるのきみどりの芽や葉っぱが風に揺れています。
かわいいウグイスの声が山から響いてきます。

春、はじまりの季節。

「おわり」にありがとう。
そして、「はじまり」によろしくねと手をつなぎたい。

そんな春、そして、初夏へ。

↓熊野で撮った写真です

菜の花はおひさまのお使い
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しばざくらはおしゃべりして
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風のこどもがやってきた!
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川面に揺れる鯉のぼり・・・こどもたちへの祈り。
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2009年04月05日 『ついに4月!』

あっという間に3月はすぎ、私はひとつ年を重ね、ついに4月になってしまいました。
更新を怠っていてごめんなさい!

このひと月の間に、母校和歌山県立桐蔭高校でワークショップをしたり、毎年恒例のおさらい会をしたり、いろんなことがあったにも関わらず、ご報告もできずに失礼しました。
風邪をひいて寝込んだり、手の調子がよくなかったりして、なかなか日記を書く余裕が持てずにいました。
そんな中で考えたこともたくさんあります。

ひとつは、演奏法について。

ワークショップなどでお話をするとき、楽器がどういう状態かとか環境がどうなのかということを感じて対話しながら演奏していくんです・・・と、よく言います。

今回手の調子がよくなくて考えたことは、当然のことなのに実感せず、実行してこなかったこと。

つまり、自分のからだと対話しながら演奏していくこと。

20代の頃、ともかくたくさんの曲や技術を習得したいがために一日10時間以上、へたするとお食事をいただく時以外は練習というような生活をしていました。
できない技は力まかせに牛耳ってしまうというような筋肉の使い方にからだが悲鳴をあげたのでしょう。
肩がまわらなくなると同時に足まで引きずらなくては歩けないほどになってしまい、全身針治療を受けて治したことがありました。
そのとき、演奏法について考え直して、以来、随分力も抜けたし、楽に弾けるようになり、腱鞘炎になることもなく、何時間弾いても全然つらくありませんでした。
休むことなく一日中でも弾いてられるなあと思うくらいでした。

最近、忙しいということもあり、移動で重い荷物を持つということもあり、もちろん年齢のこともあり、そんな中で手の調子がよくなくて、とまどいました。
これは、きっとここで再びとどまって演奏法について考えるべき時なのだろうと感じました。
ただし、演奏法といっても実際手のことだけを考えていてはいけないのですね。要するに全身を使って演奏することが大事で、だから全身のケアが大事ということです。
整体の先生に診ていただきながら、でも、実際の感覚は自分にしかわからないものだし、自分のからだと24時間共にいるのは自分自身なのですから、頼ってばかりもいられません。

まずは「聞く」こと。
少し動く。からだのどこがどういう風に動いてる?もっともっと楽にできることがあるはず。
からだのすべてを使って、脱力して・・・。
弾くことより、感じること。

自分のからだとの対話。
愛情をもって、優しく、丁寧に、相談。
そうして、今度は自分の居場所を確認していきます。
お部屋の中、鎌倉、今日のお天気、温度、湿度、風、季節、地球のこと・・・。広い広い宇宙の中にいる自分のこと。

からだもこころも時間をかけて対話しないと、自分自身のことなのにわからないことばかり。
自分の居場所だってちゃんと確認することなんてないですよね。

地に足をしっかりつけて生きていくことって、心がけのようだけれど、実際物理的にもそうあるべきで、それが基本のような気もします。
自分と深く深く対話して、そこから世界へ開いていく感覚。
時間をかけて、ゆっくりと。
あわてないで、ひとつひとつ丁寧に。
それがあるときすごいスピードでなめらかにながれていく。
瞬間という一瞬の時間をつかむために時間を押し広げて感じていく。

スローモーションの映像みたいにすべてを感じることができたなら、超高速は普通になるんです。
身体との対話。自然との対話。時間との対話。

現実と思っている現実は、自分だけの現実。

演奏法のお話からとんでもない方向に来てしまいました(汗)!
でも、最近はこんなことをぼんやり考えています。
演奏法だって、それは個性であり大げさに言えばその人の生き方だったりするように思います。

考えていることのふたつめは次回に!

2009年03月05日 『香港・上海コンサートご報告 後編』

私が今何より感じていることは、「感謝」という一語に尽きます。
コンサートのためにどれだけの人のどれだけのお力やお気持ちをいただいたかしれません。

いい演奏会にしようという思いがあふれていました。香港も上海も・・・。
関わってくださった人たちのすべての中に・・・。
私はもちろんすごくすごく感謝しつつ、だからこそ安易な妥協はせず、みんなが思いきりリラックスして楽しめるコンサートにしたいと強く思いました。
そんな恵まれたすばらしい環境の中で、コンサートを「作っていく」ことの喜びを心から感じていました。

共演者は、フルートの南部靖佳さん、ピアノの田中聡美さん。
共演した曲は、クレズマー音楽とピアソラの作品。
そんな音楽を筝で演奏するということがまず邪道であり異端なのですから、オリジナルに近づけようとまねをしたところで筝で弾く意味もないし、筝の魅力も発揮できません。
ですから、そんなものは最初からはずして、ひとりのただの音楽家として、演奏家として、楽器の魅力を最大限に引き出して、魅力ある音楽を作りたいと思いました。
CD「ファンタスマ」の中でクラシックの編曲した作品も演奏していますが、そういう姿勢を貫いています。輝いていて、楽しくて、生き生きと、魅力あふれるものでなければ音楽とはいえないですものね!
ですから、最初におふたりには「クラシックの音楽家であることを忘れてください。わたしたちのオリジナルの音楽を作りましょう!」とお願いしました。
回数を重ねるたびにみんながそれぞれに工夫したり、冒険したりして、さて今日は?という音楽はやっぱり楽しいです。

リハーサルでの音のチェック。
マイクを使用したので、細かい指示を出して相談しつつ音を決めていきます。
マイクの角度や場所を数センチずらしただけで音が大きく変わります。それを音響さんの経験や技術と私の耳と判断で相談しながら決めていくのです。
上海で音響を担当してくれたのはフランス人のマックスさんという方でした。私の細かい注文に「これでどう?」「この方がいいんじゃない?」「そうそう!やっぱりこの音がいいよね!」という風に根気よくつきあって、いい音にしてくださいました。(不思議というべきか、当然というべきか、音楽に関してだけは英語で会話が成立するんです!)
リハーサルが終わった瞬間に、マックスさんは目を真っ赤にして、「感動したよ!」と涙を流して言ってくれました。私も本当にうれしかった・・・。
「これから本番よろしくお願いします。いいコンサートにしましょう!」そう言ってかたく握手しました。

コンサートは当然ながらひとりでできるものではなく、たくさんの方々の力に支えられています。
華やかな舞台は、ひとときの夢です。
みんなで作る夢です。

コンサートが終わったあとのレセプションで、「もし、日本にいて同じ演奏を聴いたとしても、こんな風に感動できたかどうかわかりません。こちらに来て日本という国のことを考えるようになりました。僕は今日ここに来れたことをなにより幸せに思います。」と言ってくださった方がいました。

音楽に日本も世界もないけれど、否応なく日本という国の伝統や民族を背負っている筝がグローバル化する世界の中でどう輝いていけるかというのは、日本人としての私自身の生き方に突きつけられた課題のようにも思えます。

妥協でなく、馴れ合いでなく、あきらめでなく、お互いに尊敬をもってわかりあうために、まずはたぶん自分の音楽をよく知って、愛して、そして自信をもっていられることが必要なのかもしれません。
本当に心から手をつなぐために・・・。

おしまい


2009年03月04日 『香港・上海コンサートご報告 前編』

昨夜は桃の節句。おひなまつり。鎌倉は、ちらちらと雪が舞いました。
雪が降るという天気予報を聞いて、早めの時間にお買物をして食料をあれこれ買い込みおうちに籠る準備。

春の雪。
雪の夜。

それだけで少しわくわくして、特別な時間になりそうに思います。
お買物からの帰り道に降りだした粉雪。
重く垂れ下がった雲のかけら。ちぎられたように。
視界を遮られて人との距離は遠くなり、世界は垂直になったように空と地のあいだに生きている自分。
ひとりぼっちの自分・・・。
遠くにいるひとを強く愛することのできる自分。

こんな寒い日に、こんな冷たい夜にも、あったかい命を抱きしめて歩くひとたち。

この雪は冬のなごり。冬のしっぽ。
季節が思い出したように別れを告げに来てくれた・・・。
まるで、忘れないで。と言っているように。
まるで、一瞬振り返って手を振ってくれたかのように。

しろい季節は色づいて、さくらいろへ染まっていきます。
さくらが散る頃、また雪を想うでしょう。

まぼろしのゆき・・・。

香港と上海でのコンサートを終えて帰国したのはもう随分前なのに、なかなかご報告できずにすみませんでした!
今回は、ソロを4曲、フルートとピアノと筝のトリオで2曲、合間にフルートとピアノのデュオを2曲演奏していただきました。
お客様は、香港・上海に赴任してお仕事をされている日本人の方が大半。
筝のさまざまな魅力を楽しんでいただきたいと思いました。

コンサートを開催するにあたって、たくさんの方々のご尽力に心から感謝し、細やかに心を配っていただきましたこと、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

2月18日香港公演。(詳細はスケジュールをご覧くださいね。)

前日17日に香港入。楽器も無事到着。(ともかくも楽器のことがいつも一番気がかり・・・。)
会場に入って軽く音あわせ。

その練習中に、なんと絃が一本切れてしまいました!
今回はいつもより少し強めに張っていたので「私の力で締められるかしら・・・」と心配しましたが、応急処置はうまくいき、上海のコンサートまでずっと無事に終えることができました。
筝というとしとやかなイメージですが、楽器の運搬・準備は力仕事ですし、演奏もかなり体力を必要とします。また、糸を締める技術を身につけている演奏家は少なく、これは男性でもなかなか締められないほど力が必要だからというだけでなく「コツ」をからだで覚えないと難しい技だからです。
大学時代、定期演奏会では絹糸を使用し、出演する3.4年生の練習に立ち会って1.2年生は次から次へと切れていく筝の糸締めをしなくてはなりません。
使う器具は、木の棒を1本とすべりどめの松脂、ゴム。(プロのお筝屋さんは棒のみ)
締め方もいたってシンプルなんだけれど、それゆえに難しい・・。
腕に内出血の赤紫色の痣を作りながら、何度もトライして、少しずつコツを体得し、その技を自分のものにしていくのです。
ん・・・こどもが自転車に乗れるようになるプロセスに似ていますね。

そのあと、今回お世話してくださった方々が香港の街にお食事に連れて行ってくださいました。和気藹々楽しく、そしてすごくおいしくいただきました。
中でも、香港で社長さんとして活躍されている戸崎さん・青田さんの女性おふたりは、豪快でさわやか、余裕があって、しなやかで朗らかで、しかも細やか。ご本人たちは、ご自分たちのことをビューティーペアとおっしゃって笑っていらっしゃいましたが、まさに!憧れのおねーさまという感じで、すごくチャーミングな方々でした!
つきっきりで音の調整をしてくださった高橋さんも音楽のお話は尽きることなく・・・。
本当にありがとうございました。

18日演奏会は無事終了。

ちょっと長くなってしまったので、演奏の内容や上海のご報告は次につづく。ということでひとまず・・・

あ!夜が明けました・・・。
雪、積もりませんでしたね(微笑)

つづく

2009年02月16日 『明日から』

和歌山から紀ノ川を渡り、さらに山を越えて大阪へと向かい、そこから新幹線に乗って新横浜または東京に移動するという経路をもう何度経験したかしれません。
和歌山で月一度のレッスンを始めてもう20年以上になります。
同じ道を何度も・・・・。
だけど、不思議と飽きたなあと思ったことは一度もないのです。

同じように見えても、全く同じことなんてないのですよね。
毎年同じように四季は巡ってくるけれど、毎日朝が来て夜も来るけれど、ちいさな変化はいっぱいありますから。
それは、もちろんそれ自体も変化しているし、自分も変化しているからですよね。

いつもと違うことを発見することは楽しい。
そしてまた、同じ(ような)ことが巡っていることを発見するのも楽しい。

要するに、何かに気づいたり、発見することって楽しいのですよね。
見たこともない世界だったり、とてつもなく広い世界だったり、そんな未知の世界に突然プラグがつながったような気になるんです。

発見に終わりはなく、だからやっぱり、この世界はとてつもなく広く深いのです・・・。

道端で咲くちいさな花や、風に揺れる木々の葉、空を流れる雲、夕陽のあでやかさ、つぼみの愛らしいふくらみ、ぴかぴかの芽、落葉のささやき・・・
そのひとつひとつが、生きているということを、動いているということを感じさせてくれます。

和歌山で春一番が吹き荒れました。
その夜、吹きすさぶ風のものすごい音を聞きながら筝を弾きました。

春の戸を叩く音・・・

みなさんは、毎日、何を見て、聞いて、感じていますか?

土の中から顔を出したつるつるの若芽を見て、心がちょっと苦しくなるくらいかわいく、いとおしくなる瞬間ってないですか?
青空を見上げて、風を感じて、自分が風船になったような気持ちになることってないですか?

明日から、私のコンサートの香港・上海公演が始まります。(スケジュールにアップする余裕がなくてすみません!)

音楽は、「場」を開く。
そう今は思っています。

帰国しましたら、またご報告したいと思います。
待っていてくださいね!

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