横山佳世子の邦楽サロンVol.25

2022-03-10T04:20:37+09:002022/03/09|

3月4日に大阪・茨木にて横山佳世子さんのサロンコンサートがあり、出演させていただきました。こちらでお知らせする前にすでにsold out。終わってから皆さんにご報告しようと思っておりました。 が、東京に戻ってすぐ3回目のワクチン接種をしたところ、副反応で高熱が出てしまいダウン。 すっかり遅くなってしまいました。   コンサートのタイトルは、横山佳世子の邦楽サロン Vol.25『没後25年 沢井忠夫のDNA~夢の姉妹共演~』。 ご来場いただきました皆様、ありがとうございました! 横山佳世子さんは私より10歳以上若く、同じ沢井忠夫先生に師事した姉妹弟子になります。小学生の頃から先生に師事できた幸運な弟子同士ですが、芸大在学の時期も離れていましたし、私自身邦楽以外のジャンルの方々との交流が多かったこともあって、すれ違いばかりで、今回が初共演でした。 彼女は2度交通事故に遭ってリハビリ中。足は赤紫色に腫れていて歩くのもままならない状態なのに、明るく音楽への情熱がほとばしっていました。   「水の変態」(宮城道雄作曲)と「三つのパラフレーズ」(沢井忠夫作曲)を共演。 踏ん張れない状態でこんなにパワーのある音が出せるなんて!と驚きました。艶のあるグリッサンドや押し手のニュアンス、そして歌…忠夫先生の片鱗が至るところに伺えて、ああ、先生はこうして今も生きてらっしゃるのだなあと演奏しながら懐かしく、身近に感じることができました。   合間のトークではレッスンの思い出や入門までの経緯についてのお話などをお互いにしました。 私が沢井忠夫先生に入門する道を拓いてくれたのは母でした。全く邦楽に何の縁もなく、しきたりも常識も知らない母だったからこそ、その恐れを知らない情熱がいろんな障害を突破し、子供を教えていなかった忠夫先生を動かし、直門への道を拓いてくれたのだと今になって母の愛情の深さを心底実感し感謝するばかりです。普段は用心深く控えめだけれど、ひとたび決心すると大胆になる母でした(笑)。

平和への祈り

2022-02-27T16:17:14+09:002022/02/27|

ものすごく忙しかったわけでもないのに、随分ご無沙汰してしまいました。 ここを訪ねてくださった皆さま、留守にしていてごめんなさい。 イベントの変更が相次ぎ、スケジュールが定まらず、時間ができたにも関わらず気落ちしておりました。子供の頃、楽しみにしていたイベントが延期になったときの気持ちが甦りました。 勢いを削がれて、高揚した気持ちを抑えて、諦めて、次へと自分を鼓舞することを繰り返していると大人といえども凹みますね。意気消沈とはこのことだなあ。と実感します。 子供たちはエネルギーがある分、その落差で精神的に不安定になっているのでは。と心配です。   そんな中、ウクライナとロシアのニュースが飛び込んできて、その動向が気になってはいたものの戦争は回避されるだろうと楽観していただけにショックでした。暴力ましてや殺人が人間としてしてはならないことだと誰もがわかっていることなのに、どうしてこんな酷いことが今も世界からなくならないのだろうと悲しみでいっぱいになります。胸が引き裂かれて心がちぎれそうです。 科学技術が想像もしないほど進み、生活は快適で便利になり、長寿になってきたけれど、人間としてはどうなのだろう?人間としての高みへと上っているだろうか? インターネットの世界では個人から直接世界にアプローチできるほど開かれているのに、リアルな人間関係は閉じていく一方。全ての事柄が両極へと吸い寄せられていく・・・。 そして、美しい青い森が一瞬にして破壊されるように良きもの美しきものは脆くて壊れやすい。 危うい均衡の中で世界はなんとか成り立っているのかもしれません。   私は今恵まれた環境にいるからこんな悠長なことを考えていられるのでしょう・・。   ウクライナが旧ソ連から独立する直前に、私はKAZUE SAWAI KOTO

心に映るもの

2022-01-25T20:55:47+09:002022/01/25|

新型コロナウィルスの感染状況は一旦収束するかに見えたものの、また一気に悪化しました。 皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか? 準備してきたことがいつできなくなるかわからない。という不安定な状況に慣れてはきたものの、やはり何を拠り所にすればいいかわからないという環境にあっては何をしても充足感が得られず、なんとも心はずっと薄曇りという感じですよね。 こんな時って心も空回り状態で、ありあまる情熱や愛情が先走って余計な言動や行動をしてしまい、後から自己嫌悪に陥ることが増えます。(溜息…)   昨年末、高校生へのワークショップのために、久しぶりに民族音楽学者の小泉文夫先生の本を開きました。今その続きを読んでいます。 大学生の時に先生から直に講義を受けることができたのは本当に幸運だとしか言いようがありません。   『音楽の根源にあるもの』 出版されたのは今から約40年前。自分ではそんなに時間が経ったようには思わないけれど、その本を読むといかに環境が変わったかがわかりました。 もはや「わらべうた」はほとんど生活から消滅し、街にあった物売りの声や田舎に残っていた美しい仕事歌も聞くことができません。街行く人たちは、イヤホンを装着し、そうでなくても、スマホに集中していて耳は閉ざされた状態です。子供たちは外で遊ぶより家の中でゲームをするようになり、さらに、今はまさに、マスクをし外出もままならない状態ですから、窓を開けても車と工事の音が聞こえるだけです。 一方、スマホやPCでは世界中のありとあらゆる音楽を聴くことができ、YouTubeでは自然音や環境音、そして、プロもアマチュアも関係なくいろんな人のパフォーマンスを観ることができます。   歴史って動いているんだなあ。と実感します。(自分が生きている間は歴史なんて変わらないとどこかで思っているのですよね…)   小泉先生は、著書の中で日本独自の音楽が消え、世界の民族音楽が寂れていくことを憂い、これからの音楽はどうなっていくのかということを書かれていました。 今はどこの国でも伝統音楽や民族楽器を演奏する人がどんどん減っているのが現実です。

HAPPY NEW YEAR 2022

2022-01-11T22:46:56+09:002022/01/11|

あけましておめでとうございます。 新年からのんびりの更新で失礼いたします。 松の内(1月15日)までは『あけましておめでとうございます』のご挨拶で大丈夫とのこと。 1並びの本日、縁起よく新年のHP開きとさせていただきました。   『一年の計は元旦にあり。』と両親に教えられていたにもかかわらず、元旦は思いきり朝寝坊して、伸びたゴムのようにだらーっと過ごしてしまいました。そして、次の日も、また次の日も…。 「寝る」ってなんて幸せなんだろう!と、怠け者モード全開。 でも、子供の頃からお正月には一年の目標を立てるのが習わしだったので、ゴロゴロしながらも頭は落ち着かない…。 で、よし!人間、こんな小さな携帯の画面で考えていては小さいことしか思いつかん!(昭和の頑固なおじいちゃん的発想!笑)とばかりに、スケッチブックをAmazonで購入し(ここはちゃんと時代に適応!)、2Bの鉛筆を握りしめ、白い紙を前に腕組みして考えました。   まずは年間計画作成。 今年のメイン行事は、私の教室の30回記念演奏会。 8月和歌山@和歌山城ホール、11月東京@日本橋公会堂。 そして、春には『poetic』、秋には『西陽子 海界をうたうⅡ』。   30回記念演奏会の企画は? 今から30年前ってどんな様子だったっけ?

Hama House、こぼれ話、そして、来年は・・・

2021-12-31T23:24:05+09:002021/12/31|

今年も残すところあと30分となりました。 さあ!ご報告したかったコンサートはあとひとつ。日本橋浜町にあるHama Houseでのミニライブ『はじめての箏』について。 素敵なカフェで、10人余りのお客様。お箏のことを知らない方に楽しみながら知ってもらおうという企画。京都の一保堂茶舗さんとのコラボレーションで作られたオリジナルのデザート付き。 今回は、新しい試みとして、クッキング番組方式で。柱を立てるところからチューニングまで本来なら舞台裏で行われることも全部公開して、演奏に入りました。 本が天井まで高々と並べられたブックカフェ。本が好きで入ってみたのだけれど、ここで弾いてみたい!という衝動から、いきなりオーナーさんに演奏させてもらえませんか。と突撃営業!実現していただきました! お箏が好きになってもらえていたらいいなあ・・。   ここからは、こぼれ話というか余談というか・・・実は、というか、懺悔というか(笑) ●12月12日の『西陽子 plays 箏百景』の本番直前、着物に関するあるものを忘れてしまい、周りのみんなを大騒ぎさせてしまいました。ただでさえ調弦や準備で忙しいkotonosのメンバーに近くの呉服屋さんに走ってもらい、あれこれ工夫してもらい、無事何事もなかったかのように(笑)舞台に立つことができました。20代の頃、ホテルのレセプションで生演奏するアルバイトをしていましたが、忘れ物をすると助け合いをしました。誰かが帯を忘れた時、きれいな和柄の油箪(ゆたん・箏を包む布)を帯に見立ててみんなで工夫して締めました。お客様にもホテルのスタッフさんにも誰にも気づかれませんでした。どんな時も知恵を出し合えばなんとかなるもんですね!というか、忘れ物してお騒がせしてごめんなさい! ●10月31日の『和歌山城 光と音の饗宴』は午後8時過ぎからのコンサートでしたが、夜露がすごくて箏柱が箏に貼りついてピクリともせず、こんな時に限って転調(柱を動かして音程を変える)の多い曲を選んでいて、大変でした。野外だったので、楽譜が風で飛ぶことばかり心配していましたが、その心配は全くなく、むしろ楽譜はしっとりしてよれよれになってしまい、ページがめくれない・・という状況。演奏が全て終わった後は楽器も水分を含んで重くなっていました。和歌山城を背景に照明は華やかで、とても素敵なステージでしたが、実は真っ青になりながら演奏していました。ラテンメドレーでは踊ってくれていた方もいたとか?楽しんでもらえてよかった!!!! 夜に野外演奏をする方、ご注意あれ!   2018年に母が旅立ち、2019年に父が旅立ち、2020年にはコロナパンデミックが発生しました。演奏することが辛い時期もありました。 そして、2016年に東京でリサイタルをして以来ほぼストップしていた活動を再開させたのが今年・2021年でした。今年はまた、お弟子さんたちの中でご家族のご病気やご逝去など悲しいことが多かった一年でもありました。

『紀の国わかやま文化祭2021』開会式より

2021-12-31T03:38:25+09:002021/12/30|

水天宮から人形町のあたりには提灯が並び、仄かな灯りが列をなしています。 今日でお正月のお飾りの露店は閉店。 明日はいよいよ大晦日です。   さて、今年は和歌山で国民文化祭「紀の国わかやま文化祭2021」が開催されました。私は開会式と、和歌山城西の丸広場で行われた「和歌山城 光と音の饗宴」、そして、田辺市紀南文化会館で行われた「全国邦楽合奏フェスティバルin田辺」に出演させていただきました。   国民文化祭は国主催の大きなイベント。23日間にわたって繰り広げられるイベントのオープニングを飾る開会式は、中でも特に華やかなものであり、約1年半をかけて制作され、当日は天皇皇后両陛下がご臨席されました(コロナ禍のためオンラインでのご臨席となりました)。   私は企画段階から関わらせていただき、今回は演奏だけでなく作曲と編曲も担当しました。 「山青し 海青し 文化は輝く」というキャッチフレーズで、私が出演したのは「海青し」のシーン。 山部赤人にも謳われた穏やかな干潟の海・和歌浦、そして、激しい黒潮洗う聖地・熊野の海の映像を背景に、きのくに音楽祭2019をきっかけに出会ったメンバー、三味線・木乃下真市さん、尺八・辻本好美さん、パーカッション・大家一将さん、ピアノ・上野山英里さん、そして私の5人の演奏家(『KEY TRAD.』というバンドとして、また皆さんに演奏を聴いていただけたらと思っています!)に現役の桐蔭高校箏曲部員(OG2名)も加わり、さらに子ガラスたちがその音楽に乗って華麗なダンスパフォーマンスを繰り広げました。 私が作りアレンジした作品が実際に音になり、その音楽に振付がなされ、さらに広い舞台にはドローンで撮影された映像が半球面の大画面に映し出され、一生懸命練習を重ねた子供たちが踊り、私自身も演奏で加わる・・・・この感動はもう叫びたいくらい(笑)大きなものでした!   そして、何と言ってもこれだけ大きな舞台に関わるスタッフの皆さんのパワーは凄かった!!!全体の時間は厳密に決まっており、映像や照明・音響とのタイミングがあるため舞台転換は秒単位で制限されています。緋毛氈を敷き、高校生チームの箏14面を並べ、私のために立奏で箏と十七絃をセッティング。転換時間のリミットは1分30秒。リハーサルを重ね、毎回ミーティングで見直しし、改善し、最初は不可能とも思えたこのタイムが本番ではさらに短縮されていたのですから、本当に凄すぎます!

『西陽子 plays 箏百景』レポート 最終回

2021-12-29T17:55:41+09:002021/12/29|

さて、『西陽子plays 箏百景』いよいよラストまでのお話。   神田さんの作品の次は、松本英明さんの作品「約束の空へ」をkotonosのメンバーと初演しました。 演奏していると、心が洗われて澄みきった青空を眺めているような気持ちになって、「大丈夫!明日からまた頑張ろう!」という希望が湧いてくる作品です。 弾き方、強弱はお任せしますということで任されてしまったのですが(笑)、そういう作為?は似合わないと思いました。ただ弾くだけで清々しくて、無理に歌おうとしなくてもメロディーが自然に歌ってくれるから。 これからも弾き続けていきますから、皆さんにもいつかどこかで聴いていただけると思います。そして、松本さんの今後の作品にも乞うご期待! kotonosというのは、私の教室で私より若くて(笑)音楽活動をしている人たちのグループです。箏を弾く人たちの「巣」=『箏の巣(kotonos)』。ここから巣立っていくもよし、羽を休めに来てもよし、ここに来れば仲間がいるよ。という場にしたいと思いました。コトノスという音がギリシア風?なのもいいのでは。と勝手に思っております(笑)。 メンバーを固定しているわけでもなく、定期的な活動をしているわけでもありません。プロの演奏家として活動している人もいるし、アマチュアとして地域の活動に参加している人もいます。共通点を強いて言えば、箏への情熱。そして、メンバーそれぞれがちゃんと自立していることでしょうか。 ソロのレパートリーを持っていて、スタッフの仕事もできて、例えて言うならひとりでキッチンカーでも露店でもどこでもお店をオープンできるような人たち。 プロの演奏家の集団でもなく、アマチュアのグループでもないアンサンブル。 固定観念に縛られず、それぞれのスキルを持ち寄ってお互いに刺激し合い、面白くて新しいことを生み出せるクリエイティブな場になることを願っています。   そして、次は沢井忠夫作曲「詩(うた)」。 kotonosのメンバーと桐蔭高校箏曲部の卒業生有志が参加してくれました。 全員私が手ほどきから教え、子供の頃から指導した江原優美香さん以外は桐蔭高校で初めて箏に触れた人たちです。あっという間に上達し、今や助演して支えてくれる存在にまで成長した皆さん。いや、もはや、その強いエネルギーは、時には私を触発し、時には巨大な波のように覆いかぶさってくるのでした。  

高校時代

2021-12-25T22:31:30+09:002021/12/25|

2021年も残すところあとわずか。 コンサートのご報告の合間にちょっとブレイクタイム。 2021年の活動は和歌山と東京の高校生へのレッスンとクラスで締めくくり。今年は、和歌山での国民文化祭のイベントなどいつもにも増して高校生と接する機会の多い一年でした。 今年の3月で母校・和歌山県立桐蔭高校の箏曲部を指導して35年になりました。 箏曲部の講師としての私は、子供たちに次なるミッションを用意し、どうしても動けなくなった時にほんの少しヒントを出して、あとは「がんばれー!」と応援するだけ。 高校生たちは無理難題とも思える私からのミッションも必ずどうにかしてクリアします。   私にとって学生時代の中で一番楽しかったのは高校時代。 自由でおおらかで、だからみんな個性も豊かで笑いが絶えませんでした。 私は芸大を目指していたので、月に1回は大阪の沢井先生のレッスンに学校を早退して通っていました。 国立大学にはその当時共通一次試験があり、全ての志願者は全ての教科の学科試験を受けなければなりませんでした。私は苦手な理数系の試験も受けなければならないというのに、化学に至っては黒板に書いてある化学式がもはや宇宙人の暗号としか思えない状態になっていました。家では箏の練習があり、苦手な科目は宿題も追いつかない状態で、理数系を得意とする友達に解答を写させてもらったりしていました。それを見透かされて数式の説明をさせられしどろもどろの私に、先生は、他にやるべきことがあるのだからしょうがないね。とちょっぴりあきれ顔で、でもこれだけはやっておきなさいよ。というポイントアドバイスをくださり、見逃してくれていました。 音楽の授業は、2学期は自由発表で、自作曲の弾き歌いや中国語で中国の歌を歌う人たちや、バンド演奏、クラシックのピアノソロ、などを披露。もはや授業ではなくお楽しみ会状態。大盛り上がりでした。この時の音楽の担任は杉原治先生。桐蔭音楽祭を発案、プロデュースされました。なんと、オーケストラを招いて、1部は卒業生の演奏家とオーケストラとのコンチェルト(後に私もこの音楽祭でオーケストラとのコンチェルトを演奏させていただきました。)、2部はヴェルディの「アイーダ」などオペラの合唱曲をオーケストラと一緒に音楽選択生が歌い、観客は全校生徒とスポンサーとなってくれた同窓会組織の方々で大ホールは満員。とという壮大なものでした。 自由発表以外の音楽の授業はこの合唱曲の練習に充てられました。この企画を実現させるために先生にどれだけの情熱とご苦労があったかは計り知れません。ただただ、凄い!という尊敬の念に尽きます。 現代国語の授業は面白くて、萩原朔太郎などの現代詩も初めて知り、先生が黒板に一筆書きで丸を描かれ、それをずっと鑑賞するという授業もありました。後にそれは禅の円相と言うものだと知りました。 こんな風に先生方に守られ、伸び伸びと育てていただきました。授業の中で、記憶に残っているのは、実は、教科書以外のことというのはなんとも・・笑。 友人たちも、お互いに尊敬し、それぞれの道に進むことを応援し合いました。  

『西陽子 plays 箏百景』レポート③

2021-12-22T15:29:44+09:002021/12/22|

後半は未来に向かう箏をテーマにプログラムを組みました。 まずは、箏の可能性を極限まで抽き出した神田佳子さん作曲の「箏と打楽器のための練習曲No.1」。   これぞ箏の曲弾き!   今もこの曲を超えるユニークな作品はありません(断言!笑)。 左手に爪をつけて弾くのはもちろん至難の業だけれど、それよりもこの曲が八橋検校の考案した日本の伝統的な音階・平調子でできているということが本当にすごいと思うのです!(神田さん、天才!) 演奏というべきかパフォーマンスというべきか、打楽器奏者は先生、箏奏者は生徒という関係で、ちょっとしたストーリーのある芝居仕立て。それを音で展開していくのですが、笑いが出て、驚きがあって、楽しい! 大家さんの厳しくも優しい、ちょっと明治の文豪的なエヘン先生と、すぐ怠けてしまう優柔不断で情けない生徒の私との、ユーモアあふれるやりとりはお客さんに大層ウケました!   神田さんがこの作品を作曲されたのは、高橋悠治さんプロデュースの伝統楽器によるユニット「糸」の活動中。「ねえ、なんで左手に爪つけて弾かないの?横からだと弾けるんじゃない?」「あ。面白い!やってみるね。できるかも!」なんていう会話から出来上がっていった作品。「糸」の定番曲となり、どこで演奏しても大好評でした。 「糸」の練習場は、当時私が住んでいた江古田駅前のマンションのお部屋でした。作曲家の方達もたくさん集まって、楽器を囲んで演奏家と作曲家で新しい作品を生み出していきました。長時間一緒に過ごし、食事をしたり、広いベランダがあったので夏は花火をしたこともありました。 完全分業ではなく、特に伝統楽器や民族楽器の場合は一緒に楽器の性能を探りつつ作曲家と演奏家が一緒になって作っていくのは理想の環境。高橋悠治さんはリーダーの高田和子さんと共に、コンサートの機会を作ってくださり、作曲家に声をかけ、私たち演奏家にも多くのことを教えてくださいました。その時のご指導は私の音楽の礎であり宝物です。いろいろなものが混じりあったり、雑談があったり、無駄と思われるものの中に新しいものを生み出すチャンスが潜んでいるんですよね。 今まで見たこともないような新しくしかも質のいいものを生み出そうと思えば失敗や推敲も重ねるから時間もお金もかかります。ましてやグループとなれば・・・ 「糸」は理想でした。 高田和子さんと高橋悠治さんに守られ、環境を作っていただきました。そして、私たち演奏家も作曲家も若かった。仕事もお金もほとんどなくて、時間がいっぱいあって、社会的にも家庭的にも抱えているものがほとんどなくて、私たちは自由なひよっこでした。だからこそできた部分は大きい。その年齢にしかできないこともあるのですよね。  

『西陽子plays 箏百景』レポート②

2021-12-21T19:03:18+09:002021/12/21|

『西陽子 plays 箏百景』レポートは続きます。 「上弦の曲」が終わると、金屏風・緋毛氈の舞台から、パーカッショニスト・大家一将さんのパーカッションソロ、そして、十七絃デュオとパーカッションで2cellosの『kagemusha』、十七絃カルテットと尺八とパーカッションによるマイケルジャクソンの『Smooth Criminal』のクールな(自画自賛?笑)舞台へ。   大家さんの華麗で躍動感あふれるソロは、会場の空気を一気に動かしました。 スネアドラムたった一つで聴く人の心を釘づけに!   そして、いよいよ十七絃の登場!   私は十七絃の音が大好き。 深くて、温かみがあって、パンチがあって(この言葉は最近あまり使われないかな?と思って調べたら、関西ではよく使われるらしいです。要するに、エッジが効いてるとかインパクトがあるという意味ですが・・・んー。やっぱり昭和生まれとしては『パンチ』がしっくりきます。笑)カッコイイ。 アレンジしてよかった曲は、ほとんど原曲を聴いた瞬間に「これはイケる!」という直感が働き、さらに、アレンジしてみるとチューニングがピタリと17(箏なら13)個の音に収まります。これはもう偶然とは思えないミラクルなのです!その時の「きたー!」という気分はもう最高!!! 『kagemusha』は2019年のきのくに音楽祭で初演。客席からは「おー!」という声が上がり、今回もどなたかが「すごい!」と言ってくださったのが聞こえました。3分弱の曲ですが、十七絃のいろんな要素を盛り込んでアレンジしました。 『Smooth Criminal』は今回初演。重低音カルテット(江原優美香さん、植野由美子さん、中西裕子さん、そして、私)に辻本さんの尺八と大家さんのパーカッションが加わりました。辻本さんはこの曲をレコーディングされたり動画配信されたりして世界から注目されました。今回はアンサンブルをリードしてキレのいい演奏にしてくださいました。

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