小さなできごと

2021-05-31T23:32:59+09:002021/05/31|

梅雨前線北上中。皆様お変わりなくお過ごしですか。 この季節の楽しみはなんといっても紫陽花です。和歌山の自宅の庭にも2種類の可愛い紫陽花があります。以前住んでいた北鎌倉はまさに紫陽花の町でした。そして、東京の街にも意外とあちこちにたくさん咲いています。しかも種類も豊富。   気がつけば明日から6月。今は、秋の一連のコンサート(まもなくご案内できると思います!)に向けて、作曲、練習、そして、本を読んで調べ物をする日々を送っています。   最近の私の安らぎの場所は、近くの横断歩道脇にある大きな木の下!そこは、違う種類の2本の木が寄り添って合体した一風変わった木陰。道路の真ん中だというのに、最近成長著しく、葉がこんもりと繁って、忙しく通り過ぎる人たちをじっと横目で見ているような風情。ある日、思いきってその木の下にもぐってみました。上を見上げると、なんと薄黄色のグレープフルーツに似た果実がいっぱい実っているではありませんか!重なった葉の隙間から微かに光が入って、そこには異空間が!日差しの強い日も、大雨の日も、強風の日もここに入れば安心。守ってもらっている、包まれている感覚がなんとも言えない幸せと安らぎを与えてくれます。   貴重な晴天の日は、夕方6時くらいからベランダにテーブルと椅子を出して、簡単な夕食を取りながら、陽が沈んで街にパラパラとあかりが灯り、やがて夜になっていく空を眺めて過ごすのが至福の時です。   一方でピラティスは楽しく続けています。昨年の1月に始めたので、もう1年半になりますが、体型や姿勢が少し整いました。ストイックに毎日鍛えるわけでもなく、食生活も変わらないので、当然痩せて若い頃のようなほっそりとした薄くてしなやかな身体には戻るわけでもなく、筋肉がモリモリつくわけでもないのですが、自分の身体の使い方の癖を知って意識しながら生活し歩くだけで体型も姿勢もすっきりしました。しかも、動くことが楽になり、気持ちも軽やかになりました。良い姿勢というのは、ただ胸を張るだけではだめで、下半身を安定させることから始まるのだなあ。と実感します。土台が大事! と、いい気分になった直後、「さて、そろそろ夏のノースリーブでも着てみようか。」と思い立ち、鏡の前に立ってみたところ、自分の二の腕のだらしなさに驚き!上半身に意識が向いていなかった!(汗) 以前、頑張ってダンベルなどして鍛えたところ、筋肉が硬くなって演奏しづらくなった経験があったので放置していたら、こんなことに…。最近の腕の疲れやすさはこれかもしれない。と反省したのでした。 両親が亡くなる直前、すごく痩せてしまった様子を目の当たりにしたので、それ以来、いつかは私も枯れて痩せてしまう時が来るのだから、無理して痩せるより今の身体を受け入れて愛してこのまま整えよう。と思うようになりました。とはいえ、この腕は酷すぎます(笑)。 身体の感覚と脳がつながっていくのを実感するのは楽しく、生きていることの奇跡を実感し、身体への感謝の気持ちと愛おしさは増すばかりです。   そういえば、先日NHK・Eテレのイタリア語講座で、バイオリニストの古澤巌さんがアマルフィ海岸に行き、崖のはるか頂に建つ小さなお家に一人で暮らすおばあちゃん(90歳くらい?)を訪ねていました。若い頃の写真はもう女優さんのように美しい!番組の最後、ワインをご馳走になったお礼に古澤さんが映画「ニューシネマパラダイス」のテーマ曲を生演奏をされていました。 崖下に見える南イタリアの青い青い海を背景に、白い石造の鄙びたお家のベランダに座る老婦人。深い皺がいくつもいくつも刻まれたお顔がアップで映し出され、音楽が流れる中でおばあちゃんの目から涙が皺の溝をゆっくりと伝っていく。その瞳は遥か遠くに向かっていました。

My Life, My Happiness

2021-05-11T13:18:22+09:002021/05/11|

前回予告していた海外公演・インド編をほぼ書き上げたのですが、インドの感染状況が深刻さを増していく中でどうしてもアップする気持ちになれず、ごめんなさい、延期します。 今はただ状況が改善されることをひたすら祈っています。 そして、日本も再び状況が悪化。ワクチンが行き渡って安心できる日を心待ちにしています。   新緑の季節がやってきて、街路樹や庭の木には新芽がいっぱい出ていてつやつや。露玉が葉っぱの上に弾けそうに膨らんでぷっくり宿っていたりすると、ちょんとつついて転がしてみます。ぽろぽろぽろと土の上にこぼれ落ちると、音も一緒に飛び出してきそうです。 私は、今年の連休も録音や打合せ以外は東京の家で読書や掃除などをして静かに過ごしておりました。   最近読んだ本は、 スタインベック「ハツカネズミと人間」。もう嗚咽が出るほど泣きました。今思い出しても胸が潰れそうです。 ヘミングウェイ「老人と海」。こちらは、釣りをしたことがないのでわかりにくいこともたくさんありましたが、それでも手に汗握る展開に引き込まれて最後まで一気に読んでしまいました。 今は、サマセット・モーム「月と六ペンス」と折口信夫「古代研究」を読み始めたばかり。 あとは絵本やトルコのむかしばなしをぱらぱらと・・・。 大好きな旅行ができない今、私にとって本は時空を超えていろんな世界に連れて行ってくれる素敵な乗り物のような存在です。   そして、日本手ぬぐいで布巾を数枚作りました。日本手ぬぐいに使われている晒木綿の肌触りは本当に気持ちがよくて、洗ってもすぐ乾くし、まるできっぷのいい江戸っ子のさばけたおかみさんみたい!(喩えが私流ですみません!笑)手ぬぐいは色とりどりの楽しい模様で染め上げられていて心が浮き立ちます。 晒に刺し子刺繍をして布巾を作るのも好きです。刺し子をすることによって布が強くなるだけでなく伝統的な柄も色の組み合わせによっては印象が変わってすごくモダンになります! 窓ぎわに小さな物干し台に置いて、布巾たちを並べて干し、時折吹いてくるそよ風に揺れている様子をじっと眺めているだけでもうご機嫌です。

師匠の教え

2021-04-24T15:50:54+09:002021/04/24|

最近、NHKオンデマンドで2007年10月〜2008年3月に放映された連続テレビ小説「ちりとてちん」を観ることにはまっています。上方落語の落語家を目指す女性の物語なのですが、毎回爆笑したり、号泣したり・・。伝統芸能の継承、師弟関係、舞台は関西、など私自身の生活とかぶる部分も多く、さらに私の師匠・沢井忠夫先生との思い出も重なって、夢中になって観てしまいます。 もちろん落語の演目がたくさん出てくるのですが、手ぬぐいと扇子だけであんなにいろんなことを表現できるなんて本当にすごい!そして、絶妙の間合い。役によって声色が違って、スピードが違って、一人で何役も瞬時に演じ分け、絶妙の間合いで笑いが生まれる! 究極にシンプルで、さまざまな見立てや工夫を加え、空間と時間をデザインし、お客さまの想像力をかき立て、豊かな世界が生まれる。 これぞ日本の素晴らしき芸術!と思わずにはいられません。   ドラマには個性豊かな弟子たちが登場し、師匠もまたけして完璧ではなく弱い面を持った一人の人間として描かれています。 欠点や弱さが不思議なことに、その人の魅力となり、個性となっていくのです。 なし得ないもの、こぼれ落ちるもの、欠けているもの、それは本人にとっては目を背けたいものであったり切り捨ててしまいたいものであったりするけれど、そこにこそ自分の本質が眠っていて、愛すべきものなのかもしれない。とドラマを観ていて感じるのです。   とはいえ、完璧であることは神の領域で到達できないとわかっていても憧れ追いかけたくなります。 そもそも「完璧」って何?という話ですが・・・。 沢井先生は、私にとっては完璧でまさに神の領域にいらしたけれど、先生は先生にしか見えない神の領域を追いかけていらしたのだろうと思います。   先生が私に伝え、残してくださった大切なことは何だろう?と考えます。 音楽に対して、子供のように無心で無邪気で純粋であれ。正直で真摯であれ。そして、音楽は自由で楽しいものだ。ということだと今は思っています。   次回は、海外へ演奏に出かけたときのお噺など、一席おつきあいをお願いいたします(笑)。

新たな展開

2021-04-08T03:17:29+09:002021/04/07|

桜はもう散ってしまいましたが、足元を見れば街のあちこちに色とりどりの可愛らしいお花が揺れています。   4月4日、延期になっていた東京教室の第1回お弾き初め会を無事開催することができました。場所は日本橋のど真ん中でありながら、別世界のようにとても落ち着いた広い和室。まだまだ安心できない状況であることから、出演者5名お客さま5名のクローズドでの演奏会となりましたが、 出演者の衣装は基本的に着物としたので春らしく華やいだ雰囲気になり、家族的で寛いだいい時間を過ごすことができました。   私の教室では、毎年8月に和歌山で教室生全員が集う「おさらい会」が行われます。東京教室生は和歌山に移動しての参加。お客さまは、固定ファンの方も大勢いて150名くらい毎回ご来場いただいています。 3月か4月に曲が決まり、和歌山教室では個人練習や合奏練習を積んで8月の上旬に全員揃っての公開レッスン、そして、前日リハーサル、本番、というスケジュール。一方、東京教室は参加人数の関係からも合奏曲が少なく、リハーサルで合流となるため、個人個人の熱気は高まるもののちょっぴりさみしい・・。 おさらい会は、皆さんそれぞれにとってかなりハードルの高い曲が課題曲となります。ですから、本番が近づくにつれ熱量はうなぎ上り。1日のレッスンが終わった後もレッスン室は熱気がこもったまま、息苦しいくらいです(笑)。 そして、当日の緊張感は気を失わんばかりですが、皆さんの演奏は堂々としていて素晴らしい!12時開演18時過ぎに終演という約6時間に及ぶ演奏会にもかかわらず、次はどんな演奏だろう?と思うと途中で帰れなくなってしまったというお客さまの声もたくさんいただいています。   昨年末、何もかもめいっぱいの「おさらい会」とは別に、気楽に楽しむことを目的とした会を開こうという企画が持ち上がり、図らずもこの状況下、和歌山と東京でこの新しい企画が実現することとなりました。和歌山ではこれまで習った曲を蔵出しして合奏を楽しもうという「虫干しの会」、東京では東京教室生が集まって交流し、家族やお友達にも聴いてもらおうという「お弾き初め会」を開催することとなりました。 どちらの演奏会も、中心になって支えてくれたのは「西陽子箏曲教室マダムチーム」とも言うべき、50代以上のスーパーマダムの皆さん。 気配りは隅々まで行き届いていて、なおかつ、「やってるぞー」感がなくて、ナチュラルでさりげない。これぞホスピタリティーの真髄! 気楽に参加するためには突然の変更も受け入れることが大前提ですが、何が起きても動じることなく臨機応変に落ち着いて対応される柔軟性と対応力にも脱帽! 以前にも書きましたが、おさらい会の感染対策では、彼女たちが本領を発揮してくれたおかげで中止することもなく開催することができました。子育て、お仕事、介護、ご自身の病気などさまざまなご苦労から得たスキルはやはりスペシャルなものです。 そして、もちろんおしゃれは忘れない。これぞマダムスピリットですね!  

新しい毎日と新しい挑戦

2021-04-01T10:52:19+09:002021/03/31|

第1回『poetic』コンサートを終えてから2週間以上が過ぎ、無事終了したことをご報告いたします。 雷鳴轟く悪天候の中ご来場いただきました皆さま、本当にありがとうございました。中央線は一時運転を見合わせていたようで、辿り着けるかどうか心配だった・・と後から伺い、そんなことになっているとは夢にも思わず、ただただ恐縮する気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでした。 私にとってのパワースポット・今回の会場となったカフェ『BUTTERFLY effect』はいつも通りさわやかで清々しい空気が流れていて、お客さまのあたたかさに見守られながら、パフォーマンスをさせていただきました。演奏の合間には、自分の思いや考えていることを素直にお話させていただくこともできました。   3月27日は私が指導している和歌山県立桐蔭高校箏曲部のおさらい会でした。昨年は残念ながら新型コロナウィルスの感染状況がひどくなっていく時期でしたので開催できませんでした。34年間途切れることなく続いてきたおさらい会の危機!今年も無理か?と思われましたが、部員たちの熱意、OBOGたちの熱い支援に顧問の先生が立ち上がってくださり、教頭先生をはじめ学校や県の施設を巻き込み、実現する運びとなりました。密状態を避けるため毎年行われる校内の和室を飛び出しホールを借りて行うという顧問の先生のアイデアで、なんと!いつもより盛大で立派な演奏会となったのでした(もちろん非公開でお客様は身内に限定されましたが)。舞台には、お花屋さんの応援の気持ちがいっぱい込められた本当に素敵で豪華なお花! クラブの練習時間はままならず、レッスンもOGにほぼお任せ状態で、私がレッスンしたのは本番の5日前。まだまだ通るのがやっと?だったり、テンポが遅すぎてすごく長ーい曲になっていたり…それでも高校生パワー恐るべし!レッスンしながらどんどん変化し、本番はものすごく成長していました。 「ちゃんと弾こう。なんて思わずに、本番もその直前の演奏より成長した演奏をしようと思うこと!諦めないで!」 みんな見事な素晴らしい演奏でした。 卒業生も受験を終えて、練習する時間などほとんどなかったというのに、さすがのクールな演奏でした。昨年、直前まで準備していたおさらい会が中止になったことをただ悔やむだけではなく、出演を申し出てくれて、後輩たちに箏の技術だけではない多くのことをその行動で残してくれました。 OGチームは演奏家や指導者として活躍している3人の演奏。もちろん音楽的に繊細で大胆で冴えた演奏でした。 舞台のセッティングも全て部員たちで行うというスタイル。みんなテキパキと動きました。お互いにリスペクトし、信頼し、自分で考えて行動する。そのスタイルはずっと継承されています。困難を乗り越えようという情熱と知恵が、強い結束を生み新しい展開をもたらした感動的な演奏会になりました。   高校生たちの成長のスピードには圧倒されるばかりです。 若い人たちには、「何でもチャレンジすべき!自分の可能性を自分で限定しないで!」といつも言っています。 私も若い頃は、ともかくどんなことでも吸収したいと思って何でもチャレンジしました。無理かもしれないと思ってもとりあえずは飛び込んでみる!それが思いがけないチャンスになって新しい世界を開いてくれることもありましたし、直接的ではなくても自分の表現の幅を広げてくれました。失敗もいっぱいあったけれど、それも全て自分の肥やしになりました。一瞬は落ち込んでも立ち直りが早いのは若さの特権。「失敗しても大丈夫!失敗を恐れて躊躇するのはもったいない!」というのは、経験を積んだ年長者だからこそ贈ることのできるエールですから。 ある年齢まで来ると技術や知識など何かを得て成長していくパワーとスピードは減退していくけれど、人間としての成長は止まることなくむしろ加速する可能性を秘めているように思います。成長が止まった時に熟する?

開催します!

2021-07-07T00:15:41+09:002021/03/12|

『poetic 』いよいよ明日となりました。感染対策をしっかり行い、開催いたします! ただいま、練習と準備の最終チェックを行っている最中です。天気予報をみてみると、明日は雨の確率100%となっており…(雨の曲を作ったからかな?などと思いつつ)お運びいただく皆さまには足元が悪くなってしまいそうで恐縮です。どうかお気をつけていらしてください。 楽しみにお待ちしております! See you soon!  

『poetic』SOLD OUT!ありがとうございました!

2021-03-10T15:16:02+09:002021/02/18|

1月のイベントが全てキャンセルになり、2月1日の和歌山・吹上小学校でのおはなしの会も当然中止だろうと思っていたら、なんと!予定通り行われるとのこと。『ハープをひくハチとネズミとゴキブリ』の初演は無事終了しました。初めて聴くおはなしを、語り(語りは上甲ひとみさん)と音楽で聴くのは情報量が多すぎて混乱したのでは…という心配をよそに子供達は驚くほどよく見て聴いてくれていました。 このような状況なので、全員マスク着用、演奏前後のおはなしも質問コーナーも無し。それでも、子供達が書いてくれた感想文は好奇心と発見に満ちていて、逆に私の方が励まされたような気持ちでした。 ありがとう!皆さん!   その後のレッスン期間は、目の血管が切れたり、腰痛と股関節痛を発症するなど不調が続きました。職業病とも言える身体の歪みと加齢による筋力の衰えが大きな原因。おおごとではないけれど「やっぱり年だなあ…」としょんぼり。でも、思い返してみたら、春先はいつもこんな風…と自分を励ましてみたりして…。昔は永遠に休まず箏を弾き続けられるんじゃないか。と思っていましたが、今は休憩大事(笑)。現在、整骨院の先生とピラティスの先生に相談しながら、自分の身体を感じて知ることを学び中。 そうは言っても、合奏していると楽しくて痛みも何もかも忘れてしまうから、人間の脳や身体は本当に不思議です。   レッスンでは、私の弾いたことのない曲を指導することもあります。五線譜を見て、そこからいろんなことを読み取って行く。作曲家が何を意図しているのか、それを想像して音にしていくのは本当に楽しい作業です。私はこのプロセスが楽しくてたまらない。だから、初演をすることは大好きです。 沢井先生は私にずっと、「自分が弾く前に他の人の録音を聴かないように。」とおっしゃっていました。なので、大学に入ってみんなが曲を与えられてすぐに音源を探すことに驚きました。さしずめ今ならまずはYouTubeを検索!でしょうか? 古典は口伝で受け継がれたものですから、楽譜より録音を聴く方がいいのかもしれませんが、私はどんな曲もまっさらの状態で自分の想像力を働かせて曲を完成させて行くことが何より楽しく好きです。一度誰かの演奏を聴いてしまうと、よほどの切り替え力がない限り全く影響されずにいることは難しいし、一から楽譜を読み込むことが面倒になってしまう…それは音楽を作る悦びの多くを失っているような気がしてもったいない…。   来る3月13日の西陽子箏コンサート「poetic」おかげさまで完売いたしました!お申込ありがとうございました。 新作は完成間近(ってまだ完成してないの⁉︎^^;)。作曲は、お手紙同様、夜中にひとりでエキサイトしても、次の日の朝もう一度弾いてみると、なんだ?これは?と思うことばかりで、また削って作り直して、時には捨てて、この繰り返しをひたすら続けて本当に少しずつ積み重ねていくのみ。 コード進行や対位法や和声を少し勉強したけれど、箏という楽器に当てはめると何か違和感を感じてしまう…。もっと深く勉強すれば違うものが見えてくるのだと思いますが、そこは私の能力では追いつかないので、私は演奏家として楽器からアプローチする方法で曲を作ろうと決めました。 昨年、新型コロナウィルスの感染が深刻になる直前、長崎の五島列島をひとりで旅しました。そこで見た教会やマリア様の像に深い感銘を受けました。大きく立派な教会もあるけれど普通の民家にしか見えない教会もある。ヨーロッパで見たお顔に似ているマリア像もあれば、日本の優しいお母さんみたいなマリア像もある。でも、どれも尊く、あたたかく、跪かずにはいられない敬虔な光を放っていました。鉄川与助が中心となって建築された作品群だけれど、そこに関わったたくさんの職人さんたちの工夫とひたすらに祈りを捧げた人たちの夢が心に迫ってきました。 経験と感覚だけを頼りに手探りで曲を作っていると、自信がなくなって、諦めて、無難に体裁よくまとめる方向に流されそうになります。 そんな時は、五島列島の教会を思い出すんです。ものを作ろうとするときに一番大切なことを教えてもらっている気がします。

2021年スタート!

2021-01-19T11:08:25+09:002021/01/18|

新年早々出遅れてしまいました! あれこれコンサートの情報をみなさんにお伝えしようと思っている間に、次から次へとコンサートが中止や延期になり、今に至りました。 まだまだ新型コロナパンデミックは収束する気配がありませんね…。 さあ、もうすぐ本番!と気持ちが上がっている時には、キャンセルになった瞬間、行き場を失ったエネルギーをまるで火消しのように自分の中で抑えこまなくてはなりません。そのアップダウンの繰り返しに慣れるのはなかなか難しい…。 それでも、生活できていることにただただ感謝する日々です。 私はたいてい、自宅の窓から東京の景色を眺めながら、あるいは、カフェで、ここに掲載する文章を書いています。名前も知らない姿も見えない皆さんに一方的に話をしています。隣あわせに座って、一緒にコーヒーを啜りながら窓の景色を眺めてお話をしているつもりです。 今年もどうかおつきあいくださいね。よろしくお願いいたします。 今は2度目のステイホーム期間。今回は、今まで挫折し避けてきた長編小説や難解な哲学の本や詩を読み始めました。両親が旅立ち、私にとって「生と死」というものが身近な現実になりました。生命について謎は深まるばかりで自分をどう納得させればいいのか今もわからないままです。 もちろん、全ての書物を深く理解できるわけではありません。というか、何がなんだかわからないことも多々あります。でも、その中のたった一つのことばや一節が、直接的な答えではないけれど、ぐーんと世界を広げてくれて、ぐるっと裏側から眺めさせてくれて、そのおかげで、少し安心したり、悲しいことばかりではないと思えたりもするのです。 わからないことを捨ててしまわないで、じっと考える。考える。考える。 何?どういう意味?どういうこと? ソクラテスの時代も今も人の命が限りあるものであることは変わらない。そう思って読み始めたはずが、興味はいつの間にか「思想」から「古代ギリシアの人たちの生活」に移って、アテネで見たアクロポリスの丘やポセイドン神殿が思い出され、さらに子供の頃大好きだったギリシア神話も重なって、想像は限りなく広がっていきます。 そのうちに、脳の中に古代ギリシアの街ができて、そこに自分が生きているような気持ちになります。そして、読みたい本はさらに増える・・・。 だから本が好き! あれ?哲学はどうなった?笑 そうやって時空を超えた脳内旅行も楽しんでいるわけです。 旅も大好き!

ありがとうございました。そして、よいお年を!

2021-01-03T14:50:46+09:002020/12/31|

今は大晦日の夜。 さっきまで海の見えるとある場所でこもって練習や作曲をしていました。テレビもなく、Wifiもない環境。あるのは海と空と鳥の声・・・かな。 来年1月31日和歌山市民図書館にて行われるイベント『箏が奏でるアイルランドの昔話』。上甲ひとみさんの語りに私が音楽をつけます。 お話のタイトルは『ハープをひくハチとネズミとゴキブリ』。ハチもネズミもゴキブリも、私たちにとってすごく苦手な動物ですよね。でも、お話を読んで、さらに曲を作っていると、かわいくてたまらなくなってくるのです。それは結局、人間の身勝手、罪深さなのですが…。 お話はあくまでも明るく愉快! お楽しみに!   もうすぐ終わろうとしている2020年。 世界中の誰ひとりこんな年になることを予想できませんでした。そして、例外なく世界中の全ての人が今もこの災禍の下で不安な日々を送っています。 それゆえに、感謝の気持ち、そして、人とのつながりの大切さをなおさら強く感じた一年になりました。   生きていくこと、そして、音楽のちから。って何だろう?   ひとりができることは本当に小さくささやか。 でも、それは無力じゃない。 ほんの少しの優しさを誰かのために。  

沢井忠夫先生との出会い

2020-12-07T13:33:41+09:002020/12/07|

沢井忠夫先生の演奏を初めて聴いたのは小学校3年生(8歳)の時。その瞬間に私の歩む道が決まりました。 私は4歳の頃から箏は習っていたものの小学生になるとクラシック音楽に魅力を感じるようになり、小学2年生からはピアノに夢中でした。 その頃、和歌山で箏の手ほどきをしてくださった赤羽多美代先生は、新しい曲を習得すべく大阪まで沢井忠夫先生のレッスンに通われるようになりました。そして、1972年、初めて沢井忠夫先生(当時35歳)が和歌山のおさらい会にご出演され、特別演奏をされました。 『水面(みずも)』を一恵先生と演奏されたと記憶しています。目の覚めるようなドライブ感と圧倒的な音の力に私は感動というよりむしろ衝撃を受けました。 驚いてなんだか全てが止まってしまったように感じました。 あの楽器からこんな音が出るなんて!こんな世界があるなんて! 「連れて行かれた」感じでした。 そのうち、東京芸大に行きたいと思うようになりました。先生が歩んだ道を私も歩みたかった…。箏の演奏家になって世界中で演奏するというのが私の夢になりました。 先生は当時、子供は教えないという方針でレッスンされていましたが、無理を承知で母と赤羽先生が先生に頼み込んでくれました。忠夫先生が出された条件は「次回のおさらい会の舞台をオーディションとし、レッスンを受ける資格があるかどうか判断する。レッスンをするとしてもけして子供扱いはしない。」という2点でした。 小学6年生(11歳)のおさらい会。前日の夜、「明日はいよいよ運命が決まる!」と緊張して寝床に入ると、突然電話があり、父が大阪で転倒し救急病院に搬送されたとのこと。母は「どうしてこんな時に…。」と泣きそうになりながら、慌てて着替え、私たち姉妹3人を近所のおばさんに託して走って飛び出して行きました。 あまりにバタバタしていたので、それから演奏までどんな風に過ごしたかは思い出せません。ただ、おばさんが朝食にあたたかいミルクコーヒーを挿れてくれたのだけれど、お砂糖と塩を入れ間違ったらしく、たまらなくしょっぱくて、妹たちも一緒に顔を見合わせて笑ったことだけを覚えています。とてもとても優しく私たちを守ってくれました。 舞台での演奏で合格点をいただくと、母が舞台裏の廊下の向こう側から走ってきました。その時、病院から慌てて会場に到着した母は、着のみ着のまま薄手のベージュのコートをとりあえず引っ掛けただけの姿だったことをなぜか鮮明に覚えています。母はその時ちょうど40歳。 今はもう沢井忠夫先生も母もおばさんもいなくなってしまいました・・・。 沢井忠夫先生の音も演奏も、完璧な超絶技巧、クール、強い、きれい・・・などということばがどれほど虚しく、生やさしいかを思い知らせる圧倒的なものでした。子供の時に先生の演奏に出遭ったことは私にとって間違いない幸運だけれど、その後今に至るまで先生の演奏以上に心を揺るがす箏の演奏には出会えないのは幸せかどうか・・(笑)。 先生の音楽には、心の底にクサビが打ち込まれるような鈍い重さがあり、悲しみがあり、色気があり、狂気がありました。 私は沢井忠夫にはなれない。と悟り、もうとっくの昔に先生を追いかけるのはやめてしまったけれど、レッスンで先生は一度も私に「こう弾きなさい。」とおっしゃったことはありませんでした。たまに「こう弾いてみてごらん。」とおっしゃるだけで、ほぼ野放しでした。私は先生の手から生まれる奇跡の音にいつだって驚いては目をパチクリ。先生のお顔より手のショットが私の脳アルバムの中には多いのです。 伝説の箏曲家として歴史上の人物になりつつある先生。

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