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  4月13日 昨日のハイキングの疲れもなくさわやかに起床。誰もいないホテルの 温泉に朝から入る。今日はいいお天気。
  旅ももう終わり。朝食を済ませて、バスで空港に向かう。
  出発の時間までまだまだ時間が余っている。といってものんびり山を歩いているほどの時間はないので、タクシーの運転手さんと交渉して、屋久杉記念館に行くことに。
  今度の運転手さんは、代々屋久島で暮らしている家に生まれたそうで、山の作業の過酷さ、当時営林省と言われていたいた政府側と労働者の間に起きた過去のさまざまな問題を語ってくれた。この島で生活してきた人々の自然とのたたかい、そして貧しさ。
  記念館に到着。運転手さんは外で待っていてくれる。もともとは山岳信仰もあって足を踏み入れなかった山に江戸時代から少しずつ伐採の手が入る。木を切るのに使った道具、作業時の衣服、木についてもいろいろ解説があったけれど人々の生活の道具があまりに生々しくてついそちらに目が行く。加工された木を山から下ろすのは女性と子供の作業。
  見終わってまた空港までタクシーに乗る。運転手さんは地元の人しか知らないという道や橋を選んで通ってくれた。
  トロッコが人々の交通手段だった名残の線路。橋の上からは、こんな遠くからでも水底が見えるんだと驚いた。途中お墓を通る。お彼岸でもお盆でもないのにどのお墓もきれいに掃除され、お花があざやかに供えられている。「屋久島では、一日に2回お墓参りをする。お墓のお花さえ忘れなければここのお嫁さんは非難されないんだよ。これがいちばん大事な仕事なんだ。」と教えてくれた。
  そういえばここには音楽がなかった。
  海の中に突然切り立った山、平地はごくわずか。海も荒い。自然の厳しさをさえぎるものはなく、まともにこの島を襲ってくるのだろうと想像する。人々の中にものんびりとした空気はなく、豊かな感じはしない。海と山にはさまれ、しかも厳しい自然の中にあって何かを栽培して安定するということはなく、ひたすら自然とたたかって危険を冒して生活を支えてきたのだと思う。
  和歌山の熊野に似ていると思った。
  僻地で貧しくて、見捨てられた場所。そんな暗さが漂っている。だからこそ現代までよくもわるくも自然が破壊し尽くされることなく残り、世界遺産という、まさにその通り「遺産」となって今ここにある。
  トロッコ。。。記念館で昔のNHKのテレビ番組を流していた。笑顔でトロッコに乗っている戦後の労働者のひとたちが映し出される。つらくて途中で席を立つ。
  夜中にNHKでアーカイブスという過去のドキュメンタリー番組の再放送をしている。炭鉱のひとたち、戦後の混乱、そのひとたちの過酷な労働や悲惨な生活、飾り気のない笑顔を見るといたたまれない気分になり、私はすぐにチャンネルを変えてしまう。こどもの頃、アンネの日記や特攻隊員のおかあさんに宛てた手紙、サンダカン八番娼館などの本は、読んだ後眠れなかった。ひどいときは気分が悪くなったり、しかもどの本も読み終わってから父の書棚の奥の方にしまって触ることもできなかったし、終戦記念日はいつもこわくていやな日だった。
  わたしたちの今ある豊かな生活はどれだけのたたかいと犠牲の上に成り立っていることだろう。目をそらすことはできない。
  今になって、環境保護と叫んでいるわたしたちの生活は環境破壊の上にある。自然保護といっても自然の中から何かを奪わなければ生存できない。共存なんて簡単にいうことはできない。人間が共存だと思ってやっていることが自然界にとって共存といえるかどうかわからない。自然は何も語ってくれないから。
  現実に起こってきたできごと、生と死の現実、生活するということ。。。。
  身動きが取れなくなる。。。。どうすればいいのかわからなくなる。
  でも、やるべきことが何かある。
  大切にしなくてはならないことはなんだろう?
  森の中で起こっていることと現実の生活が結びついていかない。
  どちらも現実なのに。
  伐採された木の切り株や捨てられた木に新しい生命が宿っているのを思うと少し安心する。
  森はきっと今日もゆるやかに呼吸している。(おしまい)
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